「人はできることしかやらない」

 

というある方の発言を耳にしました。

 

あなたはどうでしょうか?

 

 

まず、自分がやっていることが「できることの範囲内」なのか、「できないかもしれないこと」にトライしているのか、ということに気づいている人の方が少ないかもしれません。

 

わたしは、気づいていませんでした。

自分の行動を、そこまで俯瞰して見ていなかった。

 

そして先日、目標を持ったことがなかった!と気がつきました。
(→「目標とやりたいことの関係」

 

 

でも、「人はできることしかやらない」という発言を耳にして、

 

そうか。私だけじゃないのか、と思いました。

 

 

自分ができることの範囲、いわゆるcomfort zone(快適圏内)から出たくないという、安心安全を求める本能は、ほんと、強いですね。

 

 

そういえば、チャレンジというのはcomfort zoneをほんの少し出る、ということを繰り返していくと一番成功しやすいと聞いたことがあります。

 

まさにstep outくらい。

一歩踏み出すくらいのチャレンジが、ちょうどいい。

 

大きく踏み出すと、生き物として警告音が鳴ります。

「あぶないぞー!」って。

 

 

イチロー選手も引退会見で、少しずつ自分の限界を超えるうちに、気がついたらこんなところまで来ていた。最初から高みを目指していたら、途中でめげていたかも、といった話をされていましたね。

 

 

目標という方向性を持ちながら、一歩踏み出す、を繰り返す。

 

そうすると、自分を、人生を、進化させていきやすいのかも。

 

 

学校なら生徒たちに、親なら子供に、そういった環境を用意してあげられると伸びやすいですよね。

 

会社は社員に、組織は構成員に、コミュニティはメンバーに。

 

 

「いやいや、ちょっと待ってよ。子供はわかるけど、大人になってまで周りがそんなことしなくちゃいけないわけ?自分でやってよ」と言いたくなるのは、自分で努力してきた人です。

 

自分でそれをやってきたという自負や苦労を、まわりにわかってほしい、認めてほしいと思うとき、人は相手にも同じ体験をさせようとします。

 

そうして共感を得ようとする。

 

「ほら、大変でしょ。私はそれをやって来たのよ」と共感を求める言動を私たちは結構やっています。

 

自分の中に痛みが残っているからです。

 

その痛みを昇華すると、相手に同じ苦労を強いることがなくなります。

 

昇華するっていうのは、気づくということです。

 

意識という光をあてると、感情って終わっていきます。

 

すると、苦労を乗り越えて来た経験を学びに変えて行動できるようになる。

 

だから、心に溜め込んだ痛みは、気づいて終わりにしていくと、自分が自由になります。結果として、まわりの人も。

 

 

まわりにも、自分自身にも、一方踏み出す挑戦を用意してあげられると良さそうですね。

 

人って、本質的に、進化できると楽しいと感じるものです。

だから、一歩踏み出して前進する喜びを体験できたら、自然にどんどん前に行きたくなります。

 

たとえば英語の勉強がなかなか続かないとしたら、一歩踏み出しても前進した感じがしないからじゃないかな。

 

前進したという快の感覚を、体験として提供することって大切です。

 

シールが1枚ずつ増えていって達成感を可視化することだったり、具体的な変化を褒めることだったり、なにかのご褒美があることだったり。

なにが快の感覚かは、人それぞれだから自分で見つけられるといい。

 

脳科学の観点からも、こういった報酬によって行動を快だと動機付けていくと習慣化できることはわかってることですものね。

 

 

そういえば、少し前に妹たちと一緒に本を書こうと試みて、途中で止まっているんですが、その理由が今わかりました。

 

私が原稿を書いて、それを妹たちに直してもらっているときはよかったんです。

でも、自分で一から書いてみてというと、書けなくてとまってしまった。

 

それは、彼女たちにとってはstep outではなく、jumpの領域だったからなんですね。

 

 

こうして試行錯誤しながら、どれくらいがstep outなのかを探していくのかな。

 

 

よし。この視点から、自分自身の目標と、一歩踏み出す挑戦と、進化できたという喜びの体験を見直してみようと思います。

 

 

Let's step out!