前回の続きのようなものですが、コロナ感染症の影響を受けてのことです。

どうやら、今の高校3年生は、自校の校歌を知らない(歌ったことがない)ということが多いようです。

校歌は、その学校に関する人々の心をつなぐためにあるわけで、それを知らずに卒業するわけです。将来、同窓会などで集まった時にがっかりするのかなぁ?

 

3年生は令和2年度は臨時休校の最中に入学。報道でも云われているように、3年間感染症対策下での学校生活を送っていたのでした。よって、みんなで集まって校歌を歌う機会も皆無だったようで、本番もないのだから練習もしていないということです。

もっとも、現行の高等学校指導要領では、音楽は必修ではなく、学校によっては科目として開設しない場合もあります。自分が通った高校は、音楽クラスと美術クラスに別れましたが、美術クラスの人たちは、どこでどうやって校歌を習ったのだろう? 公式な練習は入学前説明会だけじゃないかな? 

 

コロナ騒ぎになってから、区市町村立学校より都立学校の方が、感染対策が厳しめでした。理由は簡単で、自宅圏内に徒歩で通う小中学校と、交通機関を利用するものが多い都立学校(主に高校)の違いでしょう。

 

最近、テレビで高校生スポーツの“青春お涙お約束ドキュメント”を放送していましたが、体育館の中で、肩組んで思いっきり「〇〇ーーーー、ファイト!、オーっ!」なんてノーマスクでやっていましたね。合唱より危ねぇじゃん!

まずはニュースソースから

東京都立校の卒業式、生徒は「マスクなし」が基本 保護者や来賓は「着用」 都教委が方針 - 産経ニュース (sankei.com)

 

相変わらず、日本社会では合唱は悪者にされています!

全日本合唱連盟の実証実験では、理想的な発声では飛沫は大して飛ばず、むしろ言葉の子音に乗って拡散していました。

昔、民謡歌手・金沢明子さんが顔の前に立てた火のついたローソクを消さずに歌うCMがありましたが、決して難しいことではなく、姿勢・呼吸・共鳴を活用し、「大きな声」ではなく「響く声」を指導すればいいのです。それであれば、しゃべる声よりも飛沫は飛びません。しかし、全国平均レベルでは、理想的な発声をきちんと指導している学校は数少なく、「元気よく歌いましょう!」が主流なのが現実だから、仕方ないのかな。しかし、こうなると、科学的根拠を考慮し、理想的なものを頑張って指導する意欲がダウンしますね。

 

 自分は従前から、卒業式での合唱演奏は無用という考えで、美しい斉唱で式を包み込めば十分と考えています。よって今回、仕事が増えたのか減ったのか???

 

 人類の歴史で、終わらなかったパンデミックは無いので、もう少し辛抱だな。

 

 あ、西六郷合唱団はやってますので、ご安心を!

先にお断りいたしますが、今日は愚痴・悪口です。

詳しく調べたわけではないので、表現が正確でないところがあればお詫び申し上げます。

 

さて、本題ですが「郵便について」です。

みなさんは、普通郵便の送達にどれほどの日数がかかるかご存じでしょうか?

今までの常識で考えれば、午前中に出して近場なら翌日でしたが、最近ではどんなに近くても翌々日で、土曜・日曜・休日は配達がないようです。よって、27日朝イチで出した郵便は、その通りであれば5月2日の配達になります。

その代わり、「速達」にした瞬間に、在来線からジェット機にしたレベルのスピードアップ!

かといって、すべてに260円プラスするのはキツいなぁ…

郵便がこんなに時間かかるモノになっていたとは・・・

同一局区内で翌々日とは・・・

客から預かったものは、サッサと自分の手元からなくしたほうがいいと思うけどなぁ。

うかつであった!

