前回の続きです。
…と、続きを書こうと思っていたら、
ジロー→ユキ→母ちゃん→タロー
の順で感染性胃腸炎をうつしあいしてしまいました(´Д` )…
胃腸炎は苦しい‼
吐き気、腹痛はもちろん、全身の筋肉痛で眠るにも眠れず…
友人たちが励ましの爆笑メールを、続々とラインで送ってくれるので、また、腹筋がイタイ…
ありがたい話です。
気が滅入らずにすみました。
さて、復活したので、
5月19日に交通事故に遭った、コンドウ家男子の続きを…
おなじみの市民病院の救急処置室で、愛しの我が子らと感動の再開をしたものの、運転していた父ちゃんの姿がみあたりません。
事務の手続きにでも行ってるのかな?と、思ってました。
そうです。
母ちゃん、完全に子どもの安否しか頭になかったんです‼
父ちゃんの安否を心配するの、忘れてましたぁー‼‼‼
父ちゃんはっ‼⁉
子どもたちに聞くと、
「イスに座って動いていったー」
車椅子か⁉
「オレもあれ、乗ってみてー」
今日は、ジロー発言に突っ込み入れてやる余裕がありません。
やがで、車椅子に乗った父ちゃんが、カーテンの向こう側の診察室に連れてこられました。
見たところ、外傷はなさそうです。
診察した先生は、30代前半ぐらいの女性で、耳に障害があるのが話し方で分かりました。
障害を乗り越えて医者になるなんて、並大抵の努力じゃなかっただろうな、と、ふと思いました。
その先生の話によると、
ぶつかった時に頭を打っていて、首にも痛みがあるようなので、MRIをかけたが、今のところ大きな異常はみつらかない、とのこと。
ただし、交通事故は時間が経過してから痛みが強くなる可能性があるので、異常を感じたらすぐに診察をうけるように、とのことでした。
診察終わった父ちゃんは、
どっこいしょ。
と、車椅子から立ち上がり、首を手で抑えながら、グルグル回していました。
大丈夫なの⁉
駆け寄ると、
頭と首が少し痛いだけで、ケガはない、と言っていて、
ここでようやく、ほーっと、長い息をつきました。
この時点で事故の程度は分かりませんでしたが、現地の救急車に乗っていた人たちのことを思うと、相当運がよかったみたいです。
父ちゃんによると、事故の概要はこうでした。
片道4車線の交差点付近で、右折するため、右端の車線を時速30キロ程度で走っていたところ、対向車がセンターラインをオーバーして、うちの車の運転席側に突っ込んできました。
父ちゃんはとっさにハンドルを左に切って運転席のドアで事故車を受け、衝突のベクトルがうちのクルマ沿いに変わった事故車は、うちのクルマの側面をえぐりながら、うちのクルマの後続車に正面から衝突。
弾みでどれかのクルマの部品がとび、別のクルマに当たった、
という内容でした。
我が家のクルマはトヨタのコロナ・プレミオというセダンでしたが、運転席ドアから後部座席のドアまでが車内にめり込み、ガラスは粉々になっていました。
事故車は日産のキャラバンという、大型のミニバンで、父ちゃんは相手のクルマのミラーで頭を打ったようです。
たんこぶと首のねんざで済んだのが奇跡でした。
その(3)に続きます…
忘れもしない5月19日の午後3時30分、父ちゃんから驚きのメールが着信しました。
「事故! 車がぶつかってきた」
はっ⁉なにっ⁉
父ちゃんは長男タロー、次男ジローを連れて、名古屋市内の病院に入院中のばあちゃん(姑ちゃん)の見舞いに行っているはずでした。
体調が悪くて金曜日に保育園を早帰りしてきた末娘のユキと、自宅で待機していた私に、このメール。
通りすがりに事故を見た、というわけではなく、ぶつかってきた、と書いてあります。
即座に返信してみても、今度は応答なし。
電話をかけて、大丈夫なの?と聞いてみると、何だか辛そうな声で、
「よくわからん…」
