今日は曇り空でしたので夕暮れには少し早い時閒に、ヨハンとトマーゾは狩りを始めることにしました。
「每日かうも上手く獲物が取れるとなんだか物足りないやうな氣がするな」ヨハンが贅澤なことを言つてゐます。
「ひもじい思ひをするよりも、よつぽどマシだろ?そんなことを言つてると本當に獲物がゐなくなるかもしれないよ」トマーゾは窘めるやうな口調です。
「いやあ、そりや困るよ。ちよつと思つただけさ。每日頑張つて狩りをして、ありがたく獲物をいただくよう」ヨハンは慌てて言ひました。
「さうさう、それでよろしい」トマーゾは耳まで裂けた大きな嘴をキュッと歪めて笑ひます。
「ちぇっ、威張つてらあ」ヨハンが拗ねたやうに言ひました。
「ふふふ、ぢやあいつもどほりの場所で」トマーゾは、なお笑ひながらさう言ふと飛び立ちました。
「わかつたよ。よろしく賴むぞ!」ヨハンは少し偉さうな物言ひをし、トマーゾを見送るとトコトコと藪の中へ消えていきました。
空に上がつたトマーゾは耳まで裂けた大きな口で蟲を食べ食べ森の空を巡回してゐます。
ちやうど口に入つたカブトムシをムシャムシャと頬張りながら今夜の獲物の品定めをしてゐます。
廣い森の全てをまだ知ることのないトマーゾとヨハンでしたが、獲物を捕らへるには充分な場所にふたりはいるのです。
ふたりにとつて今いる所が全てなのでした。
森を仔細に見渡すトマーゾは低木の野原に黑い影を見つけました。
白つぽい耳がひょこっと動きます。
茂みで木の實を食べてゐるマツテンです。
「よし、行くぞ」トマーゾは獨りごちるとヨハンにも聞こえるやうに大きな鳴き聲をあげました。
今日はずいぶんと早く狩りを終へられさうだと思ふと、鳴き聲にも力が入ります。
マツテンによく自分の姿が見えるやうに、トマーゾは羽を目一杯開いて羽ばたきの音を響かせました。
マツテンはトマーゾに氣づくと大慌てで逃げ始めます。
トマーゾはもうすつかり手慣れた樣子でマツテンを追ひ立ててゐました。
もうすぐヨハンのゐる場所です。
その時「タッアーン!」と大きな破裂音が森に響き、トマーゾはクルクルときりもみのやうに空から落ちていきます。
それを見ていたヨハンは驚いてトマーゾのもとへ驅けつけます。
「トマーゾ!どうした?」ヨハンがトマーゾの側へ近づいた時、また「タッアーン!」と大きな破裂音がして、ヨハンはもんどりをうって倒れました。
トマーゾもヨハンもわけがわからず、軀をピクピクと震わせてゐます。
「をかしいなぁ、羽に力がはいんないや」トマーゾはなんとかヨハンのはうを向きました。
「トマーゾ、大丈夫か?俺も變な感じなんだ。うまく步けさうにないや」ヨハンはそれでも起き上がり、這ふやうにトマーゾの傍らまでいきました。
ふたりの息が荒く響いてゐます。
「ヨハンも大丈夫かい?今日の狩りは失敗しちゃたよ」トマーゾの大きな口が力なく笑つてゐます。
「こんな日もあるさ。それにしてもなんだか疲れて眠いな」
「ああ、眠いね。ボクも疲れたよ」トマーゾの聲は絞り出すやうです。
「今日はもう寢ようか。トマーゾとふたりで眠るのは初めてだよな」ヨハンはさう言ふとトマーゾの軀の上に自分の顏を埋めるやうに橫になりました。
「さうだね、かういふのもいいね。それにしても寒いね」トマーゾの聲が弱々しく消えるやうです。
「さうだな、とても寒いな。ツンドラみたいだ」ヨハンの聲も掠れて震へてゐました。
「でもヨハンの毛は溫かいね」
「トマーゾの羽もあつたかいさ」
ふたりは重なつたまま、ブルっとひと震へすると、それっきり動かなくなつてしまひました。
薄暮の森の靜寂の中に、ふたりの軀と口から赤い生命が、どくどくと流れ出して地面を染めてゐます。
森と大地はそれを吸ひ込み、ふたりの命の燈火が消え去つていくのを、ただ靜謐が包み込んでゐるだけでした。