今年の演奏会は、感染症対策下での実施のため、入場予定人数を量っておいてから配席としました。よって、23日申し込み締め切り、土日で作業して発送する予定でした。しかし、土曜日には何が原因かわからないが、午前中は体が鉛のように重くて動かず、午後から練習、日曜も練習があるなど、時間は自動的に過ぎゆき、チケット発送作業が1~2日遅れたのでした。

 

一昔前、ヤマト運輸が「クロネコメール便」というサービスを提供していて、郵便よりリーズナブルでサービス水準も上だったので、よく利用していた。しかし、「信書」という昔に作られた概念による法律の壁があってか、配達員の業務が過酷だったとか、様々な理由で撤退してしまった。

 

郵便料金の値上げは令和元年の消費税率変更が最後だったと思うが、値上げは値上げである。それでいて最近のサービス低下。納得いかん! 最近では不在郵便の窓口受取も時間が短縮され、ちょっと仕事で遅くなったら間に合わない。

日本郵便は、国営企業(国民の財産の一部)を引き継いで発足した会社だったよなぁ。

 

定期演奏会を開催するにはさまざまな経費がかかります。

大きいところでは、ホール使用料、印刷費、郵送費です。

ホールは、変わらないサービス水準で値段も大きく変わらない。

印刷費は、ネット印刷の利用で大幅にコストダウンできた。

郵送費は値段が上がり、サービスが低下した。

 

こうなったら近場は全部手配りした方が速いわ!

 感染症対策で練習場(学校)が使えなくなり、ぼんやりと休日を過ごすしかない現状です。毎週日曜日の夕方が練習なので、笑点・ちびまる子ちゃん・サザエさんは滅多に見ないが、ここのところ続けて見てしまった。

 

 さて、東京オリンピックを中止すべきと騒いでいた人々はどうしたのだろう? と考えているうちに、北京オリンピックが終わりました。

 振り返れば、8年前ソチのときに本ブログでコメントを残していた。

映像テクノロジーの進化(ハイビジョンはすごい!) | 西六郷少年少女合唱団・指揮者の頭の中 (ameblo.jp) 

 その時の印象からすると、今回の映像技術は今一つな感じであった。ハイビジョンに見慣れてしまったのだろうか? いや、制作側が撮り方にこだわっていないのだろうか?

 

 女子カーリングが決勝まで行きました。ロコ・ソラーレの本拠地が北見市となっていますが、元々は常呂町で、市町村合併で北見市に併合されました。合併案は複数あったそうですが、網走・北見・遠軽のどことくっつきたいかといえば、やはり北見を選ぶよなぁ。現在の北見市は、北海道の中心にある分水嶺からオホーツク海までおおむね2時方向に伸びでいる長大な自治体で、西端の石北峠から東端の常呂港までは、車で2時間くらいかかるかなぁ。

 その常呂町は、網走市の西にある人口5000人規模の自治体でした。知っている人は知っていますが、20世紀の終わりごろ、自分は網走市の南にある同じような規模の町に2年間住んでいたことがるので、地理や産業、人々の生活などを体感していて、その周辺のこととなると、とても懐かしく思います。常呂にも何度か行ったことがあるが、目的地として行くよりも、紋別方面進出時の経由地としていたことの方が多いと回想する。国道238号線を走ると、旧・常呂町の部分は15分もあれば通り抜けてしまうが、カーリング場のそばを必ず通るのである。

 地元の人々がどう感じるかはわからないが、平昌五輪で銅メダルのあと、北見市がクローズアップされ、市長がチョイチョイ登場していたことが、私には違和感があった。吸収合併した子会社のメンバーが特別な営業利益を上げて、手柄が大本社に吸い上げられるようである。もちろん常呂でも祝賀イベントはあったのだろうが、おそらく北海道新聞止まりでしょう。

 

・東京育ちの人の目線で、網走周辺の町を見ると「何もない」と感じることでしょう。

・しかし、「常呂に住んだらカーリングやるべ!」 となるのだろう。

・あの町からこれだけの数のオリンピアンを輩出していることが素晴らしい!

 

・東京を初めて訪れた人が西六郷に来たとしても「何もない」と感じることでしょう。

・西六郷に住んだら合唱やろう! となるためには・・・。

相変わらず感染症対策で合唱は悪者扱いです!

