【水の宝石】
アート限定販売。
原画のため、すべて一点物です。
こちらから購入できます。
子どものような心で
好奇心だけに任せて描いたアート。
その絵がまとう純粋で自由なエネルギーは
生命のエネルギーそのもの。
水よりも もっと水らしい
まるで宝石のような
世界でたったひとつの作品。
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子どものような心で
好奇心だけに任せて描いたアート。
その絵がまとう純粋で自由なエネルギーは
生命のエネルギーそのもの。
水よりも もっと水らしい
まるで宝石のような
世界でたったひとつの作品。
知り合いが少し前に転職してね。
その転職先がまぁまぁ
ブラックだったんだって。
休みは前日まで確定しないし、
神経つかう仕事だから
体も結構しんどいみたいで、
概要だけ聞くと一般的には
ブラックに分類されるような環境でね。
そのブラック話を一緒に聞いてた人たちが、
あとからこう言ってた。
「今の自分の環境に感謝しないとなぁ」
「今の仕事がんばろ」
たぶんみんな、そのブラックに比べたら
自分の環境はまだマシだから、
今の環境でがんばろうって思ったみたいだった。
でもわたしはね、
全然違うこと思った。
「わたし、もっとめちゃくちゃに生きなきゃ!!!」
「わたし、もっとバカみたいに生きなきゃ!!!」
頭では、みんなと同じように
自分の職場環境はまだ
恵まれてるかもしれないって考えてた。
だけど頭じゃない体の奥の方から、
ドーン!って
自分の思いが強烈に込み上げた。
もっとめちゃくちゃに生きなきゃ!
もっとバカみたいに生きなきゃ!
やりたくないことに
自分の人生囚われてる場合じゃない。
誰かのブラック話で
自分を慰めてる場合じゃない。
誰かの不幸な話を
自分が歩き出さないための
言い訳に使ってる場合じゃない。
はだしで草原駆け回って笑い転げてるくらい
バカみたいな、
突拍子もなく走り出して笑い転げてるくらい
めちゃくちゃな、
そんなごきげんな人生にしなきゃ!
って思いが込み上げてきた。
なんのために生まれてきたの?
なんで枠の中に収まろうとしてるの?
本当は枠から出たくてたまらないんでしょ?
本当はもっと自分を表現したいんでしょ?
本当はもっと世界を見たいんでしょ?
本当はもっと自由に創造したいんでしょ?
自分で自分に図星くらわせたみたいな打撃感に、わたしは放心状態だった。
周りの人から見たら、
なんの得にも利益にもならないような
バカみたいだって思われること。
エビデンスも何もないような
めちゃくちゃだって思われること。
だけどわたしがごきげんになること。
そんな、
もっともっと子どもじみた
無邪気な人生を生きたいって思った。
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それから少しして、
わたしはブログを始めて、
絵を描き始めた。
ブログで自分の思いを表現することは、
わたしが枠の中から世界に飛び出す
第一歩だった。
絵を描くことは、
わたしがこの世界で自由に創造する
第一歩だった。
うん。まだ踏み出したばかりでヨチヨチ歩き。
それにね、きつく締めたネジは
まだまだ緩みきらなくて、
バカみたいでめちゃくちゃで
ごきげんな人生には程遠いけど、
ブログを書くたびに、絵を描くたびに、
きつく締めたネジが
ほんの少しずつ緩んでく。
本当はさ、
絵を描いたり
歌を歌ったり
自分の言葉を世界に送り出したりして、
一日中、自分を表現して生きていたい。
それが今のわたしにとっての、
バカみたいでめちゃくちゃで
ごきげんな、憧れの人生。
==================
社会人不適合者として乗り越える一日は
恐ろしく長くて、
ネジを外せないまま過ぎ去る一年は
恐ろしく早いのだけれど、
世界にのみこまれたそんな状態からでも
いつも這い上がろうとする
自分の生きる底力に、
わたしはいつも感謝してる。
ブラック話を聞いたときにこみ上げた
「もっとめちゃくちゃに生きなきゃ」は、
「もっと自分を表現して生きたい」って
ことだった。
先週ね、
わけもなく仕事がひどく苦痛で、
どうしてわたしはこんなところで
こんなことをしているんだろうって、
無性に泣けた。
きっとそれは、
自分を表現することで生きていきたいって
