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西村マイです。
突然ですが、源氏物語をお読みになったことは
ありますか?
私は、小学生の時に、公文の漫画で読んで以来
いろいろな著者の源氏物語を読んできました。
10代前半戦、若紫と同じ年頃だったころは、
紫の上=すべてを手にした究極の美女
夕顔=光源氏も、いとこの頭の中将までも虜にした女の鑑
という認識でしたが
読む年代によって、捉え方が変わってくるのが
面白いです。
つい先日、読み返していたのですが、
紫の上は確かに、ある意味幸運な美女ですが
光源氏の子供を授かることなく、30歳もすぎてから、娘のような年齢の身分の高い姫を光源氏が正妻に迎えるのを、ただただ見ているしかなかった辛さや寂しさに胸が締め付けられます。
夕顔は、はかない美女設定がただただ羨ましかったけれど、身分ある男性の気をひかなければ暮らしが立ち行かないという、切羽詰まった理由から、立場的には姫というより高級娼婦…。
しかも、何も悪くないのに、呪い殺されちゃって
いろいろな愛憎劇があり、どの女性の気持ち
もそれなりに汲み取ることが出来るのですが
今回、忘れられないインパクトを残したのが
源氏物語で光源氏のお相手の女性のうち
唯一の醜女設定、末摘花の君です。
光源氏が、父親が急逝してしまい、
頼る親族もなく
落ちぶれるままに落ちぶれた宮家の姫に
言い寄って、無理矢理自分のものにするものの
顔と胴の長い、鼻が垂れ下がって先が赤い
異様な見た目に衝撃を受けるのですが
それでさえ、子供のころは
「それでも、光源氏が生活の面倒みてくれるようになったから、このまま朽ち果てるよりかは断然よかったやん。」
と、思っていたのですが
今回、衝撃を受けたのは
という、光源氏の一言です
「どうしてこれほどみっともないのだろうか。」
↑衝撃すぎて二回目
この姫は、深窓の令嬢すぎて
人を思いやる心とか、気遣いは持ち合わせておらず、手紙のやりとりでも、贈り物でも
どれをとっても洗練さとかけはなれているため
思わずこぼした言葉です。
ちなみに、末摘花という呼び名も、鼻の赤さから染料につかう花を連想してつけたものです。
見た目もみっともなかったのかもしれませんが
この場合見た目でなく、心ばえや教養や身のこなしに向けられた「みっともない」です。
光源氏が若い頃に手を出した人妻、空蝉の君なんかも、
明るいところで姿を見れば、老けて痩せた決して美しいとは言えない姿
だったようですが、
謹み深い優美な物腰
で、あっさりと「美しいひと」
認定されるのですよね。
そのように育てられなかったのだから
そんな事は知りもしないし
気にしたことはないのかもしれませんが
末摘花も、心がけ次第で「みっともない」
という烙印を押されずに済んだのでは…。
単に姿形が美しい=美しいひと
ではないのは、平安時代も
千年の時を経た現代も
変わらない事実なようですね。
既成概念に囚われて、生きにくくなるのは
本末転倒ですが
例えば
「親なんやから、子供に対して口先だけではみっともない」
とか
「女性なんだから、その場に合わせて装えないのはみっともない。」
とか、自分の立場を他人目線で俯瞰した時に
みっともないか美しいか
という視点を持てるか否かで
その後の人生が変わってくるように
思いました。
古典の名作は深いですね
何度読んでも新しい気付きがあります。
最後までお読みいただきありがとうございます
「みっともない」が衝撃すぎて
立ち居振舞いも美しい教養のある女性を
目指そうと、固く固く誓いました