「東海道五十三次の謎」その15

 

「出ニッポン」と「四十四」

 

 『東海道五十三次』の四十四番目の絵図「七里渡口」(しちりのわたしぐち)には、「旅立つ船」と「残される船」が描かれているが、そこには2つの意味が込められている。「出ニッポン」の旅に出て日本から「約束の地カナン」へと帰還する者、そしてもう住めなくなるような状態でも日本に固執して旅立たない者である。旅立たない者は、創造神ヤハウェに与えられた「約束の地カナン」を奪還するという大和民族の使命を頑固なまでに受け入れることができず、ヤマトの地の終焉とともに姿を消すこととなる。

 

「出ニッポン」の旅

 

 「同じ日本人なのに、なんでそんな言い方をするのだ」と筆者のことを冷酷な人間だと思われる方もいらっしゃるはずだ。だが、それを決めているのも創造神ヤハウェであり、再臨するイエス・キリストなのである。「出エジプト」の際、モーセは40年の月日をかけ、カナンに向かって砂漠を移動している。その中では落伍者がいっぱい現れた。残った者を選別したのはヤハウェである。そして、大和民族というのは、非常にかたくなな人間が多く、すぐ調子に乗って背教してしまう人間が多い。ヤハウェはそのことを明確にモーセに伝えている。

 

 少々長いが、普段、『旧約聖書』を読まれていない方も多いと思うので、そのまま記載する(太字、下線は筆者)。


  あなたが正しいので、あなたの神、主がこの良い土地を与え、それを得させてくださるのではないことをわきまえなさい。あなたはかたくなな民である。あなたは荒れ野で、あなたの神、主を怒らせたことを思い起こし、忘れてはならない。あなたたちは、エジプトの国を出た日からここに来るまで主に背き続けてきた。
 

 ホレブにいたとき、あなたたちが主を怒らせたので、主はあなたたちに向かって激しく憤り、滅ぼそうとされた。 わたしが石の板、すなわち主があなたたちと結ばれた契約の板を受け取るため山に登ったとき、わたしは四十日四十夜、山にとどまり、パンも食べず水も飲まなかった。 主は、神の指で記された二枚の石の板をわたしにお授けになった。その上には、集会の日に、主が山で火の中からあなたたちに告げられた言葉がすべてそのとおりに記されていた。 

 

 四十日四十夜が過ぎて、主はわたしにその二枚の石の板、契約の板を授けられた。 そのとき、主はわたしに言われた。「すぐに立って、ここから下りなさい。あなたがエジプトから導き出した民は堕落し、早くもわたしが命じた道からそれて、鋳像を造った。」 主は更に、わたしに言われた。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。 わたしを引き止めるな。わたしは彼らを滅ぼし、天の下からその名を消し去って、あなたを彼らより強く、数の多い国民とする。」

 

   わたしが身を翻して山を下ると、山は火に包まれて燃えていた。わたしは両手に二枚の契約の板を持っていた。 わたしが見たのは、あなたたちがあなたたちの神、主に罪を犯し、子牛の鋳像を造って、早くも主の命じられた道からそれている姿であった。 わたしは両手に持っていた二枚の板を投げつけ、あなたたちの目の前で砕いた。 

 

 主の目に悪と見なされることを行って罪を犯し、主を憤らせた、あなたたちのすべての罪のゆえに、わたしは前と同じように、四十日四十夜、パンも食べず水も飲まず主の前にひれ伏した。 わたしは、主が激しく怒りに燃え、あなたたちを滅ぼされるのではないかと恐れたが、主はこのときも、わたしに耳を傾けてくださった。 アロンに対しても、主は激しく怒って滅ぼそうとされたが、わたしはそのとき、アロンのためにも祈った。 また、あなたたちの罪、あなたたちが造った子牛を取り上げて火に投じ、粉々に砕いて塵とし、その塵を山から流れる川に投げ捨てた。 (「申命記」第9章6-21節)

 

「十戒」の石版とともにモーセに抹殺される偶像崇拝者たち

 

 創造神ヤハウェはおっかない。怒りに満ち溢れると、すぐに自分の民でも「滅ぼす」と言ってしまう。そこには妙に人間味を感じてしまうのだが。この時、もしモーセがアロンのために祈らなかったら、今頃は八咫烏は存在しないのである。その意味で八咫烏はモーセ直系の末裔の天皇陛下には頭が上がらない。もちろん、われわれ大和民族も同じで、この時にモーセがヤハウェに掛け合ってくれなかったら、大和民族は滅んでいたはずである。喉元過ぎると、すぐ調子に乗って背教に陥るからだ。

 

 それなのに、最近の大和民族は頭がおかしくなったせいか、天皇徳仁陛下を「朝鮮人だ」とか、雅子皇后を「池田大作の娘だ」などと言うキチガイが急増している。きっとビル・ゲイツ母型のワクチン接種で、脳が溶け始めているに違いない。これっぽっちも残念ではないが、こういう輩は地上から抹殺されることとなり、特に「出ニッポン」の際に天皇陛下に反抗する輩は、「最後の審判」でも復活することも許されないのである。ヤハウェの預言者である天皇陛下をコケにした時点でアウトだからで、こういう輩は日本という国と天皇陛下の役割を理解していない。

 

上:モーセの時代の移動式の幕屋

下:即位礼正殿の儀で幕屋の中で宣言する天皇陛下

 