 

2021定期演奏会が終了しました。

基本的に無観客ですが、直前になって出演者の家族のみ関係者扱いで入場許可となりました。

 

で、、、、

演奏はまずまずの出来だと思いますが、やはり直前一週間練習ができなくなったことが影響し、最後の仕上げの部分が若干雑になってしまいました。自動車の洗車に例えると、ワックスの拭き残しが何か所かある感じです。

スタッフも、演奏会が2年ぶりになるので、「アレッ!?」と思うところが何度かありました。スタッフについては、学校使用制限の関係で事前の打ち合わせの計画もロクにできない状況でしたが、そこは経験とカンで何とかできる部分まではできていました。出演する団員も1年半ぶりの本番でしたので、全員がブランクのあるような不審な動きを見せていました。

 

よく響くホール・よく鳴るピアノ

無観客ということは、お客さんが入った状態よりもよく響きます。本番ではマスクを外したので、リハーサルよりもより響く空間でした。リハーサルでもしっかり声は出ているのですが、何となくミュートを付けた音でしたね。

ピアノも絶好調で、ピアノを弾いた3人のポテンシャルが十分に生かされる楽器でした(いつもと違う楽器だったのだろうか?)。フタを一段下げても明瞭に音が鳴っていましたね。

 

演奏会を実施できたことが大きい

昨年は中止、今年は制限付きでの計画。2月の時点で、演奏会を開催することが第一義と決めていました。無観客開催でがっかりされた方も多いと思いますが、こちらの都合でいえば、第一義的目標は達成されたことになります。団員も、収録のつもりでやろうと意思統一して取り組めました。しかし、現在の団員は、まともなレコーディングや放送収録の経験もないので、コンサート演奏との違いがわかっていたのかどうなのか?

 

CD制作中

演奏会の模様はCD化を考えています。諸般の事情で全曲は無理なのですが、まずますよく録れています。これまでと違い、舞台上から4本の垂直吊りマイクがあったので、間隔空けて並ぶために隊列が後ろに下がっていても、明瞭に歌声を拾っています。

映像はYouTubeに2曲アップしてありますので、よろしければご高覧ください。

 

この「水彩画」は、前回(1981年)に取り組んだメンバーが「嫌で嫌でしょうがなかった・・・」と泣きが入ったと聞いています。今回は器用にやっていましたが、40年もあれば合唱団の気質が少しは変わるものです。

 

さて、またしばらく練習ができない・・・

来年は、5月3日第一生命ホール予約済みです。

また、緊急事態宣言が出ました。そのせいで、2021定期演奏会は無観客での実施となります。

無観客を選択した根拠等を説明しておきます。

 

◇仮に7・8月頃に延期とできるか ⇒不可能と判断

・そこまでに緊急事態宣言みたいなものが解除されるとは限らない

・特に宣言解除については、目標を達成していたのにも関わらず知事がゴールポストを移動させた前歴がある。

・練習場(学校の施設利用)も25日から停止となり、解除とともに再開の確証がない。本番直前に解除されても意味がない。

・卒団生(実際には大学1年)をそこまで付き合わせることも困難。昔と違って大学生は忙しいらしく、本番に設定した日がどうなるか見通しがない。

・教員の異動により、小学校合唱部の指導が変わった。これまでも、5月の演奏会までを一区切りとしてきている。

・おまけの理由として、合唱団の正装が冬服仕様であること。

 

◇中止ではなく無観客としたこと

・23日午後、ホールから無観客か延期・中止の検討を依頼される。

・中止は考えにくい。映画「トラ・トラ・トラ」にもあるように、真珠湾攻撃は直前の指示で中止したら和平が残る。現在の合唱団は、機動部隊に例えるならば単冠湾を出港した後の状態に近い。しかし、今回の演奏会は中止しても何も残らない。失うばかり。

・観客のほとんどが内部関係者であるような一般的な合唱団と違い、当団では全国からお客様がご来場される。無観客なり中止なりの連絡をするのであれば、今週末に行う必要がある。23日にホールから連絡がきたが、土日を挟んで、26日以降にあれこれ協議しても手遅れになるばかり。

 

