食べに行きたい〇〇専門店は?
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さて、前回の続きとなりますが、明けた翌日10/20も晴れ男の本領を発揮して良い天気でしたので、徒歩でバス停まで移動して、まずは会津に住む後輩と合流
そして周遊バスで向かった先は天寧寺にある新撰組局長、近藤勇の墓所
副長であった土方歳三が遺髪を持ち帰って建てた墓とされていますが、それでも隠すように建てられていたところを見ると苛烈な処遇を受けていたのだろうなぁと思うと共に、お墓から見える会津の街並みを見ると少しでも心安らぐ場所に埋葬したかったんだろうなぁとも思ったり…なかなか感慨深いものがありました
続いては飯盛山の白虎隊記念館へ
でもここで後輩が一番見せたかったのは新撰組隊士、島田魁が所持していたと言う袖章だったりして
隣にある近藤勇の鉢鉄は当人が会津に行ったと言う史実は無かった気がするので、個人的には余り信憑性がないかな~と思い、軽くスルーしちゃってます
と、新撰組の事ばかり書いていますが、せっかく飯盛山まで来たので、この後は白虎隊の悲しい最後(これにも所説あるようですが)に思いを馳せながら戸ノ口堰洞穴→十九士の墓→自刃の地と巡るも何故か写真は残っていませんでした
まぁ、目的は写真撮影ではなく観光なので、それはそれで特に問題なし
そうこうしていると昼時になっていたので、地元で人気のそば処、和田で喉を潤す事に
因みに前日、会津の酒を飲み過ぎた私は二日酔いで、この時まで物を食べられるような状態ではなかったのですが、迎え酒が効いて楽になって来たので、再び会津の酒を
すると鰊の山椒漬けなる物が付け合わせとして出て来たので、食してみると激ウマ
実は前夜にも食べていたようですが会津在住の後輩が食べても、ここの山椒漬けはおいしかったようです
日本酒派だよと言いたいところですが、そば処に入って酒を飲んで終わりってのも失礼なので辛味大根の汁で食べる高遠そばなるものを注文
この時は二日酔いに良いかな~と思って注文しただけだったのですが、この記事を書く際、改めて調べてみると高遠そばって会津の伝統的な蕎麦だったんですね
加えて会津は蕎麦も有名だったらしく、地元の蕎麦粉を使っているせいかのか、十割と書かれているにも関わらずコシがあって、大満足なランチタイムになりました
そんな感じで店を離れると、次は七日町に行くとな
そこは前日、乗り継ぐ際に立ち寄った場所なのに…と思ったら、新撰組三番隊組長、斎藤一のお墓は直ぐ近くにあったんですね
これにはビックリ
先の近藤勇と異なり、斎藤一は自らが望んで建てられたお墓のせいか、非常に感慨深いものがありました
その後は会津庶民の味と言うソースカツをつまみつつ、酒蔵に立ち寄ったりしながら周遊バスと徒歩で移動
最後に向かった先は…そりゃ会津と言えば、鶴ヶ城(会津若松城)は外せませんよね
残念ながら工事中につき天守閣には入れませんでしたが、冬になるまで籠城を続ける事ができていたら会津戦争はどうなっていたのかな~なんて思いつつ、この日の歴史巡りは終了です
後はまぁ、言うに及ばず、またまた後輩オススメのお店で飲んだくれて2日目も終了となるのですが、夜はやっぱり地酒と鰊の山椒漬け
もうこれさえあれば他には要らないってぐらい気に入ってしまい、そのまま夜は更け、翌日は再び二日酔いに
最終日は会津若松駅から帰るだけだったので、初日に間違えて駅に立ち寄った際、見つけた創業120年と言うマルモ食堂に行ってみようとしていたのですが、待てど暮らせど開店する気配が…
もしかしてランチ営業はないのかも?と考えると、これ以上は待っていても仕方がないので、高速バスを使って郡山へ
でもこれが失敗で、どうせだったら喜多方に移動してラーメンを食べるできだったのですが、時すでに遅しだったので、郡山駅付近にあった来夢なる店舗で遅めのランチを取る事に
あ、この日もこの時点まで何も食べられていなかったのですが、やはりビールを飲むと楽になるので、続いては郡山駅構内にあったお店で鰊の山椒漬けを肴に地酒の飲み比べセットを堪能しておきました
そんな事をやっていたら辺りは暗くなって来てしまったので、慌てて新幹線で帰路に就く事になっちゃったんですけどね
と言った感じで、今回の会津旅行は終了となったのですが、旧友達との再会に歴史巡り、地酒に郷土料理と大満足な旅になったので、また機会があったら訪れてみたいと思います
【おまけ】
実は郡山駅で飲んでいたのは湖穂里と言う蕎麦店で、ここも十割蕎麦にも関わらずコシがあっておいしかったそうなんですよ(同期談)
と聞かされても、私は鰊の山椒漬けと地酒に夢中で、蕎麦には手が出なかったのですが、最後に新幹線が来るまでの時間、それぞれで土産を物色していたら何故か駅蕎麦が気になってしまい…
でもこちらは普段から食べているような普通の立ち食い蕎麦でした…って、そりゃ当然か