 「在日系自民党」「統一教会=国際勝共連合」「日本会議」「ネトウヨ」といった「反日」の輩がやたら好きなのが、「大和魂」「日本精神」「君が代」「日本国旗」「教育勅語」で、それらを前面に押し出すのは日本人に化ける性癖があるからだ。つまり、この連中には「カナン人の血」が混ざっている、もしくは日本人に化けたカナン人の末裔だと考えたほうがいい。安倍晋三のように、遅かれ早かれ絶対神ヤハウェに滅ぼされることとなる。

 

 さらに、こうした輩は、根本的になぜ天皇家だけが2000年以上も日本の君主として存続してきた理由を理解していない。上の画像をご覧いただければ分かると思うが、「出エジプト」の際に砂漠を移動していたモーセは、絶対神ヤハウェが「契約の聖櫃アーク」の上に顕現する場所として、移動式の「幕屋」(臨在の幕屋)を作らせ、絶対神ヤハウェの言葉と命令を民に伝えるために、幕屋の中で神の言葉を預かった。「預言者」である。

 

 天皇陛下はモーセ直系の末裔で絶対神の預言者である。だからこそ、いちばん重要な天皇即位の際は、三種の神器が収められた幕屋の中から即位宣言を行うのである。これは絶対神の預言者となったこと、神霊を宿したことで現人神になったことを、絶対神の代わりに人々に宣言するのだ。これをモーセの時代から続けてきたのが天皇家なのである。だからこそ、天皇陛下に弓を向けるもの、嘲笑するものは絶対神ヤハウェが代わりに滅ぼすのである。

 

「十戒」の石版を投げつけて3000人を滅ぼしたモーセ

 

 「申命記」にあるように、モーセは四十日四十夜山にとどまり、パンも食べず水も飲まずに「十戒」を授かった。四十四枚目の「七里渡口」の絵に「旅立つ船」と「残される船」が描かれた理由は「出エジプト」に雛形があるのだ。「出ニッポン」に旅立てる者とそうでない者に分けるという予型は、既に3300年前にあったのである!

 

 エルサレムへと帰還する旅「出ニッポン」を始めるのは京都=平安京=極東エルサレムである。エルサレム(エル・シャローム)とは、「平安の都」という意味で、東の果てのエルサレムから、西の橋の先祖の地へと帰還するのである。そして、天皇陛下の命令で熱田神宮から持ち出された「草薙剣」が、「契約の聖櫃アーク」とともに船岡山に立てられることが”しるし”となる。そう、イエス・キリストの再臨である。

 

天皇陛下が船岡山で儀式を行う時、イエスが再臨する

 

 モーセがシナイ山で「十戒」を授かるのには「四十日四十夜」を要しているが、四十四番目の絵図「七里渡口」は「船出」である。そう考えた時、「出エジプト」は「出ニッポン」の雛形ではあっても全工程「徒歩」である。川があった時はヤハウェが堰き止め、紅海もヤハウェは2つに割って歩かせた。「船」で旅をする訳では無い。徒歩と船では整合性が取れないのではないか。ここにもう一つの意味が隠されている。「アーク」である。

 

 「アーク」は「箱」であるが「箱船」でもある。「ノアのアーク」は「ノアの箱船」で、もともと「船」なのだ。ノアは3人の息子セム・ハム・ヤフェトとそれぞれの妻の計8人を乗せて、旧世界から新世界へと旅出したのである。モーセは生まれた直後、ファラオの命令でイスラエル人の長子を殺す命令が出たときに、「葦」の「船」でナイル河に流されている。赤ん坊のモーセにとっての新たな人生の「船出」をしていたのである。つまり、「ノアの箱船」は「出エジプト」と「出ニッポン」の雛形だったのである!

 

聖櫃アークとノアの箱船

 

 さらに、「ノアの箱船」にもまた「四十四」が登場する。

 

 主はノアに言われた。
 「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。 あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物をすべて一つがいずつ取りなさい。 空の鳥も七つがい取りなさい。全地の面に子孫が生き続けるように。 七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした。」 ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。(「創世記」第7章1-5節)

 

 『東海道五十三次』の四十四番目の絵図が、なぜ「七里渡口」なのか。それは新しい世界に渡る海となる大雨が降り注ぐまで「七日」あったからで、そこから四十四日、尋も夜も天から雨が降り注いだのである。モーセが神とイスラエル民族との契約「十戒」を授かるまでも四十四日。その「契約」の石版を入れた箱が「アーク」なのだ。

 

 ノアとその家族は旧世界最後の人間だが、新世界最初の人間でもある。そのノアの息子セムの末裔がアブラハムで、アブラハムの孫のヤコブは絶対神ヤハウェに名を「イスラエルに改めよ」とされ、その子どもたちイスラエル12支族の末裔からモーセが誕生したのである。そして、モーセ直系の末裔が天皇陛下であることを考えれば、同じことは3度繰り返し、今回が「終わり」となる。

 

ノア、モーセ、天皇徳仁陛下

 

 なぜ「終わり」なのかと言えば、ノアの箱船から飛び立ち、姿を現していなかった「鳥」が姿を表すからだ。箱船から最初に飛びたっていったのは「烏」である。それは姿の見えない「八咫烏」の象徴。そして次に飛び立った「鳩」は天皇陛下であり、「聖霊」の象徴である。聖霊は「終わりの日」に穢れた人類を焼き尽くすためにやってくる。

 

 だが、最も重要な隠れていた鳥はイエス・キリストである。イエス・キリストが聖霊を連れて「終わりの日」に戻ってくるのである。

 

 

<つづく>