〓先週末のフィギュアスケート・グランプリシリーズ、フランス大会の男子シングルでは、フランスの
ブリアン・ジュベール (ブライアン・ジュベール)
が優勝に近いと目されていたのに、カゼで欠場でした。
〓ここのところ、
ガリア-フランク王国-フランス
というラインをいろいろ調べて、文章にしていたので、ちょいと 「ジュベール」 選手の姓が気になったんですね。というのも、
-bert [ - ' ベール ]
という語尾を持つ姓は、通常、ゲルマン語起源だからです。多くは、フランク王国時代に、現在のフランスの地に移住してきたフランク族などのゲルマン人の 「男子名」 が起源です。もっとも、ゲルマン語起源の姓の持ち主だからといって、先祖がゲルマン人とは限りませんが。
〓 Joubert [ ジュ ' ベール ] という姓は、 Jaubert [ ジョ ' ベール ] という姓とともに、
gaut- [ ガウト ] 「ゴート人」。ゲルマン語 (古フランク語か?)
+
-bert [ ベルト ] 「輝かしい」。ゲルマン語 (古フランク語か?)
↓
Gautbert [ ガウトベルト ]
↓
Gaubert [ ギャウベルト ]
↓
Jaubert [ ヂャウベール ]
↓
Jaubert [ ジョ ' ベール ] → Joubert [ ジュ ' ベール ]
という方法で語形成されています。この名を持つヒトたちは、フランク人ではなく、ゴート人だったかもしれません。
〓 -bert という姓や名前の語尾は、フランス語に限ったことではなく、英語やドイツ語にも見られるものです。というか、ゲルマン語起源なので、英語やドイツ語のほうが本家なのですね。
Robert 「ロバート」。“輝かしい名声”
Albert 「アルバート」。“輝かしく高貴な”
Hubert 「ヒューバート」。“輝かしい心”
〓この -bert の正体は何か? 端的に言ってしまうと、
英語の bright 「輝いている、輝かしい」
に当たる単語なのです。
【 bright は、男子名に多用された 】
〓英語の bright は、
*berχtaz [ ' ベルふタズ ] 「輝かしい」。ゲルマン祖語
※ χ は、ドイツ語 Bach の ch、 ロシア語の х [ x ]
にさかのぼります。
〓ゲルマン語派では、この *berχtaz が次のように分裂しました。
bryht [ ブ ' リュふト、' ベオルふト ] 古英語
※ beorht → *berht → *byrht → bryht
beraht [ ベ ' ラはト ] 古高ドイツ語 (現代ドイツ語の先祖)
berht [ ' ベルふト ] 古サクソン語
berath [ ' ベラト ] 古フランク語
bjartr [ ' ビャルトル ] 古ノルド語
baírhts [ ' ベルふツ ] ゴート語
〓古フランク語の berath が、フランス語の -bert の起源と言えます。
〓英語では、 bryht [ ブ ' リュふト ] の h の音が落ちて、代償として y が伸びたようです。おそらく、 brīt [ ブ ' リート ] のような音になったでしょう。「大母音推移」 によって、長母音 ī は、16世紀ごろから 「アイ」 という二重母音になります。なので、現代音は [ ブ ' ライト ] となります。 -gh- は、発音しなくなった [ x ] 音の痕跡として、綴りに残されました。なので、
bright [ ブ ' ライト ]
なんですね。
〓ドイツ語のほうでは、 beraht という単語は、通常の語彙としては消滅してしまいました。現代ドイツ語では、「輝いている」 という形容詞に glänzend [ グ ' れンツェント ] という分詞を使います。
〓しかし、名前の中にのみ、化石のように、この beraht が残りました。
brecht [ ブ ' レヒト ]
bert [ ' ベルト ]
の2形があります。 -brecht が本来の語形で、 -bert はフランス語あるいはフランク語からの逆輸入かもしれません。というのも、 brecht 「ブレヒト」 という語を形成するとしたら、アクセントは
beráht [ ベ ' ラはト ]
だったはずであり、とすれば、 bert 「ベルト」 を形成するのは困難です。
〓ドイツの劇作家 「ブレヒト」 Brecht は、まさに、この単語を姓にしたものであり、
「ブレヒト」 “輝かしい(人)、著名な(人)”
の意です。
〓「アルブレヒト・デューラー」 Albrecht Dürer の名前 「アルブレヒト」 の “ブレヒト” もこれです。この Albrecht という名前は、 Albert と同源のものなんですね。もっとも原形に近い語形は、 Adalbrecht [ ' アーダるブレヒト ] 「アーダルブレヒト」 です。
〓現代ドイツ語に edel [ ' エーデる ] 「高貴な、貴族の」 という形容詞がありますが、これが Adal- の正体です。 adal 「アーダル」 の2番目の -a- が弱化して -e- になり、 adel 「アーデル」 になり、さらに、弱化した -e- がアタマの a- を浸食して edel と音を変えたものでしょう。「エーデルワイス」 (高貴な白) の “エーデル” です。
〓固有名詞というのは、しばしば、古い発音や語形を化石のように残すものですが、 Adal- もその一例です。途中まで変音した Adel- という語形も使われます。
〓「ハイジ」 の本名である、「アーデルハイド」 の “アーデル” はこれです。
本名は Adelheid [ ' アーデルハイト ] です。 Heid + -i (愛称語尾) で 「ハイディ」 です。
モデルの Heidi Klum 「ハイディ・クルム」 も同じ名前です。
オーストラリアの 「アデレード」 Adelaide も同源の女子名に由来します。
〓よって、 Albert の系統のドイツ人の名前は、
