川の道のシリーズもいよいよ大詰めを迎えました。
ちなみにこの記事は以下のシリーズの続編です。

第14回川の道フットレース大会記 ~スタート編~ (2018年)
 あらすじ:川の道フットレース(フル)の本番に初参加したが約440キロでリタイア!

第15回川の道フットレース大会記 ~中編~ (2019年)
 あらすじ:再挑戦したがまたもや約460キロでリタイア!

昨年予定だった第16回大会は1年延期になってしまい、シリーズが始まってから3年も経ってしまいましたが、先日のGWに川の道フットレースへの3度目の挑戦が果たせ、続編として記載したいと思います。
「3度目の正直」となるか?「二度あることは三度ある」になるか?いよいよ内容に入りたいと思います。

まず、今回の大会は開催そのものが奇跡的でした。
感染症拡大の収束は一向に見えない中、主催者スポーツエイドジャパンの徹底した感染症対策のもと実現にこぎ着くことができました。
前の週に緊急事態宣言がスタートの東京に出た時は絶望的になりましたが、なんとスタート地点が埼玉の川越に急遽変更になり、東京抜きでやることに!
それでも、緊急事態が埼玉に拡大されないかヒヤヒヤでしたが、無事開催に至りました。

今回の大会は上述のスタート地点の変更(それにより距離が例年より10キロ減り503キロ)の他に主に感染症対策のために以下の変更がありました。
・ウェーブスタート。しかも自分の番の10分前より早く会場入りするのは厳禁!
・エイドでのマスク、消毒の徹底、飲食物の手渡し禁止。(希望のものをテーブルに置いてもらう)
・ゴールの変更。(ホンマ健康ランド→関屋浜静浜亭)ホンマ健康ランドが廃業になったため。
・峠の変更。(ぶどう峠→下仁田経由内山峠)2019年台風19号の影響のため
・寝袋の持参。ただし、主催者がチェックポイント間を輸送。
・私設エイドの自粛。
・ゼッケンが見えなくてもOK。(ただしスタッフに提示できる状態である必要あり)

最後のゼッケンは、とにかくこの大会を「目立たず粛々に」行うための対策です。
しかし、決してゼッケンの着用を禁止している訳ではなく、私も含め、みんな付けている人が結構いました。
スポーツエイドジャパンの今回の対応を書くだけでも記事が終わらなくなりそうなので、大会の経過に入りたいと思います。


■スタート~両神荘
当日は十分な睡眠を取り、スタートを迎えることができました。
体重も例年の55kgくらいまで無事復帰できていました。天候も快晴でしばらく雨の心配は不要でした。

【スタート】 4/30 9:21

前述のように、スタートが川越になったことにより序盤のコースが、がらっと変わることに。
なんと、スタート直後、蓮馨寺を通過することに。



まるで、小江戸大江戸のスタートです。
従来のコースへは約25キロ地点で荒川の笹目橋で合流しますが、そこまでは荒川の右岸を日本海でなく、太平洋を目指しました。


実はその部分は、私のホームコース【Aコース】で、特にマラソン初期の頃、何度も走っていました。
まさかここが500キロマラソンコースになるとは想像していませんでした。

笹目橋で折り返し、従来のコースに復帰し、対岸まで渡り、左岸を通り日本海を目指しました。
以下、経過。

【CP1】彩湖畔(埼玉県戸田市)30.5km 13:18
【CP2】上江橋東側(埼玉県さいたま市)41.9km 15:07.
【CP3】桜堤公園入り口(埼玉県吉身町)58.6km 17:45

桜堤の桜並木の緑のトンネルを抜けたあたりで日が暮れ、夜間戦に突入。
ちょうど、大橋橋を渡る頃、真っ直ぐ進むのが難しい程のすさまじい突風が吹き出しましたが、幸い、橋を渡ると風は和らぎました。
荒川から一旦離れ、夜の熊谷を走り続けました。

【CP4】大芦橋南西側(埼玉県鴻巣市)67.9km 19:26
【CP5】熊谷警察署前交差点(埼玉県熊谷市)80.3km 21:50
【CP6】波久礼駅前丁字路(埼玉県寄居町)102.1km 2日目2:10

この辺りまでは、前回、前々回とペースは同じでした。
しかし、深夜の長瀞を抜ける県道号の山道辺りから、展開が変わってきました。
これまでは、猛烈な眠気が襲いかかり、道端で仮眠を取ったり、起きてもふらふらになりながら歩いていましたが、今回はそこまでの眠気はなく、所々走りを入れることができました。
秩父の市街地で夜が明けましたが、なんと例年より2時間程、早く到達できました。

