お部屋に置いてある
いろんな「もの」を見ながら思った。


「もの」って引力があるなぁって。



それが欲しかったころの状況
それを買ったときに払ったお金
それを手に入れたときの感情



ものを見ると、
記憶や感情がよみがえる。



時にはもったいないって感情がわいて、
本当はもういらないのに
捨てられなかったりする。



そうして捨てられなかったものを見ていると、



本当は今欲しいものや
たどり着きたい未来に目を向けたいのに、
過去の自分に引き戻されてしまう。



それが純粋に、今も見ると楽しくて
置いておきたいものだったらいいけど、
そうじゃなくて、




過去に想いをはせてしまって
手放しがたいだけのものなら、



それはやっぱり手放した方がいいなって思った。




なんせわたし、
いろんなものを捨てられなくてね。



小さいときなんて、
思い入れすらほとんどないような


割れてしまった陶器とか
壊れたビデオデッキまで保管してた。



明らかに使えないし、
いい思い出じゃないのに。



それを見るたびに、
思い出してたんだよね。



そのとき怒られたこととか、
そのときの緊迫した空気とか。




見るたびに過去の辛いことを思い出しては
罪悪感や悲しい感情がわいて、


捨てられなかったものが
わたしをそこに引き止めているみたいだった。







でね。
この逆も同じだと思ったの。



自分の気持ちを引き上げてくれるもの

自分を気分良くさせてくれるもの

自分の思い描く未来を想像させてくれるもの




そういうものを部屋に置いていると、
自分が未来に引っぱられる。
自分が良い方へ引っぱられる。



未来の引力が強くなる。




過去のものを置いちゃダメとかじゃなくて、
自分がそれを見て
心地良いかどうか。




幸せな気持ちを思い起こさせるものとか

あるとテンションが上がるものとか

素敵だなって豊かな気持ちになるものとか




自分が心地良くなるものを置いておくと、
自分のマインドが豊かになる。
豊かなマインドが、豊かな現実をつくる。



だから、



自分の身のまわりに
お気に入りのものを置いておくって、
すごくいい投資だなって思ったの。




片づけの本も風水の本も読んだことないけど、



ものを手放すって、
自分を引き戻すものから
自分を解放するための、
一種のお祓いなんじゃないかな。




自分を心地良くするものを置くって、
自分を豊かな方へ引っぱり上げるための、
一種の風水なんじゃないかな。





みんな共通でこれがだめ、
これがいいってわけじゃなくて、
風水って本当は、自分信仰でいいんだと思う。




自分の心地良い空間をつくることが、
自分にとって一番のパワーチャージだもん。




だから
高価なものだから飾るんじゃなくて、
自分がお気に入りだから飾るっていう動機が
すごく大切だなぁって。




「わたしのお気に入り」は、
わたしを豊かな未来に
引っ張り上げる力を持ってる。




======================





わたしね、
どんな高価な絵より
自分の描いた絵が好きだし、



どんな高価な宝石よりも
自分の絵に癒される。

 


どんな有名な画家の絵よりも、
どんな高価なものよりも、
癒しと生命力を与えてくれる。



それはさ、



わたしがわたしの絵を
大好きだからなんだよね。




生きるために必要ないものって
世の中にたくさんある。



絵も、音楽も、
写真も、オブジェも、
宝石も、お笑いも、おしゃれも...




