「人生の旅路を行く間、つねに肝に銘じておいてほしいことがある。目を離していけないのはドーナツだ。穴ではない」

 スティーヴン・プレスフィールド

 

 至極名言である。これは人生のキャリアの話である。プレスフィールドが言うところの「ドーナツ」とは何のことなのだろうか?

 

 地位だろうか、権力か。収入や財産のことなのか。名声や栄光か、はたまたセックスや異性にモテることか。もっと高尚なことで、誰かのために奉仕したりし、社会に貢献することなのだろうか。プレスフィールドは『やりとげる力』や『The Profession』などの著作がある作家で、「プロとはなにか」を書いている人だ。

 

 NHKで『プロフェッショナルの流儀』なる番組をやっているが、最近はどうも小さめのプロが多い。この人こそ「まさにプロ!」と呼べるような存在はどんどん減ってしまっている。筆者は仕事の関係上、音楽を制作する人に多く会うが、残念ながら「こいつは凄い!」と唸らせられるようなプロのアーティストはめちゃくちゃ減ってしまっている。昔話はいけないが、先日もNHKのFMで「今日は一日”山下達郎”三昧」を聞いていた際、ゲストで登場したEPOが、昔はディレクター、ミュージシャン、シンガーも全員プロで、レベルの高い音を作っていたことで、昨今の「しシティポップ」ブームにおいても、40年以上前の音楽が時代を超える「耐性」を持つに至ったと語っていたが、まさにその通りで、みんなが高いレベルの「プロ」だったのである。

 

 最近のアーティストがいけないとは言わないが、「プロ」の自覚はかなり無くなっているのも事実である。プレスフィールドは、「プロとは」という規定を以下のように述べている。

 

 「プロとは、自分の内側、あるいは外側で、良いこと悪いことを問わず、何が起きようとも、つねに努力ろ倫理観の高い水準を掲げ、それに沿って仕事を続けていく人間だ」

 

 「プロは毎日、仕事に臨む。

  プロは、苦労をいとわない。

  プロは、成功も失敗も感傷的に受け止めない。」

 

 音楽の場合、それは最終的に「作品」に表れる。そこに刻まれている「音」をしっかり聴けば、本物かどうかは分かるものだ。それは熱量だったり、気合いだったり、愛だったりする。筆者はそれを「ガッツ」と呼んでいる(笑)。リスナーもそれを聴き取ってあげないとダメだ。リスナーのレベルが下がるとアーティストのレベルも下がってしまうからだ。

 

 音楽だろうがデザインだろうが絵画だろうが、プロの段階を経ていくにつれて、次第に作品は「純粋」なものになっていくものだ。これが不思議なのだが、ある地点を超えると、逆に若返っていくのである。そうでなければ何十年も同じことを続けることなんてできないものだ。必ずモチベーションはどこかで燃え尽きてしまうからだ。

 

 どんな職業だろうが、自分に才能があるのなら、その才能で生きていくほかない。天から授けられた才能、それを信じて進んで行くしかない。そして進まねばならないプロセスに身を委ねるしかない。それは「川の流れのように」のようなものだが、川の途中で陸に上がってしまう人は「覚悟」が足りない。この「覚悟」こそがやり抜けるかどうかを決めるのだ。

 

 シェイクスピアもモーツァルトも、ピカソもポール・マッカートニーも、作品を作るたびに進化を遂げながら、常に自分の中の「本質」を失わずに進んできた天才たちだ。この「自分の中の本質」こそがドーナツなのである。どんな人も自分の頭の中に鳴るメロディを口ずさみながら人生を進んでいくしかないのだ。そのメロディは段々と美しいものになっていくと信じて。