「からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい」

 (「マタイによる福音書」第10章28節)

 

 キリスト教徒で作家の佐藤優氏は、この一文について、「ここで示されているのは、『神様は怖い存在で、あなたの魂と体を地獄に送って滅ぼすことができる』という脅しではない」と解説しているが、筆者の意見は真逆である。

 

 『荒ぶる姿で戻ってくる神様は非常に恐ろしい存在で、背教者たちの魂と体を地獄に送って必ず滅ぼす』

 

 キリスト教徒を自称する人たちは、自分が「選ばれた存在」で、神によって地獄に送られ、滅ぼされることはないと信じている。だが、それは妄想である。長年キリスト教が支配を続けるための方便で、そう教えられてきたことを鵜呑みにしているだけである。

 

 いくら滅ぼされることはないと確信していようと、そう信じた人たちが必ず救われるという保証はどこにもない。なにせ救うか否か、それを決めるのは全知全能の神だけで、神の教えに背いて背信行為ばかり続けてきた人間ごときが、神の意志を認識することなどありえないのである。

 

 特に「イエス・キリスト=愛」とだけ信じているキリスト教徒には、「イエス・キリスト=ヤハウェ=荒ぶる神」という認識がない。だからこそ「救われる」という妄想を続けてしまう。だが、この「マタイによる福音書」には「真理」が書かれている。それは、たとえロスチャイルドだろうがロックフェラーだろうがビル・ゲイツだろうが、世界的な権力を握る連中は、われわれ庶民の肉体を物理的に抹殺することは可能だが、「魂」を抹殺することはできない。所詮は悪魔崇拝で人肉を喰うことをやめない愚かな唯の人間たちなのである。そう、我々と同じ「唯の人間」なのである。

 

 TVや新聞で偉そうなことを言いいながら悪魔崇拝者たちに媚を売るアカデミズムやジャーナリズムも同じで、心の奥底では荒ぶる神に地獄へ送られて魂すら滅ぼされることになると感じつつも、現世御利益への執着をやめられない人たちも同じである。よって、われわれは自らの良心に従って発言し、行動しなければダメだ。それをせず、悪魔崇拝たちが行っていることに見て見ぬふりをして大人しくしている人たちも同罪として滅ぼされることとなる。

 

 最近はどうも子供を食べる悪魔崇拝たちや小児性愛者など、気持ち悪い連中への怒りがとまらない。キリスト教徒はすぐに「汝の敵を愛せ」などと言うが、どう考えても人肉を喰う人間や子供おもちゃにする小児性愛者を愛することなどできない。なにせ連中は異教徒である。それも「神」や「仏」を奉じているのではなく、「悪魔」の崇拝者である。そんな連中を「愛せ」と本当にイエス・キリストが言ったと信じているのだろうか。ここら辺の解釈にも「キリスト教」の闇が潜んでいる。