必要最低限に生きるなら、
なくてもいいもの。


なのになんでなくならないんだろう?
それはさ、


生きる力になるからなんだよ。



「好き」や「お気に入り」が、
生きる力を与えてくれる。



「好き」や「お気に入り」を選択すると、
生きる力がわいてくる。



「生きる力」は、自分の思い描く世界へ
歩き出すための「原動力」になる。




わたしね、ずっとずっと
好きもお気に入りも無視して生きてきて、


生きる力がどんどん失われていったから、
よくわかるんだ。




生きる力を失うと、
前に進まないどころか、
現状維持すら難しい。



自分の声を無視し続けたら、
生きていることすら辛くなった。



だから、
自分の好きとお気に入りを
ちゃんと取り入れて生きていこうって決めたの。




それで絵を描いた。
描いた絵を見て、
生きる力がわいてくるのを感じたときに、



芸術がなくならない理由がわかった。
不必要なものが、必要な理由がわかった。




全部、生きる力になるんだよ。




「好き」「お気に入り」
そこに発生する熱量は、
生命力そのものだった。




==================




わたしの母はね、
苦労の多い人生を送ってきた人だと思う。


でも母は昔から、
とても豊かなマインドの持ち主だった。



「お金じゃなくて、
好きなものを選びなさい。」



買うものを選ぶときも
食べるものを選ぶときも



わたしが安いという理由で選んだりすると、
好きだと思うものを選びなさいと
言ってくれた。
 


「お金じゃなくて、
好きなものを選びなさい。」



その言葉の偉大さを、今なら理解できる。




必要か、不必要か。
そう頭で考えて選んだところで、
そこに「好き」という熱量がなければ、
それはただ無機質な「もの」でしかない。




好きか、嫌いか。
思考を超えた感覚で選んだものが、
「好き」という熱量であふれるものなら、
それはただの「もの」じゃないんだ。




熱量を込めたものは、
自分に生きる力を与える。
自分に癒しを与える。
自分が思い描く未来への原動力になる。




わたしは人の熱量に触れると、
涙が出るのね。



芸術も、言葉も、誰かの生き様も。



その人の熱量を感じると、
涙が出る。
命を感じる。





上手い、下手じゃない。
わたしたちが夢中で命を注ぎ込んだものは、


誰かに生きる力を与える。
誰かに癒しを与える。
人を動かす原動力になる。







必要か、不必要か。
得か、損か。


そんな物質的な豊かさを超えたところに
わたしたちの本質があって、



好きか、嫌いか。
快か、不快か。



わき上がるその自然な感覚こそが
わたしたちの本質。わたしたちの根幹。




本質をすっとばして
物質的な豊かさを手に入れても、
中身はスカスカで、
ほんの少しの衝撃で崩れ去ってしまう。




この世界の根幹は
目に見えないものでできてる。



芸術がなくならないのは、
不必要なものが必要なのは、


そこにあるわたしたちの熱量と感性こそが、
この世界の根幹だからだ。







わたしたちの「好き」「お気に入り」は
この世界の大きな大きな土台。



無機質な物質に命を吹き込むのは、
わたしたちなんだ。



わたしの熱量で
無機質なキャンバスに命を吹き込むとき、
その絵はね、


わたしの生きる力となり、
癒しとなり、
原動力になるんだよ。




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【水の宝石】

アート限定販売。

原画のため、すべて一点物です。




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子どものような心で

好奇心だけに任せて描いたアート。


その絵がまとう純粋で自由なエネルギーは

生命のエネルギーそのもの。


水よりも もっと水らしい

まるで宝石のような

世界でたったひとつの作品。







知り合いが少し前に転職してね。

その転職先がまぁまぁ

ブラックだったんだって。




休みは前日まで確定しないし、

神経つかう仕事だから

体も結構しんどいみたいで、





概要だけ聞くと一般的には

ブラックに分類されるような環境でね。




そのブラック話を一緒に聞いてた人たちが、

あとからこう言ってた。




「今の自分の環境に感謝しないとなぁ」

「今の仕事がんばろ」




たぶんみんな、そのブラックに比べたら

自分の環境はまだマシだから、

今の環境でがんばろうって思ったみたいだった。





でもわたしはね、

全然違うこと思った。





「わたし、もっとめちゃくちゃに生きなきゃ!!!」




「わたし、もっとバカみたいに生きなきゃ!!!」





頭では、みんなと同じように

自分の職場環境はまだ

恵まれてるかもしれないって考えてた。




だけど頭じゃない体の奥の方から、

ドーン!って

自分の思いが強烈に込み上げた。





もっとめちゃくちゃに生きなきゃ!

もっとバカみたいに生きなきゃ!




やりたくないことに

自分の人生囚われてる場合じゃない。



誰かのブラック話で

自分を慰めてる場合じゃない。



誰かの不幸な話を

自分が歩き出さないための

言い訳に使ってる場合じゃない。





はだしで草原駆け回って笑い転げてるくらい

バカみたいな、



突拍子もなく走り出して笑い転げてるくらい

めちゃくちゃな、




そんなごきげんな人生にしなきゃ!

って思いが込み上げてきた。





なんのために生まれてきたの?


なんで枠の中に収まろうとしてるの?


本当は枠から出たくてたまらないんでしょ?


本当はもっと自分を表現したいんでしょ?


本当はもっと世界を見たいんでしょ?


本当はもっと自由に創造したいんでしょ?






