母の死
今年は、自分の歴史とって大切な人がなくなるのが目立ちます。自分も古希を超えたので、致し方ないが、三日前に母が亡くなったのは自分の人生の大きな出来事でした。
母は、18歳で広島県の山奥に嫁ぎ72年間過ごしました。長女(妹)長男(私)の子供二人、孫五人、ひ孫七人に恵まれた。一年三ヶ月前に父が90歳で旅たったが、母は100歳ぐらいまで元気だろうと思っていた。それほど、頭もシャープで体力もあった。しかし、四ヶ月前に、胆嚢がんが見つかり、あれよあれよというまに、あの世に逝ってしまいました。何度か京都から実家に帰りました。二日前も、実家に帰り近くの病院に見舞いに来ました。長男と分かってくれました。しばらく大丈夫だろうと思った矢先の出来事でした。昼過ぎの仕事を済ませて、新幹線、高速バスを乗り継いで自宅に着いた途端、呼吸が落ちたとのことですぐさま病院に向かいました。
病室には妹をはじめ八人が集まっておりました。下顎呼吸もだんだんと弱まり、呼吸も止まりました。これまでかと思った時に、二度にわたって母の唇がわずかですがはっきりとわかるほどに、何かを喋りました(のように見えました)。「ありがと」と言ったように思えました。こんなことって実際にあるんだ!と、医師になって44年初めて母が教えてくれました。
通夜、葬儀が終わりました。棺には、母が好きで自宅の庭先に咲いた百合を入れました。ありがとうございましたと声かけをして荼毘に伏しました。
おばあちゃん大好きのオーストラリにいる孫が、メールを寄せてくれました。
孫のメール
おばあちゃんへ
保育所からの帰りのバスの中、編み物教室からの帰りのおばあちゃんがたまに乗ってるのに会えるのがとても楽しみでした。 一緒に家の下で降りて坂道を登って家に着いたら、いつもおやつを食べさせてもらってましたね。 チョコやクッキーよりも、湯がきたての甘いとうもろこしや川で冷やしたスイカなど、おばあちゃんが畑で育てた美味しい野菜たちをよく覚えています。
正月の魚の骨でとった出汁のお雑煮、春には学校の帰り道で摘んできたふきのとうで作った天ぷらや蕗味噌、ミニトマト、きゅうり、アスパラガス、甘茶蔓のお茶、さつまいも、豆餅、数えきれないほど、美味しい思い出がたくさんあります。下田の畑で採れたこんにゃく芋から作った手作りこんにゃくをもう一度食べたかったな。
一緒に出原で過ごした18年間、おばあちゃんが家にいなかった事はなかったように思えます。
今度帰る時には、もうそこには居らんのじゃね。
じいちゃんが寂しがってると思うから、会ったら焼酎の湯割りを作ってあげんさい。ばあちゃんは、一口サイズの麒麟ビールで乾杯したらどう?
豆炭のコタツにでも2人で入って、これまでと同じく、古川家一族を見守ってください。 わしらはちょっと遠いけど、よろしくね。
安らかにお眠りください。 ありがとう。