Albert 「アルベルト」 2,630,000件
Albrecht 「アルブレヒト」 2,130,000件
Adalbert 「アーダルベルト」 910,000件
Adelbert 「アーデルベルト」 166,000件
Adelbrecht 「アーデルブレヒト」 3,210件
Adalbrecht 「アーダルブレヒト」 1,120件
※ Google ドイツ、ドイツ国内限定の検索結果
の6通りがあることになります。
〓フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルなどでは、こうしたバリアントを持たず、一様に、
Albert, Alberto
で済ませてしまいます。英語がこの方式をとるのは、フランス語の影響と言っていいでしょう。
【 ゴドーを待ちながら 】
〓ところで、ベケットの有名な戯曲に、
『ゴドーを待ちながら』
があります。主たる登場人物は、
Wladimir ウラジーミル
Estragon エストラゴン
Godot (一度も登場しない) ゴドー
の3人です。 Wladimir というのは、スラヴ人の名前です。というより、歴史上、初めて 「ウラジーミル」 を名乗ったのは、キエフ大公国の 「ウラジーミル1世」 ですから、これは、
ロシア人の名前
と言っていいでしょう。綴りが W- で始まるのは、かつてのロシア語のフランス語綴りの特徴です。 Estragon 「エストラゴン」 は、香辛料のタラゴンのフランス語名ですが、フランス人の姓にも名前にも Estragon というのは存在しません。
〓たまに、ゴドーがやってこないことを告げに来る Pozzo 「ポッツォ」 というのは、イタリア語で 「井戸、縦坑」 のことです。
〓 Godot いう姓がナンであるのか、というのは、サンザン議論されているようですが、
フランスには Godot という姓は実在
します。社会保険のために統計が取られているので、今現在、888人の Godot さんがいることがわかります。
〓この姓は、ゲルマン語の Godo に、息子を示す指小辞 -t が付いたものであろうと考えられます。つまり、 Godot ゴドーさんもゲルマン系らしいのですね。
〓この Godo という男子名は、「神」 というコトバに由来するものです。
*ȝuðam [ ' ぐざム ] ゲルマン祖語
god [ ' ゴッド ] 古英語、古サクソン語
got [ ' ゴット ] 古高ドイツ語、中高ドイツ語、古フランク語
Gott 現代ドイツ語
goð [ ' ゴず ] 古ノルド語
guþ [ ' グす ] ゴート語
〓ゲルマン人の名前が Godo 「神」 であるのは、さほど特別なことではありません。古フランク語では got 「ゴット」 ではないか、という指摘もありましょう。名前の略称をつくるために、語末に -o を添えると、 -t は有声化して -d- となります。
〓 Godo 「ゴド」 というのは、おそらく、フランク人の男子名だったんでしょう。おそらく、これは日ごろ呼称に使う語形で、本来は、 Gott~ という長い名前だったはずです。
Gottfried 「ゴットフリート」
Gotthard 「ゴットハルト」
Gottwald 「ゴットワルト」
Gottwin 「ゴットウィン」
〓主要な名前だけでもこれだけあります。こういう名前のフランク人たちが、ふだん、「ゴド」 と呼ばれていたわけです。
〓ドイツの文豪 Goethe ゲーテという姓も、 Gott~ という男子名の略称と考えられています。現代語では、 Gott~ という名前の略称は
Götz [ ' ゲッツ ]
ですが、 o がウムラウトを起こしていることから、かつては、語末に -e があったと考えられます。
〓 Goethe という綴りは複雑ですが、標準化してしまえば、
Göte [ ' ゲーテ ]
です。これは、たとえば、 Goto 「ゴート」 というような呼び名があって、アクセントのない語末の -o が弱化して -e となり、その -e が逆進して -o- を変音させた、というふうに理解できます。
〓ところで、ゲルマン人の中で、もっとも長距離を移動し、紆余曲折の歴史をたどった民族に、
ゴート人
がいます。英語で Goth [ 'ɡɑθ ]。 後期ラテン語で Gothus [ ' ゴトゥス ]。
〓彼らの自称は、
*Gutans [ ' グタンス ] 自称の部族名
でした。
〓この部族名は、しばしば、スウェーデンの地名 Gottland 「ゴットランド」、あるいは、 Göteborg 「イェーテボリ」 に比定されてきました。ゲーテの名前なんぞもからめると、ゲーテはゴート人で、イェーテボリの出身で……なんてオトギバナシができそうですが、そういうわけにもいきません。
〓ゴート語は、ゲルマン語派の中でも、東ゲルマン語群に分類され、北ゲルマン語群たるスウェーデン語などのノルド語系とは一線を劃します。考古学などの成果によると、ゴート人の故地はバルト海を渡ることはなく、その手前のドイツ平原であろう、と考えられるそうです。
〓そこから円弧を描くように、
ウクライナ → 東ローマ → 西ローマ → イベリア半島
と大移動を行い、この民族の一派は、最終的にイベリア半島の地で、西ゴート王国を開花させることになります。
〓ゴート語で 「神」 は guþ 「グス」 でした。斜格では gud- という語幹があらわれます。
〓いっぽう、ゴート族の自称する民族名は *Gutans 「グタンス」 でした。これは、「神」 God に当たる単語ではなく、「良い」 good に当たる単語をもとにしているようです。
*Gutans 「グタンス」=「良き人々」
※別の解釈もありますが、「神」 と関係ないのは同じです
という自称です。
〓そして、この *Gutans 「ゴート族」 のゲルマン祖語形が *Gautoz 「ガウトズ」 と類推され、そして、ここから、
ブライアン・ジュベールの Gaut-
が出てくるわけです。