◇ライブ配信しないことについて

・ライブ配信については、かなり早い段階で検討をしていましたが、出演者の肖像権等を考慮し、可用性がないものにしなければなりません。現在Youtubeにアップしている動画は、演奏の全体像しか映っていないものばかりです。可用性が保証される配信システムは、費用対効果が低いので、検討した結果実施しないことと決めていました。

・これから準備しても、NTTの回線工事も必要で、間に合わないと見込まれています。個人持ちのWi-fi等では、回線が不安定だそうです。そもそも音楽ホールは防磁設計ですし、記憶が正しければ、楽屋でも携帯の電波が不安定でした。

 

◇演奏会だけが本番ではない

・最近はめっきり仕事が入りませんが、レコーディングやテレビ収録も合唱団のミッションとしてあるのです。

・演奏会はその会場に来た人のものですが、レコーディングはその媒体を通じて多くの人に演奏を伝えることができます。

・今回の演奏は、演奏会向きに作り上げているので(レコーディング前提では音楽の作り方が違います)、どこまでそれに耐えうるかわかりませんが・・・。

・客席がカラということは、より響くということです。プラスの考えも強引にもつべし!

 

◇「社会生活の維持に必要なもの」とは・・・

・25日になり、寄席は観客有で営業続行するというニュースを目にしました。演芸は「社会生活の維持に必要なもの」という理由だそうです。これを聞いてちょっと舌打ちです。まさにその通りで、この理屈で押し通せる可能性もなくはないからです。ここで勘違いしてはいけないのは、「生命維持に必要なもの」とは違うということです。WHOだかが決めた健康の定義は、「身体的・精神的・社会的に良好な状態」であり(高校の保健の授業で覚えさせられた)、演芸場の観客になって精神的に良好になるのであれば、社会的にも良好になる、まさに社会生活に役立つものではないでしょうか。但し、合唱団の現状は、寄席と違い、貸しホールでの興行ということです。ホールから指示されれば仕方がないことなのです。

 

といったところです。

 

困ったことといえば、興行収入が全く見込めないことでしょうか。元々、金儲けで合唱団や演奏会をやっているわけでもなく、お客さん入れて演奏会実施したところで、そもそも赤字なのです。それよりも、このような結果にしてくれた政府や東京都などから、補助金だとか給付金だとかを引っ張り出してやりたいものです。店を閉めている飲食店が毎日6万円貰っているというニュースもあるようですし。

 

不透明さがあって恐怖なことは、今後一週間で状況が好転せず、知事がキレて、会場管理者が閉鎖を決断しないかどうかということです。今から代替会場なんて手配できるはずもありません。そうなれば、やり場のない怒りをもつ人間が増えるだけです。

 

昨年は早々と中止、今年は直前で無観客の判断。もし演奏会が4月25日ならば、感染症対策を講じて開催できただろう。この一週間の違いは神の悪戯なのだろうか。そりゃ、私は悪いこともそこそこしてきたけど、神に悪戯されるほど悪い人間だったのだろうか?

さて、練習もできなくなった。無観客だから受付系の準備やチケット対応もなくなった。おとなしく5月3日を迎えようではないか!

2021定期演奏会まで2週間となりました。

今年は何が何でも開催すべく用意してきました。昨年と違うことは、科学的な感染対策がとれることにあります。舞台上では間隔を十分に空けて並び、客席もブランクを多くし、体調の悪い方はご来場をお断りする予定です。昨年の秋に、チョイと国内旅行に行きましたが、空港~宿舎・レストランなど、故意でも感染しないような対策がなされていました。ホテルのバイキングでは、どうやっても感染できない仕組みになっていたと感じました。今回の演奏会も、ホールの指示より何枚も上を行く対策を講じています。

 

こうなると心配なのは、直前になってメンバーの中に感染者が出ないかどうかである。東京都の感染者数が増えているとはいえ、全検査数に対する陽性者率は、概ね5%前後で推移しています。東京の人口は1300万人で、絶対的巨大母体です。

本人が感染していなくても、家族や周囲で感染者が出ると、本人が自宅待機になる可能性も考えられます。本日から関係者は健康観察の記録を実施していきます。

これからの感染対策は、演奏の出来栄えとか何とかよりも心配なことである。団員は一人も欠けることなくステージに上げたい。ピアニストは2人いるから何とかなるな! あっ、自分には代打がいるのだろうか・・・?

