幸せの伝染 | 脳幹出血患者☆松田のんが100%の日常を取り戻すまで

脳幹出血患者☆松田のんが100%の日常を取り戻すまで

焦点が合わない…歩く事も出来ない…箸もペンも使えない…
…42歳の主婦を突然襲った「脳幹出血」…
発病から7年が過ぎ、8年目の闘病生活へ突入。
穏やかで充実した毎日を過ごしています。
生きている事に感謝!人生は楽しまなくっちゃ!!

「おいしいものをお腹いっぱい食べる事が出来て、温かいところで寝る事が出来て・・・、私は幸せです。」

 

このセリフは、理由を述べてから自分は幸せですor幸せではありません、という答え方をするという問題で、中2の我が娘が答えたセリフ。

 

他の子たちの「勉強をしなくてはいけないので僕は不幸せです」とか「学校へ行かなくてはいけないので私は幸せではありません」とか、幸せではないという答えが多かった中、娘のこの答えは、その場にいた先生・生徒たちをビックリさせたそうだ。

 

このセリフ、実は私が常に言っているセリフだ。

 

人によって幸せや不幸せと感じるボーダーラインは違うけど、当たり前の事が出来る幸せを感じ取る人はどのくらいいるんだろうか?

 

5年半前に脳幹出血で入院した時、普通の日常生活がどんなに幸せな事なのか、しみじみと感じた。

 

当たり前の日常はとても愛しい。

 

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私の母は現在認知症で、要介護1になってしまった。

 

最近は会うたびに進行しているなと感じる。

 

だけど、私に会うとすごく嬉しいみたいで、うわ~来てくれたの?嬉しいわぁ~~を連発する。ホントに嬉しいんだろうな。

 

あんなに嫌がっていた週に一度だけのデイサービスも、今は楽しく行っている様子。

 

もともとの性格がおとなしくて、他の人に意地悪な事など一切しない(出来ない)ので、嫌われることが無い人種である母は、デイサービスでも皆に好かれるタイプらしい。

 

好かれるならば本人も楽しいだろう。

 

今では、本当にいいところ(デイサービス)を紹介してもらって、私は本当に幸せ!ありがとう!!を連発するようになった。

 

同じ会話の繰り返しでとても疲れるし、困ったことも繰り返すので一緒に暮らしている妹家族はもちろんすごく大変なのだが、たまにしか会わない私にとって母はかわいくすら見えてしまっている。

 

認知症でも、幸せって言い続ける人は幸せだ。

 

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私の祖父は「俺の人生は幸せだった。」と言い残して亡くなった人だ。

 

祖父は、幼い頃に母親を亡くし、弟は特攻隊志願し即死、自分の奥さんは幼い子ども二人を残して結核で死亡、後妻と再婚したが極貧生活、晩年は糖尿病が悪化しヨタヨタだった。

 

どう考えても、幸せとは思えないような人生だ。

 

それでも自分は幸せだったと言えたのはなぜなのか?

 

祖父の後妻は私の祖母(実は私と血の繋がりは無い)だが、この人の考え方がとても前向きで強かったのがよかったようだ。

 

祖母は当たり前の小さな日常に幸せを感じながら生きていく人だった。

それは、周りのみんなにも伝染して行ったのかもしれない。

 

祖父も、祖母(祖父にとっては後妻)も、私の母(祖父にとっては長女)も、私の娘(祖父にとってはひ孫)も。

 

そして、もちろん私も!!

 

今の私も、本当に幸せ。

おいしいものを食べる事が出来て、温かいところで寝る事も出来て、仕事もそれ以外の活動も充実している。

愛する家族が健康で、それぞれ自分は幸せだと思っている。

 

 

 

・・・私は本当に幸せです。

これ以上の事は望みません。

どうか、この日常がいつまでも続きますように。。。

そして、たくさんの人にこの幸せが伝染していきますように。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今夜、娘は「ソロキャンプ」

 

 

一人でキャンプをするという課題があり、今は丹沢の山の中。

(離れたところで大人が見守りながらのキャンプ)

 

テントを張った近くに、野生の鹿が出現したそう。ビックリ!!

 

ソロキャンプで、当たり前の日常が本当に幸せだと再び強く感じるのではないかな?