自分で自分に図星くらわせたみたいな打撃感に、わたしは放心状態だった。






周りの人から見たら、

なんの得にも利益にもならないような

バカみたいだって思われること。



エビデンスも何もないような

めちゃくちゃだって思われること。



だけどわたしがごきげんになること。




そんな、



もっともっと子どもじみた

無邪気な人生を生きたいって思った。





==================




それから少しして、

わたしはブログを始めて、

絵を描き始めた。




ブログで自分の思いを表現することは、

わたしが枠の中から世界に飛び出す

第一歩だった。




絵を描くことは、

わたしがこの世界で自由に創造する

第一歩だった。





うん。まだ踏み出したばかりでヨチヨチ歩き。




それにね、きつく締めたネジは

まだまだ緩みきらなくて、

バカみたいでめちゃくちゃで

ごきげんな人生には程遠いけど、




ブログを書くたびに、絵を描くたびに、

きつく締めたネジが

ほんの少しずつ緩んでく。





本当はさ、

絵を描いたり

歌を歌ったり

自分の言葉を世界に送り出したりして、




一日中、自分を表現して生きていたい。





それが今のわたしにとっての、

バカみたいでめちゃくちゃで

ごきげんな、憧れの人生。




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社会人不適合者として乗り越える一日は

恐ろしく長くて、



ネジを外せないまま過ぎ去る一年は

恐ろしく早いのだけれど、




世界にのみこまれたそんな状態からでも

いつも這い上がろうとする

自分の生きる底力に、

わたしはいつも感謝してる。





ブラック話を聞いたときにこみ上げた

「もっとめちゃくちゃに生きなきゃ」は、

「もっと自分を表現して生きたい」って

ことだった。





先週ね、

わけもなく仕事がひどく苦痛で、

どうしてわたしはこんなところで

こんなことをしているんだろうって、

無性に泣けた。




きっとそれは、




自分を表現することで生きていきたいって

望みが自分の中で込み上げて、

おさえきれなかったから。




あとでわかったんだだけど、

その日は乙女座の新月だった。




わたしは星のことや月のことは

よく知らないんだけど、

新月には願い事をすると叶いやすいんだね。




8/30  乙女座の新月。



自分の中から自然に、

いたたまれなくなるくらいの

強烈な望みが込み上げた。




星や宇宙を気にして、

今日は新月だから願い事しなきゃとかって

急かされるように自分を追い詰めなくても、

きっと本当は体が全部知ってるんだね。





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子どものような心で
好奇心だけに任せて描いたアート。

その絵がまとう純粋で自由なエネルギーは
生命のエネルギーそのもの。

水よりも もっと水らしい
まるで宝石みたいな
世界でたったひとつのアート。






前に言われたことがある。


「次に進むには、
今の仕事も好きにならないとだめだよ」


って。



その人は世間から見ればいわゆる成功者で、
わたしも尊敬している人だった。



尊敬する人からの言葉と、
自分自身が確立していない未熟さもあって、
わたしはその言葉を、鵜呑みにした。



でも、あのとき確かに、
その言葉に違和感を感じたの。



今の仕事を好きにならないといけない…?


今の仕事も好きにならないと
次もうまくいかない…?




わたし、働くことは好きな方だと思う。
でも今の仕事は、正直好きじゃない。

 

10年勤めて、
それなりに楽しもうとも
好きになろうともした。


その頃は仕事にも精力的で、
職場の人間関係もそつなくこなして、
口では楽しいとも言っていた。



でもそれは、
楽しいと思い込もうとしてただけだった。
本当は楽しくなんてなかった。




自由に外にも出られない監視状態な環境も、


ルールだらけで仕事よりルールばかりを
気にしなければいけない環境も、


嫉妬やいやがらせをネチネチしてくる年上女性も、

みんなと一緒じゃないとたたかれるしがらみも、


自分を犠牲にすることが美徳とする社風も、





ずっと本当は大嫌いだった。



「今の仕事を楽しめていないと」
「今の仕事でも活躍できないと」



そうやって自分をおさえこんで
楽しいフリして行き着いたのは、
我慢と苦しみの世界だった。





戦後を生き抜いてきた親世代は、


・簡単に辞めてはいけない
・我慢こそ美徳


そんな考えが染み付いていて、
わたしにももれなく、その教えが染み付いた。



もちろんその時代には
そういう考え方が必要だったんだと思う。



だけど、今は戦後じゃない。



もっともっと自由な時代に、
わたしたちは生きてる。



一度始めたことを簡単に辞めてもいいし、
自由な思想が美徳な時代だ。




だってさ、


イチローが公務員になって楽しめる?
美容師が建築士になって活躍できる?



