昨日のブログでレターポットの話を書いたら、なかなか評判が良かったので、もう少し踏み込んだ話を書きます。
(※昨日の記事を読まれていないかたら、先にそちらを読んでくださーい)

やっぱり時代が大きく変わったのは、たとえばクラウドファンディングのような「個人の信用をお金に両替する両替機」がポコポコ出てきたことだと思う。
オンラインサロンなんかも「信用をお金に両替する両替機」で、
普段の言動をジャッジしてもらい、「コイツには月々1000円を支払っても、値段相当のメリットが享受できる」という“信用”や“信頼”が、お金に変わっている。

もうちょっと踏み込んだ話をすると、お金でポテトチップスを買えるように、「信用でお金を買えるようになった」といったところ。


つまり、信用や信頼といった『評価』そのものが通貨の役割を果たすようになった。

で、レターポットというのは「ありがとう。楽しかったです」「ありがとう。美味しいかったです」という『評価』を贈り合いで、「そんなものを贈り合っても1円にもならねーじゃねえか」と年輩の方々に言われるんだけれど、現代では(1円にも)なるんだよね。

分かりやすい例がインフルエンサーの人達で、普段の立ち振舞いで評価を集めることで、お金の支払いを免除されている現場が多々ある。
サービスを提供する側(親)からすると、評価されている人に評価されることが一番の宣伝なので、無料どころか、お金を払っている親もいる。

これまではフォロワー数が評価の尺度になっていたけれど、TVタレントのクラウドファンディングの成功率の低さから、評価の尺度の精度を上げるには、広さ(認知度)だけでなく、深さ(熱狂度)も数値化する必要があると考え、その人に寄せられる「文字数」に着目してみた。

んでもって、これは前にも書いたけれど、評価は個人に結びついているものなので、たとえばハッカーが僕のレターポットから10万レターを盗んでも意味がないんだよね。
よく知らねーヤツがTwitterのフォロワーを買いまくって、100万人のフォロワーを抱えている感じに近いかも。

「信用はお金に両替できる」と書いたけれど、それはあくまで、普段いろんな人に与えまくっている“その人の信用”が両替できるだけの話で、よく知らねーヤツが、ただただ数字だけ持ってきても、その数字は両替できない。

「そもそも『お金』なんて幻想なんだから、盗むことができないものを『お金』にしてしまった方が無駄が少なくて(管理コストが安くて)いーじゃん」という一言からレターポットは生まれたかどうかは、当時も酔っ払っていたので定かではないが、つまり、そういうことだ(説明が面倒臭くなってきたので、頑張って理解して!)。

そんなこんなで博多の朝。
昼から大阪で仕事なんだけれど、その前に一瞬だけ地元(兵庫県・川西市)に帰る。


Facebookで「誰か土地ちょうだい」と呟いたところ、「いいっすよー」と土地を提供してくれる人が現れた。

評価されているのかもしれない。


ご意見&ご感想はレターポットで。