坊主と貴婦人とニートの話 | Earth Code~ほしと あなたを つなぐ場所

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真由美です。

 

いきなりですが、心理学の父 ジークムント・フロイトの名前をご存知でしょうか?

 

1856年オーストリアで生まれたフロイトは精神分析学を創始し、現在の精神医学や心理学の礎を築いた人物です。

 

それまで「ヒステリー」などの精神疾患は「悪魔つき」などと言われ、科学的に「治療」として取り組む性質のものとは見なされていませんでした。

 

ほとんど「オカルト扱い」だった当時の精神疾患に対し、1939年にその生涯を終えるまで脳と心の働きについての研究を重ね続け、今日では当たり前に使われる「無意識」という概念を発見しました。

 

表層に顕れる顕在意識は氷山の一角で【人間にはパーソナリティ(人格)を形成する3つの精神機能がある】」と言う説を唱え始めたのは、このフロイトです。

超自我(スーパーエゴ):自我およびイドに対して道徳的な監視や懲罰を与える。この「道徳的価値観」は幼少時の親からの影響が大きいと言われる。≪良心≫に相当し、無意識的に働く。

自我(エゴ):イドの上に存在し、社会生活をうまく進める知恵的役割で、理性的に「イド(快楽的本能の欲求)」をコントロールする。

自己中心的な側面を持つ

イド(快楽を追求し、不快から逃れたい、本能の欲求)

 

わたしは大学で心理学科だったんですが「当時のヴィクトリア朝時代の抑圧性の強い時代、彼のクライアントは上流階級の女性が多かった」という話を聞き、

 

(当時、女性の地位は低く、男尊女卑が当たり前だった。一般人は生きるのに必死で精神なんて患っているヒマもなかっただろうし、金と暇はあるけど自由はなく、責任のある仕事をまかせられない「上流階級の女性」が精神疾患にかかっていたのか―)

 

上流階級の男性ほど好きに自己実現や自己表現ができるわけではなく、抑圧的で無意識の制約を感じながらも生活に困らない。

 

非生産的に1日を過ごし続けることは、人間の精神を蝕むのかもしれない。

 

(現代で精神科に行く人が増えているのは、当時の上流階級の女性的な立場の人が増えているということなんだなあぽっ

 

と思ったのでした。

 

 

 

ところで古来から、環境的に強い制約があるものの「食べるために働く必要がなく」「一日ただひたすら非生産なことをして過ごす」、中世の貴婦人のような生活をむしろ強要されている職業(?)があります。

 

坊主です真顔乙女のトキメキ

 

 

去年ヴィパッサナ瞑想行くために買った「ゴエンカ氏のヴィパッサナ瞑想入門」序文にはこんなことが書いてありました。

世俗のしがらみから完全に解放されて、十日間ほど、人里離れた静かなところで過ごしてみたら、という話がある。

部屋も食事も用意され、世話をする人もいて何一つ不自由しないという。

その代わり、ただ人との接触を避けて、食事やトイレの時以外は一日中目を閉じて一点に注意を集中していればいいというのだ。

あなたはそんな話に乗るだろうか?

 

ヴィパッサナ瞑想のこの話をしたとき、私の周りから3人に「100万貰ってもイヤや。1000万円なら考える」と言われました真顔真顔真顔

 

まあ、「坊主」といっても料理や掃除などの下働きもあるでしょうが、基本的には生活にまつわるお金や食事は信者からの喜捨で賄い、1日中瞑想したり、経を唱えたり、「とりあえず非生産的に過ごす」ことが許されています。

 

実際、1日10時間ただひたすら座っていた時も(非生産的だなあ)と感じた。

 

長い年月をかけてこのスタイルが定着したということは、「中世の貴婦人のような生活は、己と向き合い、内観するのには大変効率的である」んだと思う。

 

 

今まで人類のほとんどは「生き延びるために」働くのが当たり前でした。

 

水道もガスもない時代は、たかが水を汲みに行くのも大仕事でした。

 

暑さ寒さから身を守り、毎日「食べるため」に身体を動かし、料理をするために火をおこし、わけのわからない年貢は高利で請求されるし、天災が起こっても政府が助けてくれるわけでもなし。病気になっても病院なんてかかれもせず、油断すると戦争に巻き込まれたりして、

 

とにかく「生き延びること」に全力で、人間が「働かなくても生きていける」という状態が当たり前になったのはここ2~30年の話なのです。

 

 

非労働者のことを示す「ニート」という概念が出てきたのは2003~4年頃らしいが、それまでこんな生活、上流階級の人間か坊主しかできなかったからな↓ 

はなはなニートとははなはな 

非労働力人口のうち,15〜34歳の未婚で、就業せず、職業訓練・就学・家事や家業の手伝いもしていない若者を指す造語。ブレア政権下のイギリスで命名された概念で,英語ではNEET(Not in Employment,Education or Training)。就業意思を見せない点がフリーターや失業者と異なる。

※ちなみに35歳以上は単に「無職」というらしいえ~ん

 

 

そして「心の時代」とかなんちゃら言われて、精神科とか心療内科もなかなか予約取れず、カウンセリングとかスピリチュアルとか流行って、鬱病が「現代病」と言われるこの時代

人間、制約付きの環境で「食べるために働かなくてもいい」と言われたら、精神病むか、思いっきり内観(瞑想とか?)して悟り開くかの2択しかないんじゃねえかマメルリハ 結ちゃん aya

 

と気づいた。

 

 

 

今さら、電気も水道もガスもない山奥に住んで自給自足の生活したり、後進国に移住して食うものも食わず働くような生活はできない。

 

本当に働けなくなったら誰かしらの援助が受けられたり、生活保護等のセーフティネットも用意されている。

 

貧乏だと思っているかもしれませんが、生活レベルとしては中世の貴婦人なみの(下手したらそれ以上の)便利で快適な生活を送れているわけです。

 


 

北朝鮮の、餓死寸前のひとに前述のヴィパッサナ瞑想の話をしたら、喜んでついてくると思う。(実際1日10時間座っていられるかどうかは別として)

 

「100万貰ってもイヤ」と言えるのは、生活に余裕があるからです。

 

 

 

「平和である程度豊かだけど、自分をどう表現していったらいいのかわからない」「自由にやりたいことをできているわけでもないし、日々の制約ともどかしさを感じる」というのは、人類の過渡期だから。

 

 

これから、わたしたちは、今までまだやったことのない「生活のためではなくて、自分を表現するために生きていく」「本当の自由と創造性を体験する」という段階に来ているんだと思う。

 

でも、そこに行くためには「でも、まだ感じている不自由さ」をきちんと見つめて、どう在りたいのか?どう生きたいのか?と自分に問いかける時間を持つことが大事なんです。

それをしないと、精神的に揺らいでしまう、とても危うい状態でもある。

 

逆に言えば、それまで特権階級しかできなかった体験が、庶民でもできるようになっている現代て素晴らしいし、面白いなあと感じるけどぺこ

 

 

そんなわけで、気持ちが揺らいで病んできたら、ちょっと内観してみるといんじゃないでしょうか?

(環境的に制約はいろいろあるように感じるけど、心は自由なんだな―)ときちんと解かってくると、次の段階(リアルに自由に自己実現していける世界)に進めるような気がしますキラキラ☆