孟母三遷の教え | Earth Code~ほしと あなたを つなぐ場所

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チベット医学の脈診であなたのエネルギーを読み解き、
身体だけではなく、心と魂も癒すオーダーメイドのトリートメントを提供します。

真由美です。

 

去年インドから帰ってきて、出逢う人の種類が変わってきています。

 

チベット医学を教えてくださる先生はとても魅力的なんだけど、先生だけじゃなくて、人間的に魅力がある人とお付き合いをさせていただくと、自分の思考パターンや行動が少しずつでも確実に変わるのを実感する。

 

何をもって「カリスマ」というのかは、人によって違うと思うけど、わたしは

 

・豊かで

・能力があって

・他人に対して寛容で

・穏やかで

・とてもよく笑うひと

 

だなあと感じる今日この頃。

 

「豊かさ」というのは、精神的にも金銭的にも、ということです。

 

これは「年収いくら以上」というのはわからないけど、少なくとも毎日のご飯の心配をしたり、欲しいものを我慢したりせずに必要なものが手にできるレベル。

 

精神的にも安定しているから物欲にまみれて次々いろんなものを買いあさらないし、良いものを選んで大切に使える。

 

金銭的な豊かさと精神的な豊かさはとても密接な関係にあるが、イコールでないのはまた面白い。

お金あっても精神的に不安定なひとはいるし、本当に物欲がなくて、精神的にとても豊かな人もいるから。

 

でも、わたしは両方ともあって、物質的な豊かさもきちんと受け取れている人に感じる「調和」というのが、一番見ていて安心する。

 

 

「能力がある」というのは、もともと持っている素材もあるんでしょうが、「必要な努力を適切にして、それを身につけている」ということです。

そして、絶え間なく努力というか勉強を「ふつうに」し続けていくから、どんどんレベルアップしていく。

 

私が今まで逢った(というか拝見した)なかで一番カリスマ性を感じたのはダライラマ様ですが(去年殆ど至近距離で拝見した。そのあと法話を拝聴した)、最終的に目指したいのはあそこです。

でも、人間出来ることとできないことがあるんで、まあそれはそれとして、そのほかにお会いした何人かの「カリスマ性のある人」というのを思い返すと、やっぱりいつも同じ雰囲気なんだよね。

 

「他人に対して寛容」というのは、自分に余裕がないとできないと思う。

ここと「穏やか」というのは結構対で、自分の感情に振り回されない。

 

自分に自信があって、しかも謙虚だなあと感じる。

 

人間だから感情に振り回されることもあるんだろうけど、それをコントロールする技術を学んでいる。

 

それが、「信仰」だったり「瞑想」だったり「内観」だったり、それは人によって違うしなんでもいいんだけど、まあ気分屋でいつ怒り出すのか、怒鳴ったり手を出すのかわからないひとと一緒にいるととても疲れるので、やっぱり穏やかな人といたいなあと思う。

 

感情に振り回されるのは、自分も疲れると思うんだよね。

 

わたしも結構すぐに「イラッ」としたり、テンションが異様に上がったり下がったりするけど、感情の浮き沈みが激しいことは個性でも何でもなく、単に己の鍛錬不足だと思うんで、最近は特に気をつけています笑

 

あと、「笑う」というのは、楽しかったりうれしい時は当たり前で、一見へこんだり腹が立つようなときに「笑えるか?」ということです。

 

当然、危害を加えられて誰か(自分を含む)を守るようなときや、毅然とした態度でいるべきときには怒ったり、抗議をするのはとても大事だけど、そこまででもないのに怒鳴ったり、悪口を言ったり、不機嫌になるのはみっともないなあ、と。

こういう人たちを見ていて身につまされるのです。

 

どうでもいいときに気分をあらわにしてる人に限って、「本当に怒るべき時」や「『NO』を伝えるとき」に限って、ヘラヘラその場を誤魔化し要らないストレスや違和感をため込んで、結果的に余裕のない人生(と人格)を創りあげていくなあ、ということに気づいたので。

 

 

昔は飲み過ぎて朝しんどい→体調が万全でないけど仕事頑張る→無理をしているのを誤魔化すためにまた飲んで誤魔化す→なんとなく人生楽しい気がする→でも身体はしんどいから集中力が散漫になる、みたいな悪循環に陥っていても、「悪循環に陥っている」ことにすら気づけなかった。

 

「働いて、オーバーワークして、しかも飲みに行ってる私、カッコいい――」みたいな。

 

今は睡眠大事。お酒は戦わない。仕事もオーバーワークしない。違和感ごまかさない。

 

余計な人間つきあいしないから、無駄なエネルギーかけずにストレスも激減。

 

他人のこともあんまり気にしなくなった(そんな暇あったら自分の体調とか気持ち具合を気にする)。

 

そしたら、結構体力が余ってきて、自分が本当にしたいことをきちんとできるから、毎日が本当の意味で充実してきた。

 

 

余力があるから、今まで気づきたくなくて「無かったこと」にしていたけど確実に自分の中にこびりついていた「不安」や「不満」や「さみしさ」なんかの、もろもろのマイナスな感情と向き合えるようになり、そこも見つめて認められるようになってきた。

 

自分にとって都合の悪い感情や感覚を、きちんと認めるのは余裕がないとできない。

あとは、自分に対する信頼感。

 

そして、そのためには肉体的な体力と健全な精神がとても大事になる。

 

結局、そのくり返しでしか純化していけないんだなあ、と。

 

 

 

そういや、こないだ「島根の刀鍛冶が刀を作る」という動画をYouTubeで見てたんだけど、

 

砂鉄を1200℃という高温で溶かして、それをいったん冷却し、そこから鉄を鍛える(たたく)ことを繰り返して、不純物を極限まで取り除いた「中がさびない、純化した鉄の刀」を精製していくんですね。

 

50kgの砂鉄から15~20kgの鉄しか取れないらしいです。

 

半分以上が不純物!!!

 

 

しかし、そこまで手をかけて鍛えた日本刀はとても鋭く、強くて、美しい。

 

 

ただの鉄が美しい刀になるには、良い刀鍛冶の力と場所が必要で、良いも悪いも人間関係と環境で人は変わるんだよなあというおはなしでした。