おはようございます。
この記事は10年前のものです○┓ペコ
 
☆皇紀二六七四年八月十二日(火)
(西暦2014年、平成二十六年、昭和紀元八十九年、大正紀元百三年、明治紀元百四十七年)
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🌸今日の誕生花と花言葉
名 称 ニチニチソウ(日日草)
花言葉 友情・楽しい思い出
 

 

 

■あの飛行機事故が起きた時、私は沖縄にプライベートで行ってました!
あれから29年が経ったんですね・・・
過去記事です「産経新聞」より↓
【主張】日航機事故25年 「空の安全」改めて誓う時
2010.8.12 03:14
このニュースのトピックス:主張
 日本航空のジャンボ機墜落事故から、きょうで25年になる。幸いにして御巣鷹(おすたか)の事故以来、日本の航空会社は大惨事を起こしていない。死者520人を出した世界最悪の事故を教訓として学び取り、安全運航に努めてきた成果だろう。
 とはいえ、四半世紀が過ぎたなかで遺族は高齢化し、御巣鷹の尾根への慰霊登山ができなくなった話も聞く。日本航空も、事故そのものを話でしか聞いたことがない社員が大多数になった。
 大切な肉親を突然奪われた悲しみを、次の世代に語り継いでゆくことが重要だ。日航をはじめとする航空会社は、社員研修に遺族らを招いて講演してもらうなど、さらなる安全意識の向上が求められる。すべては事故の悲惨さを知ることから始まるからだ。
 国土交通省は、新たに航空事業への参入を認めた企業の経営者に御巣鷹山へ登山するよう求めている。安全運航に対して厳しく自覚を促すためだというが、大切なことである。
 日航は今年1月に経営破綻(はたん)し、経営陣を大幅に入れ替えた。路線縮小や人員削減などを含む更生計画が、8月末にも東京地裁に提出される予定だ。
 しかし、独り立ちへのハードルは低くない。政官とのなれ合いなど「親方日の丸」的な甘い体質や、経営の足かせとなってきた労働組合問題などが改善できない限り、再生はおぼつかないだろう。さらに何より、安全を最優先する企業であらねばならない。
 日航はかつて、遺族ら「8・12連絡会」が求め続けてきた事故機の残骸(ざんがい)の保存と展示を拒んだ経緯もある。運航トラブルが多発して平成18年4月、羽田空港近くに「安全啓発センター」を設立して公開に踏み切ったが、惨事を繰り返さない決意こそ再生の原点にしなければならない。
 日本の航空需要は増え続けている。事故の起きた昭和60年、国内線・国際線合わせて約5030万人だった輸送人数は昨年、約9930万人と倍近くになった。「空の安全」は、ますます重要になっているのである。
 前原誠司国交相はきょう、御巣鷹山に慰霊の登山をするという。航空関係者は25年を節目として、あの事故を風化させることなく恒久的な安全運航への決意を新たにしてほしい。
合掌
 
「今日は何の日」
◇日中平和友好条約調印の日
1978年(昭和53年)のこの日、日本と中国の間で「平和友好条約」が調印され、10月23日に批准書が交され、日中の国交正常化が実現した。発行はこの年の12月23日。
 
◇君が代記念日
1893年(明治26年)のこの日、文部省が小学校の祝祭日の儀式用唱歌として公示。「君が代」は「古今集」の読み人知らずの和歌にイギリス軍楽隊長フェントンが曲を作り歌っていたが、メロディと歌詞が一致していないという理由で宮内庁雅楽課の林広守が現在の曲を製作した。
 
◇航空安全の日,茜雲忌
1985(昭和60)年、日航機123便が群馬県御巣鷹山に墜落し、520人の犠牲者を出しました。生存者は4人でした。金属疲労による圧力隔壁破壊が原因とされています。 遺族らがつくる「8・12連絡会」が編集したメッセージ集のタイトルから「茜雲忌」とも呼ばれます。
 
◇晴れの特異日
晴れの確率が高い日。
 
by こよみのページ(http://koyomi8.com/)より