ねぇおばあちゃん。海の向こうには何があるの?

鄧 海の向こうには、おばあちゃんの故郷(ふるさと)があるんだよ。

焄 ふ~ん。

鄧 ゆうのおじいちゃんもいるんだよ。

煜 ゆう行きた~い

鄧 ……

渹 おばあちゃん、泣いてるの?

鄧 ゆうちゃん、ごめんね。もう、あそこには行けないんだよ。

汗 どうして謝るの?どうして行けないの?

鄧 それはね、おばあちゃんがゆうちゃんのママぐらいの時に間違いをしちゃったからだよ。

汗 おばあちゃんが間違えたの?

鄧 ううん。大人達みんなが取り返しのつかない間違いをしたの。

 そうなの?

鄧 昔、日本っていう国があったの。ある日その国で大きな地震があって、その時に電気を作る所が壊れたの。

湜 それでどうしたの?

鄧 その電気を作る所から毒が漏れちゃったの。

湜 ……

鄧 その時、神様からチャンスをもらってたのに、みんな目先の便利さを選んじゃったの。おばあちゃんも一緒。
そしたらね、しばらくして別の電気を作る場所がもっと大きな事故を起こしたの。

瀨 おばあちゃんは大丈夫だったの?

鄧 おばあちゃんはゆうちゃんのママを連れて逃げることができたから大丈夫だったの。でもね、その時に残ったおじいちゃんが毒で死んじゃったの。

渹 どうして毒がでちゃうの?

鄧 人間が使いこなせないものを作ってしまったからバチが当たったの

焏 もう行けないの?

鄧 おばあちゃんはもう行けないけど、ゆうちゃんがおばあちゃんになる頃には、行けるようになるかもしれないね。

炅 そうなんだ。

鄧 ほら、もうすぐ雨が降るから、シェルターに帰るよ。




この海の向こうには、かつて日本と呼ばれていた国がありました。
この国は原子力産業の雇用に重きを置き、豊かさを履き違えてしまったが故に、国民は住める土地を失い難民となってしまいました。


藤波 心さんのブログよりヒントをいただき、再構成いたしました。


『想定外』の地震と津波によって福島第一原子力発電所が壊れました。


3週間経過した今も、好転することもなく放射能を撒き散らしています。

政府と保安院と東電は責任ドッチボールの真っ最中。

唯一、現場の人達が命を懸けて好転させようと努力しています。

さて、原子力発電所の今後について、賛成派と反対派に別れてあちこちで書かれています。

その中で、『今は責任追及する時じゃない。現場の人達を応援しよう』的な書き込みをよく見ます。


確かに、責任追及ならあとからでも出来るでしょう。でも、応援はどうなん?て思う。
知識も無い私ら一般人が出来る事って応援じゃなくって、原子力発電所の事もっと本気で考える事じゃないの?

政府と保安院と東電の対応見てると、とてもじゃないけど原発は容認できない。

建設するときは安全です。放射能が漏れても安全です。

どっちが安全なん?


『想定外』の地震がいつ起こるかわからないからこそ、原発問題を先延ばしするのではなく、同時進行で考えるべきではないでしょうか?



石巻専修大学のキャンパスに設置された民間ボランティアセンター。

同じ建物にめ組JAPAN の本部も設置。 全国各地から続々と救援物資が届く。


先行しているボランティアの方々から避難所の

位置情報・人数などを取りまとめ市役所と

連携して支援物資の手配をしていました。

僕らが到着した時もボランティアの方から

ご遺体を発見したとの連絡があり、

『警察か自衛隊に連絡するのでそのまま待ってほしい』とのやり取りがありました。


我々も位置関係を確認して、掌握下に入っていない避難所を

探しに出発しました。 この日石巻市内の避難所いたるところで

炊き出しなどの支援がいきわたったとのことでした。

地元のある方から、女川以北で孤立している避難所があると聞き

その方の後をついて行きました。



女川町桜ヶ丘付近



左に写っている車は地元の方



町立女川病院

標高約18mですが、1階部分も津波に飲まれました



女川港






町立病院から女川浜方向を撮影


女川港岸壁より女川病院を撮影


右上の高台にあるのが女川病院

この高さまで津波が押し寄せた事に驚きました。


家や家族が流されてしまっても、捜索できずに

お仕事をされていた栄養士さんもいました。