とだけ返事があり、すぐに切れてしまいました。
これはただ事ではない‼‼
子供たちは⁉
父ちゃんのケガは⁉
午後から振り出した雨が、5月というのに寒さを運んできていました。
ジローは半そでシャツ一枚きりしか着せてない。
壊れたクルマに乗っていられる訳もなく、雨の中、三人とも路上に放り出されているのではないか…。
私は、三人のウィンドブレーカーとバスタオル、傘を抱え、ユキちゃんを連れて姑ちゃん所有の軽自動車に飛び乗り、まずは近くのアパートに住む大阪のばあちゃん(私の実母)のもとへ走りました。
事情を説明してユキちゃんを預け、メールに記載のあった事故現場へ走りました。
現場までは、産業道路を約15分ほど走りますが、この日は、はやる気持ちを抑えきれず、雨が降りしきる悪路にも関わらず、5分程で現場に到着。
「ピシッ。」
途中、フロントガラスに小石が飛んできてヒビが入るアクシデントも発生。
今日はどうにもついてない…
そう思いながらも、アクセルの踏み込みを緩めることができません。
救急車ともすれ違いました。
悪いことは考えずに、冷静に事実だけを見て対処しようと、自分に言い聞かせました。
現場は騒然としていました。
救急車が二台とレスキュー車、パトカーなどが数台。
そして、片道4車線の中央分離帯付近に事故車と思われるクルマが4台止まっています。
その一番先頭に、我が家の愛車、コロナプレミオが。
運転席側のドア2枚が大きく破損し、ガラスが割れて飛び散っていました。
その様子を見て、寒気が背中を走りました。
肝心の搭乗者が誰もおらん。
救急車に駆け寄ると、1台目の救急車では血を流した若い男性が応急処置を受けながら警察官が事情をきかれている様子。
ならばと、もう一台に駆け寄ると、こちらも若い男性が腹部に固定具をはめられて苦しそうに救急隊員と話しています。
「うちの子はっ‼‼⁉うちの子たちはどこですか‼‼」
その場にいた救急隊員も警察官も被害者も加害者も、みんなが私を振り返りました。自分でも驚くほどの大声が出ました。
「プレミオの3人の方ですか?」
救急隊員の1人が答えます。
「先に救急車で市民病院に搬送しました」
さっきすれ違った救急車やったんか!
返事もロクにすることなく、私は再び軽自動車に飛び乗りました。
後ろから警察官が、大声で
「気をつけてー‼落ち着いてー‼」
と叫んでいたことだけは覚えています。
これは、思った以上のたいへんなことになった。
こういう時はもはや、神様仏様です。一昨年に亡くなった父に、そしてプレミオの持ち主であり、今はすでに亡きダンナさんのお父さんに、どうか(´Д` )三人を助けてくれ、と祈り続けました。
こういう時、なぜか信号は味方してくれるもので、驚異的なスピードで市民病院に到着しました。
日曜日なので夜間救急搬送口へ一直線。
9年前の春、この夜間救急搬送口に駆け込んだ先で、ダンナのお父さんの遺体と対面したことが、フラッシュバックしてきました。
私がダンナさんと結婚式を挙げたわずか10日後のことでした。
悪い予感を振り払いながら、搬送口の自動ドアに飛び込みました。
そこには、私の可愛い可愛い、命よりも大切な、2人の息子が、
長椅子に並んで、ニコニコと腰かけているではありませんか!
「わー‼‼」
と、私は2人に飛びつき、温かい、柔らかい2人のほっぺに、ぎゅうぎゅうと自分の頬をすりつけました。
生きてる!生きてるわ!
もう、涙が止まりません。
「か、母ちゃん、どうしたのー…」
タローのなんとも大人びた口調を聞いて、気持ちが落ち着きました。
「お利口に待っていられましたよ。ケガは特にないようですが、どこか痛みがあるようでしたら診察をうけてください。お母さん来てくれて、よかったね」
と、微笑んでいました。
…。
…!?
ねぇ、父ちゃんは?