今の場所で楽しまないといけないわけじゃない。
今の場所で活躍しないといけないわけじゃない。


そこが自分の土俵じゃないなら、
逃げたっていい。



逃げたっていいよ。
逃げずに命をすり減らすより、
逃げて命を守りたい。





わたしは昔からあまりに我慢強いところがあって、
一度始めたことを、
いつも簡単に辞められない。




水も飲ませてもらえなくて
死ぬほどハードだった学生時代の運動部も
卒業までやり続けた。



過去の恋愛では、一度付き合った人とは
なかなか別れを決断できなくて、
わたしが我慢すればいいかと
ズルズル長引いてしまったり。



新卒で入社して10年経つ今の会社も、
体も心ももうボロボロなのに、
毎朝自分に鞭打って出社してしまう。


  

辞めるという選択肢を、
いつも自分に持たせてあげられなかった。


今でも、毎日自分にごめんねって思う。


だからわたしは、
ちゃんと逃げることができる人を尊敬する。





30年かけて自分に染み込ませてきた呪いは、
そんなすぐには解けないけど、


自分をこの呪いから必ず解いてあげたいって思う。



だからわたしは、
これからも自分に言い続けてあげたい。
辞めるという選択肢を自分に与え続けてあげたい。



逃げたっていいよ。
逃げずに命をすり減らすくらいなら、
逃げて命を守ろうって。



自分の土俵じゃない場所は、
当たり前に苦しいんだ。



魚が水のない陸で生きようとしてるみたいに。



わたしは陸で生きたいわけじゃない。
水の中で生きたいんだよ。
水の中で生きることを諦めたくないんだよ。





わたし昔から、

完璧主義な気質があってね。




できないことや理解できないことを

そのままにできずに、 

執着しちゃうのね。




でもそれってね、



自分に必要ないものまで

取り入れようとしてるから、

本当に必要なものがわからなくなるんだって

気がついたの。





何かを学ぶときや、

ためになるであろう話を聞くときに、



わたしはいつも、

全部逃すまいとして必死だった。




取りこぼしがないように

損しないように

全部吸収できるように、


 


そこにあるものを

全部取り込もうとしてたんだよね。




わからないことは

理解しないと気が済まなくて、

 



そこにあるもの全てを理解して

体得しなくては!

みたいな執着があった。




でもさ、



今このとき自分に

ちゃんと腑に落ちるものって、

本当はすごくすごく少ない。




だけど自分に必要なものってその、

ストンって自然に腑に落ちるものなんだよね!




だから、わからないことは

ストンと楽に腑に落ちるまで、

わからないままでいいんだって、

気がついた。





たとえばセミナーに行ったり、

ためになる話を聞いたりするときに、




その場で発信されたものを

全て理解しようとすると、

すごく疲れてしまう。




それは、

今の自分に必要ないものまで

吸収しようとするから。




頭で全てを理解しようとしても、

そのときの自分に本当に必要なもの以外は、

スッと理解できないようになってるんだよ。




本当は、そのときの自分に

ストンと入ってくることなんて、 

ほんの一部の話だけで、




それなのに必要以上に得ようとがんばると、

執着がわいてしまう。




ここで絶対何か得なければ!とか、

全てを吸収しなきゃ!とか、




そういう執着がわくと、

自分が疲れてしまうんだよね。




それに、

必要以上に得ようとすると、

必要ないものに気が散って

本当に必要なものがわからなくなってしまう。





=====================





『今この瞬間を大切にする』って

よく聞くけど、わたし、

いまいちその表現はピンとこなくてね。





でも今わたしにピタッとくる

表現にいいかえるなら、こうかなって。



『今この瞬間、腑に落ちることだけでいい』







本当は、

今このときの自分にストンと

入ってくるものだけでいいんだ。

 



その場から得られることなんて、

たったひとつまみだもん。

むしろ、ゼロのときだって

あるかもしれない。




自分にストンと落ちてくるものが、

たったひとつでもあればいい。




それがわかったらね、

自分がゆるんだの。

すごくゆるんだ。




今まで抱えきれないものまで

全部取りこぼさないように抱えようと

緊張感でピンと張りつめてた自分が、

  



急にゆるゆる〜ってなった。




取りこぼしてもいいや〜

自分に必要なものだけでいいや〜って。




そしたらね、




色んなことに対する執着が激減した!






