半生もまだ生きていないけど。
(ジャネーの法則を含めると半生ちょっと生きたことになるらしい)
ちょっと自分語りしたいのでします。
※暗い話なので閲覧注意です。
と言われれば見たくなるカリギュラ効果的なの()
単に俺の不幸話聞いてやる気出したり、蜜の味したりする人がいたらいいな的な感じで投稿しました。
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簡潔に言うと俺は今まで、差別暴力陰口悪い憐れみ等、人の悪意に晒されて生きて来ました。
(この世の中では殆どの人がそうか)
まぁ人によっては「こんな事」で、て思うかもしれないけど……
そもそも前提として不幸を受け取る力って人それぞれだと思うから、体験のレベルでモノサシを作ったらダメだと俺は思う。
辛さとか、実際には分からないし、カブトムシの箱という思考実験が行われたけど、それで論文が出て証明されているくらい、人の感情自体測れないものだから。
↑カブトムシの箱について。
本題に戻るけど、小学生の頃から高校の時の途中までそんな事があって、、高校は途中で転学する事になりました。
まず、小学生の頃は友達にして欲しくもない、ほぼ憐れみに近いような同情をされたり(障碍持ってるのに偉いねとか)、差別されたり(すれ違い様に脳の病気!とか)、親にはレジでずっと髪引っ張られてたり、差別されたり(喧嘩や言い合いをする度に障碍の話を持ち出してくる)、書いてた絵は破られたり落書きされたり、変な期待をして来たり(特殊な才能とか)、先生もそんな感じの事言ってたな。
中学生の頃も影でそれに近い事されたり。
それもあり(この時はうすうすと感じていただけ)
毎回隣の席に来る好きな子がいても、まぁ付き合えないだろうけど(仮に付き合えても良い事良い事無いだろうし)と、こちらからは一切話し掛け無かった。
ちなみに、小学生6年の後半から、ゆずのヒカレという曲を聴いた事をキッカケに音楽に憧れを持つようになり、歌の練習めっちゃして来たけど、高校1年くらいの時に諦めた。
それまでは毎日親のいない時や、土日は外で人気のない草むらとかで何時間も歌っていたんだけど。夜中も皆寝てるとこ1人、勉強部屋に行って口パク練習的なのした事あったな。(多分意味の無い練習法だろうけど)
テスト勉強や宿題をサボってまで、将来の事なんてお構い無しなくらいまでに夢中になっていた事だったんだけど、中学の卒業式の帰りに行ったカラオケで70くらいしか取れなかったし、高校では友達に声が生理的に無理と言われてしまうという。
(そもそも俺、吃音症を患っていて発音が上手く出来なかった)
おばあちゃんやおばさん達とカラオケ言ったけどお世辞で声出てるねとかって褒められたけど、録音していた自分の歌声を聞いた時、滑舌が悪過ぎてというか、訛りすぎて下手とかいう次元じゃ無かった。
(練習法も間違っていただろうけど、イヤホンつけたまま歌ってたし)
今までがむしゃらに追いかけていた夢が、1つの挫折へと変わってしまった時で、目のハイライトが消えた。
そこで自分が持っている障碍の事を少し知る事にもなるんだけど。
そして畳み掛けるように中学の集合写真とか修学旅行の写真よ。
一瞬誰?俺どこ?って思ってたけど、親が迷いなくこれでしょというから、驚いた。
いつもこんな顔で歩いたり皆の輪に入って行ったりしていたの、と。
皆と明らかに顔の種類が違うなって凹んだ。
遠回しの差別をするわけではないけれど、俺の顔は頭が悪そうに見えた。
次の日くらいからマスクが外せなくなった。
そして、高校の時はマスクマンって呼ばれてた。
実際、あまり嫌でもなかった、修学旅行の時にマスク付けたままお風呂入ってマスク付けていたくらいだし。
まぁ、見た目が悪いという事実は、マスクを付けていても漏れているらしく、席替えした時に、女子が○○さんの隣だけは嫌です!てめっちゃ大声で言っていたし。
先生は先生でどうせ嫌がられるからって嫌がる俺を無理矢理女子とくっつけようとして、案の定気持ち悪い!って女子に叫ばれて、それでほら、と俺が泣きそうになっているところを、こんな時もあるって。
適当に宥められたし。
あ、後半中学生だったわ。
そして結構辛かったのが、先生が俺の事を「脳の病気だからちゃんと見守ってあげてね」とかって友達に話してたらしくて、めっちゃ引かれた事。
顔も、障碍持ってそうってよく言われてたし、ほんとに友達かっ?て感じだった。
ま、友達は先生に言われた事によって合点が行ったんだろうけど。
それがキッカケか知らないけど部活の友達に会わせたくないとか言われるようになったし、弟は弟で知り合いに会わせたくないと。