望みが自分の中で込み上げて、
おさえきれなかったから。
あとでわかったんだだけど、
その日は乙女座の新月だった。
わたしは星のことや月のことは
よく知らないんだけど、
新月には願い事をすると叶いやすいんだね。
8/30 乙女座の新月。
自分の中から自然に、
いたたまれなくなるくらいの
強烈な望みが込み上げた。
星や宇宙を気にして、
今日は新月だから願い事しなきゃとかって
急かされるように自分を追い詰めなくても、
きっと本当は体が全部知ってるんだね。
わたし昔から、
完璧主義な気質があってね。
できないことや理解できないことを
そのままにできずに、
執着しちゃうのね。
でもそれってね、
自分に必要ないものまで
取り入れようとしてるから、
本当に必要なものがわからなくなるんだって
気がついたの。
何かを学ぶときや、
ためになるであろう話を聞くときに、
わたしはいつも、
全部逃すまいとして必死だった。
取りこぼしがないように
損しないように
全部吸収できるように、
そこにあるものを
全部取り込もうとしてたんだよね。
わからないことは
理解しないと気が済まなくて、
そこにあるもの全てを理解して
体得しなくては!
みたいな執着があった。
でもさ、
今このとき自分に
ちゃんと腑に落ちるものって、
本当はすごくすごく少ない。
だけど自分に必要なものってその、
ストンって自然に腑に落ちるものなんだよね!
だから、わからないことは
ストンと楽に腑に落ちるまで、
わからないままでいいんだって、
気がついた。
たとえばセミナーに行ったり、
ためになる話を聞いたりするときに、
その場で発信されたものを
全て理解しようとすると、
すごく疲れてしまう。
それは、
今の自分に必要ないものまで
吸収しようとするから。
頭で全てを理解しようとしても、
そのときの自分に本当に必要なもの以外は、
スッと理解できないようになってるんだよ。
本当は、そのときの自分に
ストンと入ってくることなんて、
ほんの一部の話だけで、
それなのに必要以上に得ようとがんばると、
執着がわいてしまう。
ここで絶対何か得なければ!とか、
全てを吸収しなきゃ!とか、
そういう執着がわくと、
自分が疲れてしまうんだよね。
それに、
必要以上に得ようとすると、
必要ないものに気が散って
本当に必要なものがわからなくなってしまう。
=====================
『今この瞬間を大切にする』って
よく聞くけど、わたし、
いまいちその表現はピンとこなくてね。
でも今わたしにピタッとくる
表現にいいかえるなら、こうかなって。
『今この瞬間、腑に落ちることだけでいい』
本当は、
今このときの自分にストンと
入ってくるものだけでいいんだ。
その場から得られることなんて、
たったひとつまみだもん。
むしろ、ゼロのときだって
あるかもしれない。
自分にストンと落ちてくるものが、
たったひとつでもあればいい。
それがわかったらね、
自分がゆるんだの。
すごくゆるんだ。
今まで抱えきれないものまで
全部取りこぼさないように抱えようと
緊張感でピンと張りつめてた自分が、
急にゆるゆる〜ってなった。
取りこぼしてもいいや〜
自分に必要なものだけでいいや〜って。
そしたらね、
色んなことに対する執着が激減した!
人が離れてもいいや〜
今わたしに必要な人だけでいいや〜
もらえなくてもいいや〜
今わたしに必要なものさえあればいいや〜
勝たなくてもいいや〜
今の自分にできることだけでいいや〜
完璧主義だったわたしの
ピンと張りつめてたものが
ゆるんだ。
ゆるんだ方が、もう断然心地いい。
全部を得ようとするより、
今必要なものだけを得る方が
心地いいし、頭もクリアになる。
そしてね、
執着がないと、
望みが重くないんだよね。
とっても軽やかな望みになる。
あえて言うならこれがいいかな〜
そうならなくてもいいけどね〜
みたいな軽やかな望み。
執着がくっついてる重〜い望みより、
解き放つような軽やかな望みの方が
断然、上まで届く。
=====================
自分にストンと
入ってくるものだけにフォーカスすると、
今必要でないものへの執着がなくなる。
そしたら望みも軽やかになる。
うん。これはもう、
今後も実践していきたい。
いやぁしかし、
手ばなしてみてわかったけど、
執着ってものっっっっっすごい
重いね!!!