長いので、その⑵へ続きます。
「事故! 車がぶつかってきた」
はっ⁉なにっ⁉
父ちゃんは長男タロー、次男ジローを連れて、名古屋市内の病院に入院中のばあちゃん(姑ちゃん)の見舞いに行っているはずでした。
体調が悪くて金曜日に保育園を早帰りしてきた末娘のユキと、自宅で待機していた私に、このメール。
通りすがりに事故を見た、というわけではなく、ぶつかってきた、と書いてあります。
即座に返信してみても、今度は応答なし。
電話をかけて、大丈夫なの?と聞いてみると、何だか辛そうな声で、
「よくわからん…」
とだけ返事があり、すぐに切れてしまいました。
これはただ事ではない‼‼
子供たちは⁉
父ちゃんのケガは⁉
午後から振り出した雨が、5月というのに寒さを運んできていました。
ジローは半そでシャツ一枚きりしか着せてない。
壊れたクルマに乗っていられる訳もなく、雨の中、三人とも路上に放り出されているのではないか…。
私は、三人のウィンドブレーカーとバスタオル、傘を抱え、ユキちゃんを連れて姑ちゃん所有の軽自動車に飛び乗り、まずは近くのアパートに住む大阪のばあちゃん(私の実母)のもとへ走りました。
事情を説明してユキちゃんを預け、メールに記載のあった事故現場へ走りました。
現場までは、産業道路を約15分ほど走りますが、この日は、はやる気持ちを抑えきれず、雨が降りしきる悪路にも関わらず、5分程で現場に到着。
「ピシッ。」
途中、フロントガラスに小石が飛んできてヒビが入るアクシデントも発生。
今日はどうにもついてない…
そう思いながらも、アクセルの踏み込みを緩めることができません。
救急車ともすれ違いました。
悪いことは考えずに、冷静に事実だけを見て対処しようと、自分に言い聞かせました。
現場は騒然としていました。
救急車が二台とレスキュー車、パトカーなどが数台。
そして、片道4車線の中央分離帯付近に事故車と思われるクルマが4台止まっています。
その一番先頭に、我が家の愛車、コロナプレミオが。
運転席側のドア2枚が大きく破損し、ガラスが割れて飛び散っていました。
その様子を見て、寒気が背中を走りました。
肝心の搭乗者が誰もおらん。
救急車に駆け寄ると、1台目の救急車では血を流した若い男性が応急処置を受けながら警察官が事情をきかれている様子。
ならばと、もう一台に駆け寄ると、こちらも若い男性が腹部に固定具をはめられて苦しそうに救急隊員と話しています。
「うちの子はっ‼‼⁉うちの子たちはどこですか‼‼」
その場にいた救急隊員も警察官も被害者も加害者も、みんなが私を振り返りました。自分でも驚くほどの大声が出ました。
「プレミオの3人の方ですか?」
救急隊員の1人が答えます。
「先に救急車で市民病院に搬送しました」
さっきすれ違った救急車やったんか!
返事もロクにすることなく、私は再び軽自動車に飛び乗りました。
後ろから警察官が、大声で
「気をつけてー‼落ち着いてー‼」
と叫んでいたことだけは覚えています。
これは、思った以上のたいへんなことになった。
こういう時はもはや、神様仏様です。一昨年に亡くなった父に、そしてプレミオの持ち主であり、今はすでに亡きダンナさんのお父さんに、どうか(´Д` )三人を助けてくれ、と祈り続けました。
こういう時、なぜか信号は味方してくれるもので、驚異的なスピードで市民病院に到着しました。
日曜日なので夜間救急搬送口へ一直線。
9年前の春、この夜間救急搬送口に駆け込んだ先で、ダンナのお父さんの遺体と対面したことが、フラッシュバックしてきました。
私がダンナさんと結婚式を挙げたわずか10日後のことでした。
悪い予感を振り払いながら、搬送口の自動ドアに飛び込みました。
そこには、私の可愛い可愛い、命よりも大切な、2人の息子が、
長椅子に並んで、ニコニコと腰かけているではありませんか!
「わー‼‼」
と、私は2人に飛びつき、温かい、柔らかい2人のほっぺに、ぎゅうぎゅうと自分の頬をすりつけました。
生きてる!生きてるわ!
もう、涙が止まりません。
「か、母ちゃん、どうしたのー…」
タローのなんとも大人びた口調を聞いて、気持ちが落ち着きました。
「お利口に待っていられましたよ。ケガは特にないようですが、どこか痛みがあるようでしたら診察をうけてください。お母さん来てくれて、よかったね」
と、微笑んでいました。
…。
…!?
ねぇ、父ちゃんは?
長いので、その⑵へ続きます。
次はジローです。
保育園で、こればっかし集めてきよります。
手のひらに乗った、茶色い物体。
これは、
「ねずみの小判」
だそうです。
たぶん、砂場の砂とかに混じってる、茶色い小さい石だと思われ、
何、これ。石なの?
と聞いても、
「ねずみの小判」
と言い張ります。
彼の話によると、なんでも、ねずみはこの小判を使って、餅やお菓子を買いに行ったり、メガネやさんでメガネを買って、店員さんに支払ったりするんだとか。
彼のアタマの中では、ねずみのご一家が、イキイキと暮らしをおう歌しているように思われます…。
と、思いきや、
保育園で、ねずみの小判が大流行!
誰も彼もねずみの小判を集めて、アタマの中で、シルバニアファミリーのごとく、ねずみの暮らしを思い描いているではありませんか!
で、ジローに、
ねずみの小判をアンタが集めて、どうするの?