家族は家族で言い合いになったら枕詞のように障碍持ってるやん、とかって言ってきてたな。
人の気持ちを知らないでほんとよくこんな非人道的な言動が出来るなって思う。
外見だけで避けたり、恥ずかしいとか、障碍持っていても一応人間だから。
とはいえ、振り返って見たら、高一高二と、何も出来なさそうとか、何も出来ないよなって、友達にめっちゃ言われてたわ。(まだ溜まっている)
あの時は本当に、漢字の知識どころか哲学の「て」も考えて無かったからな。楽観的だったし。
ある意味お気楽な感じだった。
高校の時友達150人欲しいって目標だったし、目立ちたいからと、委員長やってたし(副委員長に降格させられたけど)
実際、過去が暗いって事に気付いたのは、転学した後の高校2年の頃だった。
周りからの印象、気付かぬうちに受けていた数多くの差別的言動、気を遣って優しくしてくれているということ。
それらに気付いたのも高二。
そもそも、何故転学しようと思ったのかと言うと、避けられたり、何気ない言動で傷付けられたりもあったけど、何より、人として、臆病な性格になっていた。
思った事を言い出せなかったり、NOと言えなかったり、反応が怖くて、注意出来なかったり、怒れなかったり。
自分から話しかけられなかったし、罵詈雑言なんて言われるがままだったし、怖くて言い返せなかったし。
なんか目の前で、いや非人道的な言動を体験しているのに、思っているだけで怖くて何も言えないなんて、カッコ悪いなって。
その時めっちゃ変わりたいって思って不登校になった。(単純に嫌がられるなら、行きたくないって気持ちもあったけど)
このままでは、就職率の高い高校を卒業出来たとしても、碌な大人になれないなと危機感が働いた。
カウンセラー行ったり、進路についての話をしたりしていたけど、カウンセラーは気持ちを軽んじるような根性論ばっかりで、正直どうでもよかった。
あと先生も結局は気の所為、思い込みとかで片付けようとしていたし。
最後にどうしたい?って聞かれたから
変わりたいと、一言答えて帰った記憶。
それからもまだ、出席日数足りるから学校来ない?て先生に訊かれたけど、結局行かずに出席日数アウトになって、転学する事になっていた。
転学先の学校に行くまで5ヶ月くらいの有余があったから取り敢えずYouTube見て学びまくってた。
肖るの方が正しい。
即実践出来るような事では無かったけど。
その間、両親は落ちこぼれやら、負け組やら、散々バカにして来たけど。(それがキッカケで、時期もあり変に追い詰めて強迫性障害の症状がいっぱい当てはまる状態なってしまったけれど)
転学した後は、結構気が楽にはなった。
人が少ないのと、愚痴や哲学的な話を語れる作家好きの保健の先生、親しみやすい先生。
特に保健の先生には救われたと思う。
(5年に1人とかって褒められた笑)
早熟とも言われたし笑
とは別に、内面世界や哲学の話ってこんなに心地良いんだなって。
水曜日夜と、土曜日朝行ってたから、その時に話していた。
それから、勉強が意味を成してか、斉藤さんで女の子とTwitterのDMで話せる仲になったり。
この時くらいから漢字もいっぱい勉強する様になって行ったな。
基本的には使われない漢字とかも。
そして、あばよくば、小説書いたり、途中で放棄した作品しかないけど。
それで、良い意味で変わった事により考える事が好きになって行って、より学を深めて行った。
とはいえ、日中不安で、それも関連の無い事柄に悩まされるし、思ってもないことが頭に浮かんで不安になる的なので調べたら強迫性障害にヒットして、症状の項目を見たら殆ど当てはまっていた。9割くらい。
辛くて苦しい日々の連続でもあった。
親はそれでも努力なんて見ずただダラダラしてるとか言ってきてたけど全部、論理的に反論した。
親としての教育が間違っているという言葉も付け加えて、論理的に。
親が反論で黙るようになったっていうのと、物に当たる事が無くなって行った。
結局人って、賢くなければ平穏に生きて行くこともままならないんだなって、痛感した瞬間でもあった。
(俺が賢いという事でもないけど。)
一時期、遠い工場にハロワで行った時あったけど2週間くらいでやめた(道に迷ったり、虫の死骸とかに目がいって頭から離れなかったり、毛玉が蜘蛛に見えたりした事があったり、まともに仕事出来る精神状態では無かったし)
家で変な絵描いてたし。
そして、後に、HONNE(本音)というアプリを知り、より精神的にマシになる。
愚痴、愚痴、とにかく愚痴!