 5月29日、東京上空をブルーインパルスが航過飛行しました。

 観ていた人々(特にナマで見た人)の多くが感激・感動し、医療従事者でなくても勇気をもらったことでしょう。 「久しぶりに空を見上げた!」という人も、実際にはいつも見ているのだろうが、意識的に空を見上げたのは久しぶりと云うことで、下を向いていた心を上に向けることができたことでしょう。

 さて、標題の件ですが、この取り組みに批判的な考えも報道されています。その金で何とかかんとか・・・と。しかし、そうしてしまうと、5月29日の感動は誰一人得られないことになります。

 

 音楽も同様で、人々の心の健康を担っています。ウチの定期演奏会では少々入場料をいただいておりますが、それは演奏会への価値付けや経費負担ということであり、実際に演奏会にいらした方々からは、それが高額だとかボッタクリだとかいうご批判は頂いたことがありませんので、ご理解いただけていると考えています。それ以上に、「明日からのエネルギーをもらった」「心洗われた」などという温かい励ましの言葉を多く頂戴しております。

 

 ブルーインパルスを飛ばさないで何かの費用に充てるのか、飛ばして多くの人々に心の栄養を補給するのか、金銭で測れるものではないのです。

 

 それにしても、今回の飛行ルート、東京23区のうち中野と杉並を除く21区の上空を網羅しているように見える。大臣支持らしいが、大臣が飛行プランを作るわけでもあるまい。便数が激減していたとはいえ、羽田の発着空域を考えると、絶妙のルートです。実際のプランナー、恐るべし!

 

 例年5月3日に定期演奏会を開催しているので、現役はもちろん、その家族やOBOGも、今日家にいることが何だか不自然な感じがするようです。今年は卒団を迎える団員がいなかったのですが、小学校合唱部の旧6年生のことが心残りです。

 

★備忘録も兼ねて、これまでの流れを整理してみたい。(くだらないと思ったら読み飛ばしてください)

2月上旬

・演奏会のための印刷物発注・納品

2月23日(日)

・演奏会のご案内、一部発送

2月26日(水)

・3月末まで学校施設が使用できなくなるという情報を非公式ながら入手

2月27日(木)

・練習で小学校が使えなくなるので、今後の事は別途連絡として、練習場(音楽室)から必要な楽譜など一切合切持ち帰る。

・首相より学校臨時休業の要請

2月28日(金)

・学校休業になるため、小学校合唱部が練習できなくなることが確定。

2月29日(土)~3月1日(日)

・3月後半の練習場を確保(この時点では「感染拡大防止に重要な2週間」であった)

3月15日(日)

・練習再開

3月20日頃

・演奏会を安全に開催する方法を検討する。(健康状態の確認、年齢制限、座席配置の分散

・予約していたスタジオから、“合唱お断り”でキャンセル。

3月25日(水)

・都知事会見を受け、予約していた区民施設の使用中止の連絡

3月26日(木)

・学校使用停止の延長により、定期演奏会中止の判断、練習等活動もしばらく停止

4月7日(火)

・緊急事態宣言

4月8日(水)

・第一生命ホールから使用取消し・返金についての書簡受領

4月29日(水)

・テレワーク演奏の方法が解ったので、取り組んでみる。

5月3日(日)

・テレワーク演奏2曲のネット公開

 こうして整理してみると、事態に対処するための手を打つが効果がないので、更に強硬な手を打つことの繰り返し。旧日本軍が失敗した「戦力の逐次投入」に似ている気がするし、そもそも「緊急事態宣言」を予告することは謎である。

 合唱団では「事態が変わる毎に方法を考えては潰されて」の繰り返しであった。また、これまでにかかった演奏会のための費用は約8万円(印刷費・郵送費・ぴあ委託料など)を計上した。招待カードは裏紙にできるが、厚くて枚数も多い・・・

