昼休みになり、僕が何を食べようか考えながら歩いていると、「清掃中」という文字が書かれた看板を抱えた白い作業服を着た中年の女性とすれ違った。コンビニでお弁当を買って自分の職場のあるフロアに戻ると、ちょうど彼女が清掃作業中だった。けだるそうにモップを動かす彼女の邪魔にならないように歩きながら、僕はかつてスーが投げかけてきた疑問を思い出していた。

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 「お掃除の仕事の人たちは簡単に仕事が取れるのですか?」

ある日、食事をしているとスーが突然尋ねた。

 「掃除をする仕事に簡単に就けるのかという意味ですか?」と僕は聞き返した。

何度かやり取りを重ねるうち、スーが言いたいのはビルなどの清掃を請け負う会社に就職することが簡単なのかどうかということではなく、ビルの清掃を請け負う会社がビルの所有者などから清掃の委託を獲得することが簡単なのかどうかということがわかった。

 「清掃をする会社はたくさんあります。よってそれは簡単なことではないと思います」と僕は答えた。

 スーは不思議そうな顔をして僕の返事を聞いていた。

 「今日観た映画では、犯罪者のグループが清掃員や警備員に変装して大きな企業に入り込んでいました。それから彼らは協力して大切な情報を盗み出しました」とスーは言い、「どのようにして彼らが同じ日に清掃員や警備員として現場に派遣されることが可能なのか私は不思議に思いました」と付け加えた。

 僕は一生懸命に考え、「犯罪者のグループは長い間、準備をしたと思います」と答えた。それから僕たちは二人で意見を出し合い、犯罪者集団はまずターゲットにした企業と契約している警備会社と清掃会社にメンバーを送り込み、その企業の担当になったところで計画の日時を決めたのだろうという結論を導き出した。

 こんな風に映画の本筋とは関係ないところで交わす会話も僕にとって楽しみの1つだった。

 オペラ鑑賞では僕はときどき眠ってしまったけれど、映画を観ることは僕たちの週末のもう1つのイベントだった。金曜日の夜に僕はレンタルビデオ店に寄り、映画を5本借りてきた。2本は土曜日と日曜日に二人で観る用、残りの3本は平日の彼女の暇つぶし用だった。最初は言葉がわからなくても楽しめそうなチャップリンの作品やウォレスとグルミット、トムとジェリーといったアニメ作品を借りていたけれど、彼女の英語が映画のセリフを理解することができるレベルだと判明した後は普通の洋画を借りてくるようになった。もちろん彼女は英語で台詞を聞き、僕は一生懸命字幕を追った。

 僕たちは部屋の灯かりを消し、14インチの小さな画面を見つめた。部屋でのオペラ鑑賞と同じく、気軽に外を出歩くことができない彼女にとって、部屋でのビデオ鑑賞も特別なイベントだった。僕と一緒に映画を観るとき、おそらくは彼女が一人で観ているときも、本編の前の「最新映画紹介」や「新着レンタル情報」も彼女は愛おしそうに眺めていた。きっとコンサートを楽しむ気分で音楽番組を観るのと同じく、映画館で予告編を楽しんでいるような雰囲気を味わっていたのだと思う。

悲しい場面では必ずといっていいほど彼女は涙した。映画が終わると、僕たちは感想を伝えあったのだけれど、彼女は悲しい場面、感動的なシーンを思い出してよく泣いた。そしてたいていはそのあと照れくさそうに笑った。

  たまに素晴らしい出来栄えの予告編を見て、期待に胸を膨らませて鑑賞した映画の出来がいまひとつだった時、スーは決まって「予告編を作った人が監督すべきだったと思います」と言った。

 一度何も考えずにイタリア映画を借りてきてしまい、彼女をひどくがっかりさせたことがあった。時代がビデオからDVDに代わり、最初の設定画面で字幕を日本語、英語から選ぶ機能の画面を見るたび、あのときの彼女の顔が浮かんでくる。スーのいない一人きりの部屋で観たイタリア語の「ライフ・イズ・ビューティフル」やフランス語の「最強のふたり」は素晴らしい映画だった。彼女はあれからどこかで観ることができただろうか?