1.

 医師、宣教師のウィルソンの文書は、1946年6月22日に東京で提出されているらしい。

 

 文書は、経歴、おそらく10以上の入城後の病院で看た怪我人などの事例、短く6週間以上続いたということ、最後にopiumの話、という記述になっている。

 

2.

 ウィルソンは、1937年9月から中国生まれの宣教師で孫文の三民主義を英訳し宋美齢や蒋介石らと親しかった、南京神学院に勤めていた当時は休暇で米国にいたフランク・プライスらにより始められた米国の会報のChina Information Surviceにも一度、その1938年10月10日号に、6月18日付の文書が掲載されている。

 

 これは中国のプロテスタント各派の集まりである全国基督教連盟への文書の転載であるらしい。

 

 そこへ書くこと、または会報への掲載、またはその両方は、ベイツに頼まれるかしてなされたものだと思う。想像だが快諾というか、そういう感じだったのではないかと思う。

 

 そして、極東軍事裁判にもいくらか同じ感じで付き合い、文書を出しまた発言したのだと思う。

 

3.

 極東軍事裁判への文書については、事例について述べられた後に、期間とopiumの話が出てくることに、単純に違和感を覚える。

 

 また、マギーやフィッチ、またC. Y. Hsu、またおそらくは、もしくはいくらかShui Fang Tsenなどの文書などを考えても、ウィルソンだけベイツらと無関係と言うことはないと思う。

 

 文書には次のようにある。

 

1946年6月22日東京 ウィルソンの極東軍事裁判への文書

It was more than six weeks before the acts of terrorism at the hands of Japanese soldiers against civilians within the city began to subside.

 

城内(the city)の市民への日本軍の手によるthe acts of terrorismが静まり始める前に、6週間以上があった。

 

 opiumについては省くが、どちらも違和感のあるものだと思う。

 

 7月25日の発言では次のように述べられている。

 

1946年7月25日東京 ウィルソンの極東軍事裁判での発言

Cases like this continued to come in for a matter of six or seven weeks following the fall of the city on December 13, 1937.

 

このような出来事が、1937年12月13日の街の陥落の後、6、7週間起こり続けました。

 

 以下の発言から、ウィルソンもまた極東軍事裁判の規模に付き合っていると思う。

 

At the time that the Japanese took the city [...] the population was less than half a million.

日本軍が街を取った時〔…〕人口は50万未満でした。

 

 人口20万から30万というのを、ウィルソンが聞いていないことはないと思う。

 

 次の発言には、ベイツを感じる。

 

Within a very days, the hospital filled up rapidly with many, many cases injury to men, women and children of all ages, and all of degrees.

 

〔入城から〕数日のうちに、病院は、たくさんの、全ての年齢の、また全ての程度の、男性、女性、子供の怪我の患者(cases)でいっぱいになりました。

 

 このような表現は発言としての価値は失われることになると思うが、ベイツの意図が修辞的というかなものならば、そのために曖昧にこういうことを記したりする傾向がベイツにあるのだと思う。

 

 ベイツには網羅の姿勢があり、1998年の本に見える盗まれたもの一覧とか、また大学施設内の不法行為一覧とか、神経質な感じさえ思わせるが、細かい網羅的なものが見られる。

 

 同時にベイツは思弁的であり、unarmed personsもそうだし、また、経験を待たずに先に、あらゆる場所とか、あらゆる種類のとか、そういうのが先にあると思う。思弁的、観念的な、あらゆるもの、みたいなものが、ベイツにはあるように思う。

 

 とにかく、ここでは、あらゆる人、年齢、程度、と述べるのがいいとか、そんなようにおそらく考えたベイツからの提案なりがあり、それを容れたかでの、このような発言があるのだと思う。

 

4.

 他の人の文書も踏まえて、ウィルソンの文書にもベイツは関与していて、そしてこの6週間とopiumは、ベイツの意向によるものだと思う。最後の引用はついでに述べた。