そりゃあ執着がくっついてたら、
望む方向と逆方向いっちゃうよねって思う!
今このとき、ストンて自分に入ってくる
嘘偽りない感覚に、集中したい。
わたしね、
自分がHSPだということがわかったときも、
自分を守護してくれている見えない存在に
気付いたときも、
自分が明らかになったことは
とても嬉しかった。
自分の謎解きみたいでね。
けどさ、
そこにすがりつくつもりは全然なくて。
だってね、
自分自身が何者かとか、
自分自身の謎が解けたからって、
それだけで人生が前に進むわけじゃない。
大切なのは、
さぁ、ではその自分でどう生きる?
ってことなんだよね。
自分自身について理解を深めたり
自己啓発したりすることが
わたしは昔から大好きで、
自分が何者かを解明することや
自己啓発本を読むことが
楽しくてしょうがなかった。
だけどね、
それだけじゃ人生は進まなくて。
自分が何者かがわかっただけでは、
人生は変わらなかった。
自分を啓発するだけでは、
人生は進まなかった。
頭で理解するだけでは、
自分の望む場所には行けない。
さぁ、これからどうしていく?って
自分自身と相談して、
自分自身が歩き出すことが
必要なんだ。
HSPという性質も、
見えない存在たちも、
わたしの人生を進めてはくれない。
わたしという、この肉体のある
自分自身が進めなければいけないんだよ。
HSPだから生きにくい。
そこで完結したら、進めない。
守護してくれる存在がいる。
そこに全てを丸投げしても、進めない。
自分のことがわかって
自己啓発してって、
それは、服を着て、靴を履いた状態。
そこから歩き出すかどうか決めるは自分。
そこから実際に歩き出すのも自分。
何かにすがっても、進めない。
決めて進むのは
わたしでしかないんだ。
ブログを始める前、
わたしは頭に情報を詰め込むばかりで、
動き出せなかった。
服を着て
靴を履いて
リュックを背負って
帽子をかぶって
本当はもう、いつでも出かけられるのに、
まだ足りない。
まだ準備が揃ってない。
そうやって身支度ばかりしてた。
でも本当はね、
怖かっただけなんだよ。
歩き出すのがね。
初めてブログを公開したときには、
世界中が敵になるかもしれないって
思いながら公開した。
自分の思いを発信することに、
漠然とした恐怖があったの。
だけど最初の一歩の怖さを越えたら、
怖さがどんどん減っていった。
こんな不完全なわたしでも、
フォローしてくれる方や
優しいコメントをくれる方がいて、
世界は、わたしが想像するよりもずっと
優しさに溢れてるんだと思った。
独学で始めた絵を公開するときだって、
知識ゼロ・経験ゼロで始めたわたしに、
絵の知識がある人から
どんな批判がくるんだろうと
勝手に恐怖を膨らましていたけど、
発信してみたら、
誰からも批判なんてこなかった。
いつだって、
最初に踏み出すときが一番怖かった。
踏み出したら、恐怖じゃなくなった。
歩き出すのが怖いから
歩き出さなくてもなんとかならないかって、
自己啓発の本を読みあさったり、
見えない何かにすがったりしてきたけど、
それももう、十分なんだよ。
満足したんだよ。
だって今、
何を見ても、何を聞いても、
前みたいに吸収するというよりは、
やっぱりそうだよねっていう
確認作業みたいに感じるの。
それは自分が
歩きたがってる証拠なんだよね。
きっとわたしはこれからも、
歩き出すことが怖くて
足踏みしてしまうことがあると思う。
だけどさ、
その度に思い出したいんだよね。
足踏みしてるときが一番怖いこと。
歩き出したら怖さが激減していくこと。
世界は思ってるよりも優しいことを。