【CP7】上野町交差点(埼玉県秩父市)124.0km 2日目6:29

その後も秩父の郊外も走り続けることができ、最初の宿泊付きエイドの両神荘には、例年より3時間程早く到達できました。

【CP8】両神荘体育館(埼玉県小鹿野町)142.9km
   到着2日目10:10(前回12:29) 関門18:00

なんと、お風呂が清掃中で使えない時間帯でした。
思わず嬉しくなりました。清掃が終わる12:00前に着くことなど今までなかったからです。
さすがに汗だくで寝たくなかったので、外の水道で軽く水浴びしました。
敷き布団が与えられましたが、感染対策のため各自の寝袋を上に載せて寝ました。4時間程、睡眠時間に当てましたが、目がさせていてほとんど眠れませんでした。


■両神荘~小諸グランドキャッスルホテル
出発 2日目15:40(前回17:42)

両神荘は例年暗い時間帯に出発していましたが、まだ明るい時間帯でした。


志賀坂峠越えになるころ夜になり、雷雨に見舞われました。

【CP9】志賀坂トンネル入り口(埼玉県小鹿野町)165.4km 2日目20:17

幸い雷雨は長く続かず、峠を越える頃、収まりました。
一度、峠を下りきり、再び登りの区間。
例年のぶどう峠の代わりに下仁田へ抜けるコースに入りました。3キロ程の下仁田トンネルを抜けると下仁田まで下り基調でしたが、夜が明ける頃になると猛烈な眠気に襲われてきました。
我慢ができず、早朝のバス停のベンチで10分程昼寝しました。

【CP10】下仁田交差点(群馬県下仁田町)203.2km 3日目5:49

下仁田からは再び登り基調になり、内山峠越えに入りました。



ちょうど最高地点はトンネルですが、強烈な冷風が反対側から吹き抜けており、まるで空調の配管の中を進んでいるような感じでした。

トンネルを抜け、長野県に入っても、冷風は収まらず、快調に峠を下りることはできませんでした。
我慢して走りを混ぜてなんとか、佐久市街地まで降りてきました。

【CP11】中込交差点(長野県佐久市)238.2km 3日目14:01

佐久市内まで冷風は続き、雨も降り出してきました。


【CP12】長土呂南交差点(長野県佐久市)243.7km 3日目15:48

2回目の宿付きエイドの小諸グランドキャッスルホテルにはまだ、明るいうちに着くことができました。

【CP13】小諸グランドキャッスルホテル(長野県小諸市)251.7km 
    到着3日目17:50(前回21:48) 関門24:00

ここでは、ホテルに着く直前、併走した完走者からの話を参考に5時間を睡眠に当てました。
実際、寝起きは快調でした。


■小諸グランドキャッスルホテル~旧三箇小学校
出発 4日目0:40(前回6:02)

まだ、深夜に小諸グランドキャッスルホテルを出発。幸い、雨、風とも治まっていました。
夜の国道18号をひたすら進み上田城へ。

【CP14】上田城址入り口(長野県上田市)270.4km 4日目4:20

上田城から長野市に向かうところで、再び睡眠時間のアドバイスをいただいた、完走者にお会いでき、善光寺辺りまで併走させていただきました。

【CP15】篠ノ井橋北詰(長野県長野市)294.1km 4日目10:06
【CP16】善光寺(長野県長野市)307.2km 4日目12:34

善光寺を過ぎると再び、昼下がり強烈な眠気が襲い、郵便局の前のベンチで昼寝をしました。
長野市を抜ける頃、虹に見舞われました。



【CP17】浅野交差点(長野県長野市)322.7km 4日目16:45

いよいよ、飯山へ向かう山道に入りました。
この区間には川沿いの見晴らしのよい旧道(昼推奨)と、バイパス(夜推奨)のどちらかのコースを選べるところがありました。日が暮れかけていましたが、今回初めて旧道を選択しました。
一人、旧道を進んでいると、1台の車が止まり、男性が声をかけてきました。例年、この先の栄村で私設エイドをご夫婦で設営されている方です。今回は私設エイドの自粛のため、代わりに車で応援しに走り回られていました。
飯山のチェックポイントに着く前、夜間戦に備え、ファミレスで2時間程、少し長めの休憩をとりました。

【CP18】飯山駅(長野県飯山市)339.3km 4日目23:01

飯山を過ぎると、夜間は店が全くない、長い、長い試練の区間に入りました。
眠気との戦いになりましたが、4、5名の選手に励まされ足を進めることができました。この時間帯であれば、故障さえなければ十分完走圏とのことでした。
 



新潟県に突入し、なんとか最後の宿付きエイドまで走り、旧三箇小学校に着きました。いつもは、体がボロボロで関門ギリギリでしたが、時間も体にも余裕がありました。
小学校では、飯山までの道中で車により応援してくださった方と、その奥様にお会いできました。カレーを2杯いただき、再び5時間睡眠時間を当てました。

【CP19】旧三箇小学校(新潟県津南長)384.1km
    到着5日目8:30(前回13:51)関門14:00


■旧三箇小学校~ゴール
出発 5日目15:53(前回18:45)