人が離れてもいいや〜

今わたしに必要な人だけでいいや〜



もらえなくてもいいや〜

今わたしに必要なものさえあればいいや〜



勝たなくてもいいや〜

今の自分にできることだけでいいや〜





完璧主義だったわたしの

ピンと張りつめてたものが

ゆるんだ。




ゆるんだ方が、もう断然心地いい。





全部を得ようとするより、

今必要なものだけを得る方が

心地いいし、頭もクリアになる。





そしてね、




執着がないと、

望みが重くないんだよね。

とっても軽やかな望みになる。




あえて言うならこれがいいかな〜

そうならなくてもいいけどね〜


 


みたいな軽やかな望み。

 

 



執着がくっついてる重〜い望みより、

解き放つような軽やかな望みの方が

断然、上まで届く。





=====================





自分にストンと

入ってくるものだけにフォーカスすると、

今必要でないものへの執着がなくなる。

そしたら望みも軽やかになる。




うん。これはもう、

今後も実践していきたい。




いやぁしかし、

手ばなしてみてわかったけど、



執着ってものっっっっっすごい

重いね!!!



そりゃあ執着がくっついてたら、

望む方向と逆方向いっちゃうよねって思う!



  

今このとき、ストンて自分に入ってくる

嘘偽りない感覚に、集中したい。






わたしね、



自分がHSPだということがわかったときも、

自分を守護してくれている見えない存在に

気付いたときも、


 


自分が明らかになったことは

とても嬉しかった。




自分の謎解きみたいでね。




けどさ、

そこにすがりつくつもりは全然なくて。

だってね、




自分自身が何者かとか、

自分自身の謎が解けたからって、

それだけで人生が前に進むわけじゃない。





大切なのは、

さぁ、ではその自分でどう生きる?

ってことなんだよね。




自分自身について理解を深めたり

自己啓発したりすることが

わたしは昔から大好きで、




自分が何者かを解明することや

自己啓発本を読むことが

楽しくてしょうがなかった。




だけどね、

それだけじゃ人生は進まなくて。




自分が何者かがわかっただけでは、

人生は変わらなかった。



自分を啓発するだけでは、

人生は進まなかった。




頭で理解するだけでは、

自分の望む場所には行けない。





さぁ、これからどうしていく?って

自分自身と相談して、

自分自身が歩き出すことが

必要なんだ。





HSPという性質も、

見えない存在たちも、

わたしの人生を進めてはくれない。




わたしという、この肉体のある

自分自身が進めなければいけないんだよ。




HSPだから生きにくい。

そこで完結したら、進めない。



守護してくれる存在がいる。

そこに全てを丸投げしても、進めない。






自分のことがわかって

自己啓発してって、



それは、服を着て、靴を履いた状態。



 

そこから歩き出すかどうか決めるは自分。

そこから実際に歩き出すのも自分。




何かにすがっても、進めない。

決めて進むのは

わたしでしかないんだ。





ブログを始める前、

わたしは頭に情報を詰め込むばかりで、

動き出せなかった。




服を着て

靴を履いて

リュックを背負って

帽子をかぶって




本当はもう、いつでも出かけられるのに、




まだ足りない。

まだ準備が揃ってない。



そうやって身支度ばかりしてた。





でも本当はね、

怖かっただけなんだよ。

歩き出すのがね。




初めてブログを公開したときには、

世界中が敵になるかもしれないって

思いながら公開した。




自分の思いを発信することに、

漠然とした恐怖があったの。




だけど最初の一歩の怖さを越えたら、

怖さがどんどん減っていった。




こんな不完全なわたしでも、

フォローしてくれる方や

優しいコメントをくれる方がいて、




世界は、わたしが想像するよりもずっと

優しさに溢れてるんだと思った。




独学で始めた絵を公開するときだって、

知識ゼロ・経験ゼロで始めたわたしに、



絵の知識がある人から

どんな批判がくるんだろうと

勝手に恐怖を膨らましていたけど、



発信してみたら、

誰からも批判なんてこなかった。


 



いつだって、

最初に踏み出すときが一番怖かった。



踏み出したら、恐怖じゃなくなった。





歩き出すのが怖いから

歩き出さなくてもなんとかならないかって、



自己啓発の本を読みあさったり、

見えない何かにすがったりしてきたけど、




それももう、十分なんだよ。

満足したんだよ。




だって今、

何を見ても、何を聞いても、

前みたいに吸収するというよりは、



やっぱりそうだよねっていう

確認作業みたいに感じるの。




それは自分が

歩きたがってる証拠なんだよね。




きっとわたしはこれからも、

歩き出すことが怖くて

足踏みしてしまうことがあると思う。




だけどさ、

その度に思い出したいんだよね。




足踏みしてるときが一番怖いこと。

歩き出したら怖さが激減していくこと。

世界は思ってるよりも優しいことを。