失敗を語るということ | nishicapiのブログ

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お恥ずかしき人生を送ってまいりました。

失敗の数々、取り返そうと必死になりかえってドツボにはまったりを何度も何度も繰り返しました。

 

 

 

 

馬券

競走馬への出資

銘柄選び(株式)

転職・開業

 

どれもこれも100点満点ということは決してありませんでした。

今では満点じゃなくても、欠点よりもむしろ良い面に光を強く当てるように心がけています。

ただし、もっとできるのにやらないことに対しては数字で厳しく評価します。

そうして長い目でみると、トータル損も得もないというのが実感です。

むしろ揺れ動いた分だけ楽しんだと思えば、どんな生活様式にもそれなりの維持コストはかかることでもあるし、むしろトータルプラスかなとも思います。

あのときはそれはそれは「手痛い」歌舞伎町でのぼったくり被害も笑い話です。

 

失敗のデータベースは、成功法則(千差万別でケースバイケース)よりも汎用性が高いのではないかと考えます。

あるいは、失敗を語り、仲間同士で教訓を共有することは、世の中の風通しを良くする「布施」になります。

 

※布施:「善い行い」のひとつであり、托鉢僧に食事や金銭を寄付することですが、それだけでなく、寄付する経済的余裕がない場合は、明るく笑顔であいさつすることも人々を幸せにする布施になると言われています。

また、お寺に葬儀や戒名の謝礼としてつつむ金銭のことを指す専門用語にもなっていますが、仏教でいう「布施」の本来の意味は、人に親切にすることです。

当たり前のようにいつも他人に親切にして、さらっと忘れてしまうのが格好いい生き方なのかなと思います。

 

 

 

 

 

 

凝り固まった考え方はリスクです。

進化論では、強いものが生き残るのではなく、適応できたもの(=変化できたもの)が生き残り、われわれは現在その結果を目撃しているのです。

 

以前、失敗の本質についても議論しました。

その内容についても、できたら落ち着いて、まとめてみたいと思います。