まだ明るい時間帯に小学校を出発し、日が暮れる頃までに十日町まで到達。
この辺りになると、抜きつ抜かれつする選手の顔ぶれが固定されるようになりました。

【CP20】魚沼橋南詰(新潟県小千谷市)412.9km 5日目21:24

小千谷を抜ける辺りで、例年チェックポイント兼私設エイドである、通称和田亭がありましたが、今回は素通りとなりました。文字通り和田さんという方が自宅の中にエイドを設営され、2半分飲み屋状態でしたが、深夜だったためもあるかひっそりしていました。

【CP21】越の大橋西詰(新潟県小千谷市)430.3km 6日目1:45

小千谷を抜け、長岡に入る頃、再び睡魔が。
大会を通じて一番歩きが多い区間となりました。
眠気が大会最頂点に達し、なんと、市街地のど真ん中の長岡駅前のベンチで10分昼寝をしました。
夜明けで、人が出始めていた頃でした。
しかし、この10分の睡眠が後に功を奏することになりました。

【CP22】大手通交差点(新潟県長岡市)442.7km 6日目5:23

長岡を過ぎ、見附に入る辺りで永遠と続く国道8号線に突入。
突入したところで前回リタイアしたのでした。
その先はフルの大会では初めての区間でした。
水平線まで続く、国道8号線では長岡駅前でとった仮眠のおかげで、快走できました。
選手をごぼう抜きできましたが、休憩をする度に抜かされ、また同じ人達を抜き返すという繰り返しになりました。
国道8号線でも、多くの方から車による声援をいただき、その瞬間だけダッシュして見せました。

【CP23】三条大橋南詰(新潟県三条市)465.7km 6日目10:34

8号線の途中で大会3度目の雨に見舞われ、以降ゴールまで強まる一方でした。

【CP24】大野大橋南詰(新潟県新潟市)492.7km 6日目16:14

まだゴールではありませんが、念願の日本海に到達!
雨でしたが気持ちでは夕日が綺麗に見えました。

【CP25】川の道岬(新潟県新潟市)500.6km 6日目17:52



ここからゴールの海の家静浜亭まで数キロの海岸沿いの遊歩道を通りましたが、結構長く感じました。
それでも、快走しながらゴールまで到達できました。

【ゴール】ゴール海の家静浜亭(新潟県新潟市)503.0km 6日目18:15

念願のゴール達成です!
制限時間の132時間まで3時間程残っていました。



記録:128時間54分52秒(503キロ)

ぎりぎり、その日のうちに東京に帰れそうな時間帯でしたが、次の日有給を取得していたので、海の家で一泊して翌朝ゆっくり帰ることにしました。
海の家でも、寝袋が活躍しました。

こうして、最初にリタイアしてから3年越しで無事、リベンジが果たせました。
ついに「永久ゼッケン」がゲットできました。
フルの完走者に与えられるゼッケン番号です。
優先権の運用はどうなるかわかりませんが、次回以降、その番号の憧れの黄色ゼッケンで走ることができます。

大会を通じて感じたことは、川の道の戦士達とのつながりです。
前大会の記事でも述べましたが、いつの間にか私の名前が選手やスタッフの間に知れ渡っていて、今回、さらに声をかけてくださり、勇気をいただきました。
勝手に個人的にフルの全コースを試走したり、人のシューズは履き間違えたり、いろいろ前科があるからかもしれません。今回の大会でますますつながりが深まった感じがしました。(今回特に、やらかしたことはないと自分は思っています。)

改めて、今回の勝因について触れたいと思います。
ずばり一文字、「食」に尽きると思います。
これまで長時間走ると食欲が低下し、腹痛が起き、エネルギー切れ、失速、時間切れのパターンでした。
歩きが多くなることにより、足のマメの悪化も失速を助長していました。
今回は、多少食欲がなくても、失速を感じたらコンビニで主にパンを食べるようにしました。3月の小江戸大江戸でも、その効果は実感できていました。
夜間は赤いきつねで腹を温めたりもしました。
結果、歩きも交えてですが、ゴールまで走り通すことができました。コースと時間があれば、まだまだ先に進めそうでした。
足のマメやダメージも殆どなく、大会3日後の土曜に100キロ走を快適に行える程でした。
マメができなかったのは、足裏にガーニーグーを50キロおきに塗っていたのも大きいかもしれません。

しかし、改めて今回の完走の要因を考えると、1%は私の悪あがきかもしれませんが、99%は開催までの行く手を阻む幾多の困難を打破された館山会長を始めとするスポーツエイドジャパンや関係者の皆様のご尽力によるものだと思います。
開催が2年越しになり、コース変更や感染症対策、直前までの開催の判断など、大変さは想像すらできません。
徹底した感染症対策で対応いただいたエイドスタッフにも大変お世話になりました。
改めて関係者にお礼を申し上げます。
例年ここぞという絶妙な位置で私設エイドを設営されていた方々も、今回自粛で設営できない状況でお会いできませんでしたが、また来年以降お会いできることを祈っています。

すっかり長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただいた読者の皆様、ありがとうございました。
シリーズは一旦終了しますが、川の道へのチャレンジはまだまだ続きます。