最後に

2023年10月30日

 

長文です。

浪人生の息子が白血病になり入院してから毎日つけていた日記を長々とブログに

挙げてきました。

大学に入るまでという約束なので今回で人間六度の母の投稿は最後になります。

大学に入った年は体力もないのに随分無理をして短期の入院も何回かしました。

海には絶対入ったらだめだと言ったのに入ってしまったり、このころは私の言うことは聞いてくれませんでした。

移植後9年を過ぎ、少しずつですが体力もついてきたようです。

当時の私がたくさんのブログを読み、情報を得てきたおかげで知識をつけることができましたし励みにもなりました。

白血病と知った時は毎日泣いてばかりいました。

治療が始まり、腸がやられ狭窄ができ、手術も不可能だと言われ絶望の中で

救ってくれた三重大の消化管外科の先生たちのことは絶対忘れません。

大学進学もないだろうと思っていましたが、大学生になり一昨年は公募に出した

小説で賞をいただき夢だった作家デビューを果たしました。

なんとかこのまま幸せな時間が続いてほしいと願うばかりです。

 

感謝を伝えたい人は沢山います。

下痢を止めなければと必死だった血液内科の先生

2年間寄り添ってくれた血液内科の師長と看護師

腸の手術をしてくれた三重大の消化管外科の先生たち

最初の病院で知り合い大切な息子のために共に闘った伊勢の病友のお母さま 

私を支え続けてくれた姉、息子のことも本当に可愛がってくれ大学進学が決まった時は東京へ転勤願いを出し

2年間近くに住み、世話をしてくれました。

そしていつ何時も相談にのってくれた幼馴染の看護師の経子

腸がやられ出口が見えないトンネルの中にいた時、ただ「今をしのげ!」と励ましてくれました。

悲しいですが彼女は3年前突然、病気で亡くなってしまいました。

 

このブログを書いたことで、改めて息子が今生きていることが奇跡であると思うし

気が狂いそうな闘病生活の中よく頑張ったと思います。

沢山の支えがあって今があります。

 

腸を手術する病院を見つけたことは、主人にも友人にも褒められますが

これは本当に幸運で、たまたま三重大の消化管外科にセカンドオピニオン外来がなかったから

本人でもない母親が受診してそこで優しい先生に会って、三重大の中の専門の

医師に相談してくれたからです。

 

このブログを読んで、もし、今辛い治療中の方がもう少し頑張ってみようと

思っていただけたならこんなに嬉しいことはありません。

ありがとうございました。

 

人間六度母

 

 

彬へ

ブログを書いたことで辛かった時のことを思い出し書きながら涙がでてきました。

一番辛かった1年7か月に及ぶ絶食の期間

手術をして狭窄はなくなったけど食べられず体重が30キロ近くまで落ちたころ

何度も死にたいと泣いていたとき

気が狂ってもおかしくなかったころ

書くことが支えだったけど、痛くてだるくて眠剤を飲んで眠ることしかできなかったころ

例のないケースで先生たちも大変だったと思うけれど、よく耐えて乗り切ったこと

凄いです。

今小説家としてスタートさせた人生が、いつまでも続くよう応援しています。

 

 

 

いつだったか息子がくれた手紙です。

 

 

*僕の気持ち*

 

 

あれ〜こんな手紙書いたっけ〜?w

ちょっと恥ずかしいな。

しかもなんか読みにくくなっちゃってますが(画像がこれしか残ってないらしい)……そういうことらしいです。

ここは母のターンでしょ。だから長くは書きません。

今まで支えてくれたみんな。

渦巻いていたいろんな呪いと祈り。

耐え抜いた両親。日本の医学。

それと、ここまで読んでくれた皆さん。

本当にありがとう。

 

もしこのブログの続きが気になる人がいたら、

人間六度の活動を、追ってみてくれると嬉しいな。

作家としての”今の僕”は、紛れもなくこのブログの延長線上にいます。

 

拾った命なので大事にしていきたいです。

僕にしか書けないことは、きっとあると思うから。