唯一愚痴を吐き出せるアプリだった。
匿名って言うこともあり、その時は楽しんだ。
そして、高校三年生にして、卒業が近付いて来た時にして、やっと(?)アニメにハマる。(ワンチャン高3ちょいくらい?)
俺ガイルとけいおん!めっちゃ心打たれた。
1つ目の転機がこの辺りかな。
俺ガイルは主人公に何となくで共感して、けいおん!には、心から何か沸き上がるのを感じた。
深みにハマって調べては深い、調べては深いってしてた。
それで、けいおん!でサークル的なLINEグループ作ろって考え始める。
まぁ、Googleで掲示板立てて、来たの2人だけで、最初はめっちゃテンション上がってたけど、結局話題が尽きて話さなくなって、気付いたら1人抜けてるし。
もう話しにくくなって、LINEごとアンインストールした。
その後、アクション起こしてリア友と久しぶりに会いに行ったり、転学する前の高校に電話掛けてアルバム貰おうとしてみたりしたけど、リア友は1人は釣り合わないって去って、もう1人、(小学生から付き合いのある今のリア友)は連絡取っていたけど、その時は、精神的に不安定でブロ削してしまった。(俺への悪口酷かったし)
そして、高校を卒業して19歳程。
呆気ない卒業式を終え、もう俺、高校卒業したんだ。とベッドで寝転んで物思いに耽る。
そしてまたアニメを見た。あそびあそばせや、ダンベル何キロ持てる?や、女子高生の無駄遣い、荒ぶる季節の乙女どもよ。等
感動したり笑ったりしつつも、どこか虚しかったのを覚えている。
なんか虚しくなって、俺って夢を叶えられないのかなって、窓から夜空を見て、適当にベッドに身を投げて、YouTube見てたら関連にバンドリがあって、アニメを見てたらハマって、更に音ゲーがあったから興奮して速攻インストールした。
これが第二の転機。
そこで俺は、LINEでバンドリグルを作ろうと思った。
これが思いもよらない冒険と変化を生む。
その前に、弟にお金を渡して、俺は、ゲーセンに行っていた。
単にお金の貸し借り禁止だから、貸したってバレたら怒られる。
それで、前日にこっそりお金を渡して(5000円)、俺は、今日遊びで5000円使うって事で、ゲーセンに来た(全部で6000円あった小遣いは1000円になってたから1000円しか使っていない)
結果TSUTAYAゲーセンって行き来している間に時間稼ぎが出来て、いっぱい遊んだ風を演出した。
それで、家に帰って(お金使い過ぎ!って怒られたけど)、ひと仕事終わったーってベッドに寝転がりつつ、Twitter開いたら……
一人の女の子がグループに入りたいって来ていてテンション上がった。
その子が今で言う元カノだけど笑
その後もグループ入りたいって人が出て来て、元カノも色んな人をグループに招待していたから最終的には30人越えまで行った。
最初は、経験から芽生えたコンプレックスがあり、ぎこちなかったけど(女子=俺みたいな人を避けるというイメージが強かったし)
下ネタで盛り上がっている女子や、イケメンがいて俺もう抜けても良くね?って言ったら、イケメンが、お前が抜けたら俺も抜けるって言ってくれたから、安心して、俺は、下ネタキャラになった。
結果、下ネタがアイデンティティみたいになったけどこんな瞬間が俺にも歩めるんだと、感動した。
それから色んなグルを作り、積極的に、会話に入るようになって行った。
それに、出会い厨とかに出くわせば、トーク履歴の証拠や、問い詰めで、追い出したり、注意をしていた。
多分、勉強していたから、出来た事だと自信を持って言える。
結果それが吉としてか、彼女が出来た(元カノ)
それから、頑張らなきゃなと、履歴書を書き、コンビニや牛丼屋に、焼肉店の3つを応募しに行ったけど、3つとも落ちるという。
寂しいと言いつつも応援してくれた元カノが、優しくてつい頑張る的なやつ。
はぁ、とため息を付いているところに、両親から、職業訓練の話が舞い込んで来る。
次回 職業訓練編
多分やらない笑
自分語りを見てくださった人、お疲れ様です。
そして、自分の事を知ってくれてありがとう。
誰にもこんな暗くて長い話を出来なくて、ついここで書いてしまいました。(๑>•̀๑)テヘペロ