と、聞いてみたところ
「これだけあれば、大金持ち…イッヒッヒ」
と、悪代官の微笑み。
さて。
最近の彼は、おりがみ、絵画、工作にはまっております。
折り鶴をマスターした日から、一段と折り紙熱があがり、
折り紙の本が手放せない保育園生活を送っているとか。
彼に触発された複数の男子園児たちが、これまた、折り紙にハマりだし、
おりがみ男子、結成。
折り紙の他にも、可愛い妹がおしゃれなお出かけタイムを過ごせるように、と、心を込めて作った…
ハンドバッグとケータイ電話。
ケータイは、プッシュボタンが40番まであるという、最新式。
最近の仮面ライダーが変身する時に使う、指輪のおもちゃが欲しいけど、母ちゃん、買ってくれないので…
自作。
トイザらスのチラシを切り抜いて、折り紙を丸めてセロテープを巻いてツヤを出した指輪に貼り付けてあります。
量産して、クラスメイトに配布してました…
絵も、昨年、あのおじさんに、大きなキャンバスにのびのびと描かせてもらってから、興味が湧いて、いろいろ描いて母ちゃんやユキちゃんにくれるようになりました。
こちらの絵です。
母ちゃんが、取材で知り合った町おこしに熱心な元会社社長兼陶芸家、画家、経営コンサルのおっちゃんに、お祭りの時期に箱寿司を持って伺った時に描かせてもらったあの絵です。
気性の激しいおじさんでしたが、どこか憎めない子どもっぽさが、子どもの心をつかんだのでしょう。
あの時、腸のガンで療養中で、退院後の経過もよく、奇跡的だ、って言われて喜んでいたんですが、
先月末に、亡くなりました。
才能あふれる62歳。
無念だったことでしょう。
ジローが描かせてもらった絵は、うちの玄関にかざってあります。
結局、祭りの季節、お寿司を見るたびに、あのおじさんのことを思い出すことになってしまいました…。
保育園で、こればっかし集めてきよります。
手のひらに乗った、茶色い物体。
これは、
「ねずみの小判」
だそうです。
たぶん、砂場の砂とかに混じってる、茶色い小さい石だと思われ、
何、これ。石なの?
と聞いても、
「ねずみの小判」
と言い張ります。
彼の話によると、なんでも、ねずみはこの小判を使って、餅やお菓子を買いに行ったり、メガネやさんでメガネを買って、店員さんに支払ったりするんだとか。
彼のアタマの中では、ねずみのご一家が、イキイキと暮らしをおう歌しているように思われます…。
と、思いきや、
保育園で、ねずみの小判が大流行!
誰も彼もねずみの小判を集めて、アタマの中で、シルバニアファミリーのごとく、ねずみの暮らしを思い描いているではありませんか!
で、ジローに、
ねずみの小判をアンタが集めて、どうするの?
と、聞いてみたところ
「これだけあれば、大金持ち…イッヒッヒ」
と、悪代官の微笑み。
さて。
最近の彼は、おりがみ、絵画、工作にはまっております。
折り鶴をマスターした日から、一段と折り紙熱があがり、
折り紙の本が手放せない保育園生活を送っているとか。
彼に触発された複数の男子園児たちが、これまた、折り紙にハマりだし、
おりがみ男子、結成。
折り紙の他にも、可愛い妹がおしゃれなお出かけタイムを過ごせるように、と、心を込めて作った…
ハンドバッグとケータイ電話。
ケータイは、プッシュボタンが40番まであるという、最新式。
最近の仮面ライダーが変身する時に使う、指輪のおもちゃが欲しいけど、母ちゃん、買ってくれないので…
自作。
トイザらスのチラシを切り抜いて、折り紙を丸めてセロテープを巻いてツヤを出した指輪に貼り付けてあります。
量産して、クラスメイトに配布してました…
絵も、昨年、あのおじさんに、大きなキャンバスにのびのびと描かせてもらってから、興味が湧いて、いろいろ描いて母ちゃんやユキちゃんにくれるようになりました。
こちらの絵です。
母ちゃんが、取材で知り合った町おこしに熱心な元会社社長兼陶芸家、画家、経営コンサルのおっちゃんに、お祭りの時期に箱寿司を持って伺った時に描かせてもらったあの絵です。
気性の激しいおじさんでしたが、どこか憎めない子どもっぽさが、子どもの心をつかんだのでしょう。
あの時、腸のガンで療養中で、退院後の経過もよく、奇跡的だ、って言われて喜んでいたんですが、
先月末に、亡くなりました。
才能あふれる62歳。
無念だったことでしょう。
ジローが描かせてもらった絵は、うちの玄関にかざってあります。
結局、祭りの季節、お寿司を見るたびに、あのおじさんのことを思い出すことになってしまいました…。