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X日産リーフ 1991米カリフォルニア排ガス規制→EV開発部ができる。ただ不採算事業、日陰部署と揶揄される。それでも地道な実験、開発で、電池の性能、モーターのパワーなどが向上。1999カルロス・ゴーン 部の解散を命じる。のち、方針転換。EVの量産化しグローバルに展開すると発表。(期間は3年)

5人乗りで、一回の充電で160キロ走行が目標に。それに加え、高い安定性が求められた。(リチウムイオン電池は熱や衝撃で発火しやすかった)しっかり実験データを取りたい開発チームと早く生産ラインをつくりたい生産チームで対立するも、次第に協力するようになる。燃えないように電池パックの強化、電解液の不均一の是正などの工夫で、2010量産化実現。


欲望の系譜4(ポップス)

60s🇬🇧ビートルズ ファショナブルなスタイル、自由自在に音楽を紡ぐ、大衆を魅了。性別も人種も超えたポップスが生まれた。

当時の英国は伝統的な階層秩序が揺らぎ始めていた。「階層の壁を壊せ」と実力主義が主張され始めた。それが追い風だった。階層社会でため込んできたエネルギー、反発として大衆文化が爆発する。文化の力で変革が起きる。

🇺🇸ボブ・ディラン 物語性のある歌詞、メッセージに重きを置く。

当時の米国は公民権運動が最盛期、社会全体のプロテスト運動の時代。人々の声を代弁した。

テクノロジーの進歩で、大規模化、大音量化、ビジネス化も加速。

デヴィッド・ボウイ 宇宙・中性的

ピンク・フロイド 狂気(不安を歌にする)

ベイ・シティ・ローラーズ ビートルズを模倣し、商品として売り出された。(ビートルズがビジネスモデルとなった。不安を忘却したい大衆に受けた。本人たちは複雑な思い)

反体制、反権威、反商業主義の形としてパンクロックも生まれる。

ピストルズ(大衆の反抗を具現化、それも商業的か?)


0529💧

🦋カラシニコフ銃 

ミハイル・カラシニコフ 独ソ戦で戦車部隊として戦場へ。独軍のサブマシンガンの恐ろしさを実感。それに対抗するものを作らなければと思い、独学で銃について学び、AK47を完成させる。扱いやすさ。組み立てやすさ(部品を少なくした)。壊れにくさ(部品にすきまをつくり、水や砂が入ってもぬけるようになっている)。安価(多少の誤差があってもよかった)。

ソ連において極秘にされたが、1956ハンガリー動乱を鎮圧に向かったソ連兵が持っていたため、知られることとなる。

ワルシャワ条約機構 東欧諸国に軍事援助。カラシニコフも提供し、また製造技術も伝えた。

中国にも製造技術を提供。(56式自動歩槍)

60s 南ベトナム解放民族戦線にソ連や中国からカラシニコフが送られ、ジャングルでのゲリラ戦に用いられた。対する米軍は高価高性能の自動小銃M16(ユージストーナ作)を用いた。ただ弾づまりなど過酷な環境では作動不能となった。カラシニコフは劣悪な環境で乱雑に扱っても壊れなかった。米軍が銃をなおしている間に撃たれた。

1947ソ連 アフガン侵攻。イスラム義勇兵が対抗。米 軍事支援。中ソ対立を利用し中国からカラシニコフを入手し、与えた。ソ連の“ベトナム戦争”となった。

1989 ソ連崩壊。カラシニコフは無秩序に世界にあふれ出る。

ビクトル・ボウト 貨物輸送の会社を設立。秘密裏に武器を輸出した武器商人。東欧諸国から銃を買い付け、アフリカ諸国に売った。冷戦期から続いた各地の内戦は武器の提供でエスカレート、長期化。子どもでも扱えるカラシニコフは少年兵を生んだ。

イスラム過激派も好んで使われ、対米の象徴的な存在に。




0530🌳


『魔の山』セテムブリーエとナフタの口論。ナフタは過激な布教活動をするイエズス会士。神の国のための戦争を善とし、独裁をよしとし全体主義を支持。セテムブリーエほヒューマニズムに基づく民主主義を擁護する立場で、ハンスに注意するが、ナフタに惹かれる。

いとこのヨーアヒム山を下りる。

雪山で夢をみるハンス。南国の楽園のようなものとグロテスクな儀式をみる。人間には素晴らしい面と恐ろしい面、明暗がある。死は高尚で荘厳なものだと考えていたハンスだが、「生への奉仕」も加えなければならないと気づき始める。人間は善意や愛のために、思考に対する支配権を死に譲ってはならない。

ただ夢のことはすっかり忘れてしまう。

ヨーアヒム、よわってもどってくる。軍人のように黒ひげをはやす最期の姿。

ハンスは山の上のデカダンスの生活が気に入った、忘却と死への共感の人。

一方、ヨーアヒムは軍人として国に役に立ちたいと、想起と生への奉仕の人。


世界史 モンゴル帝国解体の理由。

寒冷化(14世紀の危機)により飢饉、疫病発生。グローバルに交通網(海と陸)が整備されていたため、ペストなどの感染病拡大。人口減により交通網は麻痺していった。中国では農民の反乱(紅巾の乱)→交易で栄えたモンゴル帝国は解体へ。

モンゴル帝国の遺産。

ヨーロッパ ペストの大流行。それに抗うため、人間を無力な存在とした中世キリスト教人間観からの解放が探究された。また科学技術も発達(羅針盤や活版印刷、帆船などが伝わる)。帝国で研究されたギリシャローマの文献がヨーロッパに伝わる→ルネサンスへ(帝国の交易があったフィレンツェやヴェネツィアなどから)。モンゴルのきらびやかなデザインや柄も取り入れられた。

ポスト・モンゴル(モンゴル帝国から広域支配の術を学ぶ)

ティムール朝 駅伝を整備し、広域支配を実現。

ムガル朝 ヒンドゥー教などと融和、寛容な統治。

サファヴィー朝 交易貿易を奨励。

オスマン帝国 トルコ系遊牧民。ビザンツ帝国を滅ぼす。アラビア半島、アフリカも支配。多様な民族、宗教を含む複合国家、広域支配を実現。




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歴史探偵 琉球王国 中国と冊封関係(皇帝の臣下になる代わりにその国の王として認めてもらう仕組み)王が代替わりするたびに冊封使という使節が来て国王承認の儀式を行う。中国との貿易が認められ王国繁栄を支える。中継貿易や加工品貿易(螺鈿細工の漆器など)

薩摩の琉球侵攻、日本にも使節を送ることとなる。両属の関係に。ただし、冊封使が来たときは日本のものを隠すなど、中国には日本との関係を隠蔽し、良好な関係を維持した。
ペリー来航 那覇の開港など条約締結をせまる。中国の藩国であることを理由に断ろうとしたが、強圧的な姿勢に条約締結(琉米条約)
明治政府 琉球併合を目指す。水面下でアメリカと交渉、琉球との条約を引き継ぐことで合意。1879沖縄県設置。王国存続はかなわなかった。



0601🌍