先日、
チャイルドセラピスト講師の勉強会に
参加した際に、
(定期的に講師の先生方と学ぶ時間があるのです💡)
つい子供に「やれやれ!」
言い過ぎてしまう問題についての
話題になった時。
「やれやれ」言ってしまいたくなる、
その奥にある気持ちの言語化について
お話しをお聞きしました。
なんで「やれやれ」
言いたくなっちゃうんだろう?
その理由を考えてみたことってあったかな?
親の気持ち、本音を言語化してみると…
子供がやらないと、”私が”困るの!
だったり、
”親の(私の)”言うことを
聞いておけば間違いないのよ!
だったり、
「こうなって欲しいから」という期待
だったり…しないかな?
あなたがこうなってくれると、
これができるようになると、
”私が”嬉しい。
少し大袈裟に言うと、
(拡大して言うと)
”私を”喜ばせてよ!
という気持ちが隠れてたり。
そんな気持ちを隠し持ったまま、
子供に「やれやれ!」言っても
子供は動かない。
「うーん、なんか違う気がする🤔」
「本当に、自分の為に言ってるのかなぁ?」
と、違和感。
言葉の奥の気持ちを嗅ぎ取られてる可能性大!
こういう想いで放つ言葉では
目の前の相手は動かない。
じゃあ、どうしたら?
そういったシチュエーションに
ぶつかって、乗り越えてきた講師の先生方が
口を揃えて言うのが、
「子供を信頼して見守る」
ということ。
ガミガミ、手出し口出ししない。
「やれやれ!」言わなくても、
勝手にやるようになる。
待つ!
これをやるとね、
本当にビックリするくらいの花を
勝手に咲かせるから🌸
と。。
改めて、
私自身の言葉の奥の気持ちを探ってみると
「期待にこたえて欲しい」
という気持ちがゴッソリあることが
分かりました。😱
日常生活の中で、会話の中で、
娘に対して「期待」をどれだけ押し付けて
いたことか…
勉強会終了の際の感想コメントとして、
一人の先生が
「小学生なのに結果を求められて
可哀想だなぁって…」
と仰っていた言葉が、
いや、本当に、その通りだ!
と思ってしまって。
私が小学生の頃って
期待されてたかな?って😂
毎日遊んで、遊びまくって、
宿題や勉強は、ほどほどもほどほどで。笑
結果を出せるように、
「出したい」と自分で思えるように
なったのなんて、
中学生、高校生になってから。
それも、
俳優という仕事を始めるようになって
段々と芽生えていった感覚。
自分が中高生で
ようやく分かるようになったことを、
今、やれ!分かれ!
と小学生の娘に押し付けようとしてたのか〜
と。
こんな風に思えるようになったら、
「勝手に期待するなー!」
「勝手に期待して、裏切られたと思うなー!」
と、娘の叫びが
どこからか聞こえてきたような気がしました🤣
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夏の香川旅行の写真を見返していて、
ふと、「子供を見守る」って
こういう距離感なのかな〜と。
前を行く子の背中は、
一年前より、半年前より、
確実に大きくなってるし、逞しくなった。
こちらが声をかけなければ後ろを振り返る
こともなく。
常に一緒に道を探す必要はなくて、
子が後ろを振り返った時に、
「ここに居るよ〜」
と手を振ってあげられたら。
「それでいいのか」と思えた、旅の一コマ。
香川旅行のことも、アップしていきますね✨
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今日も一日、お疲れ様でした〜!
おやすみなさい🌙