どうして泣けないのか。



小さい頃、泣き虫でした。小学校でも、同級生の男子とけんかをしてよく泣いていました。

父とけんかして最後に泣きだすのは昔から。

父に「お前はそうやってすぐ泣く」と言われ、さらに悲しくなり、悔しくなり。

母は、感情を爆発させ泣いている私を「またか」とみている・・・という記憶。


・・・「泣く」は私にとって自分の意見が通らなくなったとき、どうしようもなくなったときの最後に逃げる手段。。。


職場で泣く女性を見ると、とても腹が立ち「職場で泣くなんて卑怯だ」って思っていました。

すぐ下の妹と喧嘩して、妹が泣くと「そうやってすぐ泣く、ずるいよね」って言っていました。

・・・私にとって「泣く」は、逃げることだから。。。


・・・「泣く」⇒「逃げること」

       「さらに悲しくなる」⇒「泣かない」


私にとって泣かないことが、それ以上悲しくならない、自分を守る手段だった。

そして、逃げない自分は、カッコいい。もう、大人になったのだから。


それを繰り返していたら、うれしいときも、何かを見て感動したときも、誰かのために悲しいと思ったときも、

誰もいなくて自分だけのときも、どんなときも泣けなくなってしまった。



「私」から「私」へ


泣いたって、逃げたことにはならないよ。

泣いたって、これ以上悲しくならないよ。

泣いたって、誰も攻撃してこないよ。

泣いたって、カッコ悪くないよ。


泣いたら、そのときの悲しみは流すことができるかも。

泣いたら、さっぱりできるかも。

泣いたら、かわいいんじゃない。

泣いたら、楽になるかも。

泣いたら、素直になれるかも。



泣いたって、「私」は「私」のままだよ。ただ、見えるものが違ってくるだけ。



ぢんさんのいっている⇒ttp://www.kokoro-ya.jp/article/13197007.html

「泣く気で泣く」を今日は素直にやってみよう。