眠り姫の回旋曲 16話 【最終話】 | 是々非々也

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「しっかりしろよ! よく見ろ! あれはお前のお母さんか? 違うだろ! 」
我を失ったかぐやの表情に気付いた日生はかぐやの肩を握りしめた。

少なくとも観覧車で語っていたかぐやの表情は母親におびえる子供のそれでは無かった。
虚像が溢れる中、かぐやを求めるように現われたロアは人の五倍もあろう姿となっていた。緑はその巨体から日生とかぐやを庇うように位置した。
「あの記憶は母親がロアに壊された後のものだ。あるべき姿じゃない! 」
肩ごしに緑が日生を見た。日生は目線を合わせて頷く。
「その頃にロアは母親から浅上さんへ転移している。潜伏期間は長いが間違いない」
緑の言葉を聞きながら、日生はこの世界でかぐやが話した言葉の一つ一つを思い出した。
彼女の家族を壊した元凶がロアならば、絶対に許す事は出来ない。少しでもかぐやの力にならなければならない。
「思い出せ! お前の好きな花……そうだ、花の名前を教えてくれたのは誰だ? 」
「……おかあさん」
「つらい思い出ばかりじゃねぇだろ? 怒ったりしても、きっとお前を大切にしてた! こんな所でお前を傷つける訳がねぇ! 」
更なる語気に熱がこもった。言葉だけでは無く、日生の体から熱気が立ちのぼり始める。
かぐやを奪うようにロアが手を伸ばす。

壁となった緑が銃を連射した。それをものともしないように巨大な手は緑を弾き飛ばした。鈍い音をたてて緑が壁面に激突する。

緑の端正な顔に苦痛の跡が刻まれた。長い腕はかぐやを奪おうとすくいあげてきたが、日生がかぐやを抱きしめるように庇い、飛びずさる。

視線の端で緑を確認したが、ダメージの状況は読み取れなかった。だが、今やるべき事は一つだ。
「おかあさん…… 」
「思い出せよ、お前なら覚えてるはずだ! 」
日生の熱気が赤く染まり始める。その手はかぐやの肩をしっかりと支え、ロアから視線を離さなかった。宙を泳いでいたかぐやの瞳に僅かずつだが正気が戻り始めている。
「おかあさん……おはなのなまえ……すのう…どろっぷ 」
「かぐや、お母さんの言う事聞きなさい! 」
「おかあさん、あのおはなだいすきだって……かぐやもだいすきだって」
幾度かの瞬きの後、身震いをしたかぐやはゆっくりと正面を見た。

そして脈打つ日生の熱気に合わせるかのように大きく息を吸い込んだ。
「かぐや……一緒に死のう……かぐや! 」
「ちがう! 」
日生から伝わる熱は、ついにかぐやの奥底にある思いを呼び覚ました。
「おかあさんはおこったりもしたけど、かぐやのことだいすきだったもん ! くまさんをくれたのもおかあさん! あたしもおかあさんのこと、だいすきだったもん! 」
かぐやの言葉が響き渡った。拙く、決して大きな声ではなかったが、この空間の支配権を勝ち取るに相応しい意志の力がこもっていた。辺り一面のロアの表情が悲嘆の色に染まる。
「おかあさんじゃない! 」
ダメージが残りつつも、このタイミングを待ったように緑が体勢を整え、日生に合図を送る。
「日生! 」
「おう! いくぜェ! 」
日生はかぐやから僅かに離れると、長剣の切っ先を地面に向けて、強くすり合わせた。金属の悲鳴と共に火花が飛び散る。そのまま日生が切っ先で円を描き上段に剣を振り上げた。火花から生まれた竜の様に、炎が輝く刀身へと絡みつく。激しく燃える炎の揺らめきは、日生そのものであるように脈動する。
炎に飾られた刀身を日生は思いきり真っ向に振り下げた。灼熱の劫火が解き放たれ、空を走る。
「緑! 」
燃えさかる緋色の渦に、すかさず緑が弾丸を撃ち込む。目を細めて引き金を引くその姿は、あたかも念を込めるようにも見えた。
放たれた弾丸を芯に球状の空間が構成され、炎がそこへ吸い込まれてゆく……劫火の星と化したそれは、一面に散らばった鏡の破片も巻き上げ、塵と変えながらロアに迫って行く。
過大に負担がかかるため不用意に使えないが、限定的に物理法則を支配し、特性として日生は炎、緑は重力を操る……その力の複合、これこそが彼らの奥の手だった。
「食らいやがれ! 」
日生が叫ぶ。緑の弾丸が変質したのは超極小かつ超高圧の重力場であり、日生の放った炎を加速させて熱核エネルギーとした、言わば太陽の一撃だった。

灰色の影が震え、蒸発するように焦される。
「ぐわぁあ……アアアアアアア……AAAAAAA……HIAAAA! 」
かぐやの否定により、かぐや自身から完全に隔離されたロアは絶叫と共に、浄化の太陽の力で消滅した。影の残滓すらそこには無かった。
突如、深い振動が辺りを揺らした。衝撃と眩い閃光に耐える為、三人は地面へと伏せた。轟音と共に、空間が弾けた。

彼方まで飛ばされたように思える程遠い感覚の後、何処までも続く青空が優しく彼らを迎えていた。埋め尽くすように広がった小さく白い花々が優しく揺れている。肌を撫でる冬の風が、冷たくも生きている心地を思い出させてくれるようだ。
「……終わったか? 」
日生がそう呟く。緑は一面の花を無言で見ていた。
「そうだ、浅上!? 」
日生は幼いかぐやの姿を探した。少し先でかぐやがぽつんと下を向いている事を見つけた。かぐやに近付きその足下を見る。

白く美しい花々の生み出した天然のベッドのように象られたその場所には眠り続ける今の浅上かぐやが横たわっていた。
「浅上!? 」
その声に幼いかぐやが日生を見上げた。
「ありがとう」
そう一言、眩しい程の笑顔で言い、日生にぎゅうっと抱きついた。満面の笑みが少しずつ透明になってゆく。やがてその幼い姿は夢幻の如く、すべてが消えた。
「スノードロップか…… 」
後ろからゆっくりと現れ、緑が呟いた。
「希望……確かに彼女を救うには似合いの花かも知れないな」
柔らかい香りに包まれた花のゆりかごで眠るかぐやはいつ目覚めてもおかしく無い様子だった。もう夢の中の眠り姫を待つ必要を日生は感じなかった。
「緑、行こうぜ」
「確認しなくてもいいのか? 」
「ああ、約束したからな」
日生の確信に満ちた表情を見て、緑は頷いた。

 

 

 

黎明がかぐやの顔を照らす。
生きとし生けるものが光から生命を育まれるように、その肌に血の気が回復してゆく。
月に照らされた彼女はその名の通りに美しかったが、息吹く姿は更に輝きを放ち始めた。
瞼の端から涙が流れる……長い夢を見ていた。だが、もう悪夢を見る事は無いだろう……重荷となっていた翳り……その存在は覚えているが、それにより心を苦しめる事は無かった。
きっと今なら、全てを受け入れる事が出来る……。
しばらくの時を経て、僅かに瞼が震えその瞳が開かれた。
視界には彼女を一心に見つめる少年の瞳があった。なんと眩しい瞳だろうか。夢の中で何度も励ましてくれた、強い……とても力強い支えだった。この少年と話したい事がたくさんある……
そしてかぐやは微笑みながら、少し照れくさそうに言った。
「おはよう、相沢」
青空を隠す雲は過ぎ去り、澄んだ光が降り注いでいる。冬が終わりを告げるのも、もう間近だった。