 

さて、これから・・・

 現在の事態が収束しなければ何もできないのであろうが、何よりも心配なのは「合唱が悪者」にならないかどうかだ。合唱という活動は、いわゆる『3密』のすべてに該当してしまう。聴き合って声を出すためには、響きのある室内で分散せずにやらなければならない。本日アップしたテレワーク演奏は、イヤホンを付けて一人で歌っている音声データを重ねたものなので、ヘナチョコな演奏になりました。そもそも、一人で歌うこととみんなで歌うことは違う技能と精神が必要なのです。

 当初は『3つの密が重ならない』が目標だったと記憶しているが、いつの間にか一つでもダメな風潮に変わってきている。実際に岐阜県の合唱団でクラスターが発生しているが、これは平均年齢が高い集団である。子供の合唱団場合には呼吸器官を丈夫にする効果があり、新型コロナに関する限り若い世代の感染が極めて少ない現状もある。よって、収束後に社会活動が再開されたら、それほど神経質にならずに合唱活動をはじめてもよいと思う。心配ならば、練習前後や合間で手洗い・うがい・消毒・換気などを行えばよいのではないだろうか。それでも、風評による観客減は免れないだろうな。

 

学校9月新学期説を現実的に考えると・・・

 ・卒業式、入学式は灼熱の体育館で実施? 校長以下クールビズ服装で登場! 卒業式で制服の第二ボタンをもらうイベントも消滅。

 ・寒冷地の学校では、運動会・文化祭・地域関係の行事が6~10月前半に集中して開催するため、そこに高校入試も含めた年度替りの行事が入ることになる。

 勢い(何だか聞いたことがない外国語を使っている知事がいましたね)で変革もよいが、極論を言えば「運動会をやらない」くらいのダイナミックな覚悟が必要になってきます。

 もし、9月新学期になったら合唱団の年間スケジュールはどうすればよいのだろうか? GWは受験シーズン直前? 単純に5ヵ月後ろ送りにしたところで、10月前半頃に鉄板で開催できる日などないだろう。5月3日がよいのは、新年度のドタバタから一段落する時期にあり、その日に行事を入れる学校が皆無であることです。演奏会のための会場予約は1年~1年半前に決めるのだが、学校の行事は2月頃になってから平気で土日行事を突っ込んでくる。でもGWは、よほどのことがない限り休みになるのである。

 

今年度の活動

・未定、、、

・来年の定期演奏会は、同じく5月3日・第一生命ホール予約済みです。

 

 

「緑のキップ」は、あるメロディが全曲を通して何度か現れます。勝手に「海のテーマ」と名付けています。

 

まず、第1曲の最後の部分で、主人公の少年が海に出会ったときに合唱とピアノで演奏される。ピアノは波を表している。

続いて第2曲の前奏・間奏で登場し、最終の第7曲の前奏で使われ、最後はこの第7曲の終盤で奏でられます。

調性はどうだろうか? まず、F-dur、中間の3回はD-dur、そして最後にF-durです。

 

ピアニストの立場で考えてみると・・・

最も魂が入るのは最後です。、コーラスが背景となって重なり、音楽的な主役はあくまでもピアノ。しかしコーラスには歌詞があり物語を進めていく。決して大音量で盛り上がる派手な場面ではないが、しっとりと心の中の描写と海の情景を表現している。この8小節が、一番の泣かせどころだと思う。

 

この「海のテーマ」の存在に気がついたのは、初演から15年ほど経ってからだ。自分は現役団員当時にこの曲をやっておらず、ピアニストになってからも演奏機会は皆無、昔のレコードでたまに聞くくらいだった。一応音楽大学らしいところを卒業して、楽曲の構成だとか何だとかがわかるようになった頃、この曲はCD化された。そこで聴いてみたらわかったのである。

 

さて、定期演奏会のプログラムには「緑のキップ」の歌詞を掲載しています。

どうか、この部分は、“読む”のではなく、“聴く”時間にしていただきたいと願います。