安藤美由紀と申します。

出身は、岐阜県高山市です。高山祭りが有名です。現在土岐市に住んでいます。土岐市は陶器の街、特に私の住んでいる町は、どんぶりが有名でどんぶり会館やどんぶり祭りなどもあります。


年齢は、1970年生まれで52歳

11月13日が誕生日です。

つい最近岐阜にいらした、木村拓哉さんと同じ誕生日ですニヤリ


私の家族は、夫と3人の子供との5人家族です。

大学生1人と、高校生のtwins(男女)がいます。


中学を卒業し、准看護学校に進学しました。高校は、准看護学校に通いながら、通信制の高校に行きました。昔はそういう所があったんです。ただ単に行かされた高校だったので、授業はほとんど覚えていません爆笑


私は、准看護学校を卒業し、中規模の病院で働きはじめました。そこでは透析、手術室、整形外科病棟、混合病棟と勤務しました。外来応援も行っていましたが、耳鼻科、眼科、小児科と色々な科を経験させていただきました。


そして最後の混合病棟に変わった時、私が将来この助産師と言う道を選ぶきっかけをくれた病棟でした。なんとこの混合病棟、産科があったのです。助産師の人数がいない為、お産の数がどんどんと減って行きましたが、無くすわけにもいかず、私にも助産師の学校を受けてほしいと上司からいわれ、たまたま受かってしまったので、助産師になったと言う経緯があります。


ただ、自分の身には、産科にまつわるエピソードがついてまわりました。

まずは、不妊です。若い頃はさほど気にしていなかったのですが、中々子供が出来ず、7年目にしてようやく妊娠した時、子宮よりも大きな筋腫が出来ていました。そりゃー出来にくい訳です。

その筋腫は、妊娠と同時に血流豊富になるのを良い事に、どんどん大きくなりやがて赤ちゃんの頭程の大きさになって行きましたガーン16週、仕事をし終わった頃から、お腹が焼ける様な痛みがしてきました。絶対おかしいと直感した私は、翌日から、入院安静になり地域の周産期センターに入院する事になりました。筋腫の血流が途絶えて、筋腫が腐ってきたのです。6人部屋で、窮屈に過ごしたのを覚えていますチュー

しかし、そのおかげで経膣分娩出来ました。

二人目は8週で流産!みんなの前では強がっていた私は、旦那の前で大泣きしました。

そのおかげで、北海道旅行に連れていってもらいました。


北海道美瑛にて


その後も、不妊で内服と人工授精でtwinsが出来ました。二人目流産した子が戻って来てくれたんだと思っています。

とはいえ、twinの妊娠中は大変で、32週で子宮口が開きはじめ切迫早産で入院する事になりました。上の子が5歳の時の事で、近くの周産期センターには空きがなく、長良医療センターに入院する事になりました。当然上の子と別れるのが辛くて、泣きまくりましたえーん私が余りに泣くので、上の子は、私の前では我慢し、車の中で泣き疲れて寝たことを旦那から聞き、しまった〜ガーンガーンガーン

ごめんね〜!泣かせてあげられなくて〜ショボーンこんなおたんちんな母ちゃんでした。


しかし、1週間に1度の旦那の休みには、連れて来てくれて、子供に会えた時には本当に嬉しかったし、入院中も今となっては良い思い出です。


長良医療センター病室にて


そしていよいよ、twins帝王切開の日

ビデオや写真を撮っても良いように、分娩室で手術を受けました。






帝王切開

生まれたて!


この子達も、今では高校生!

色々な育児体験談もありますが、それらは私のサロンにいらして、聞いて下さいね爆笑


こういう色々な体験は、今のサロンを立ち上げ、地域で女性を応援するための基礎になったのではないかと思いますラブ


助産師になってからも、色々な経験をしました。現在サロンを立ち上げ、妊活中の方々が妊娠、出産、育児をずっと見守れるサロンになれる様に

していきたいです照れ


長々と自己紹介、最後までお付き合い下さいましてありがとうございます爆笑


私の育児体験お聞きしたいかた、是非サロンに足を運んでいただけたら幸いです。


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