西尾仁志(1985年~ )
中学時代は努力を積みかねる。
【 @ 塾 : 能開 】
岐阜市金宝町にある能力開発センター(通称:能開)という塾にに通う。
生徒は学年150人くらいいたが、
その中で下位から30番くらいをフラフラする。
クラス分けでは5つのうち、一番下 or 下から二番目。
塾の宿題は、記号問題は(ア)~(エ)を
テキトーに書く!
記述問題、式が必要な問題は
テキトーになんとかデッチアゲル!
⇒うまーく、やったふりする。
もし宿題をやらないと、自由自在で殴られるから怖かった。
辞書くらいの参考書だから、フツーにオモ痛い!
心理的にも痛い!
自由自在中学英語―基礎から入試まで
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織田稔 山田学
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最初は強制的に行かされていたが、
先生の雑談が面白くて、
次第にそれ目当てに、
自分から行くようになりました。
すると、授業を受けることになるので、
うっすら情報が頭を流れる。
ただし、相変わらず宿題はやっつけ作業です。
塾は、勉強のきっかけでした。
【 @ 学校 】
塾で進む進度がかなり早かったせいか、
学校の授業スピードが遅く感じた。
だから、学校の授業の復習はできた。
毎回の期末テストは・・・
英語 約 75点
数学 約 90点
国語 約 75点
理科 約 85点
+社会 約 85点
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合計 400点台前半
偏差値 60 くらい
授業は積極的に参加。
苦手科目については、
その教科係になり、先生と仲良くする。
そのおかげで、内申は・・・
【9科目】×【 5 or 4 】= 【 42~43 】
◆中学1年生◆ - 内申35 ↓
◆中学3年生◆ - 内申42 ↓
だけど、それは学校での努力があったからです。
天性の優等生ではありません。
泥臭い優等生です。
【 @ 高校受験 】
中学3年生の最後の実力テストでは
5科目合計350点。
しかし、当時合格ラインが450点だった
岐阜高校に合格することができました。
中学最後の三者懇談では担任の先生に
「現状では危ない状況だけど、志望校を下げない方がいい」
とリスクある舵をとることを後押ししてもらいました。
それは内申という後ろ盾があったからかもしれません。
そして、受験当日・・・
自分ではうまくいったのではないかと思った。
合格発表日・・・
倍率1,04 だったこともあったのかもしれないが、
合格できた。
一方、塾で上から2番目のクラスにいる優秀な友達が
落ちるという波乱もあった。複雑。
後日・・・
実際に何点獲得できたのかを、
高校に開示してもらった。
すると・・・
合計 3 9 8 点
合格ラインとされる点数は450点です。
ギリギリの合格だったんだと冷や汗が出ました。
でも、合格は合格に間違いない。
2001年4月 岐阜高校 入学です。