ニホンウナギは長崎産のウナギから命名された。ニホンウナギの「発祥の地」に伝統漁法である「鰻塚」を見に出かけた。
鰻塚のある川棚川の支流、もっとも魚類の豊かな川、石木川にはダム計画がある。ムダだダムの典型なのだ。
 ウナギの寝床は二部構成となっているので、最初の部分も添付します。

 続 ウナギの寝床

うなぎの寝床をつくってウナギをとる漁がある。石を積み、隙間に入った魚をとる石倉漁。その漁法は全国にあるが、長崎県では「鰻塚」と呼ばれ、1890年に県が編纂した「漁業誌」に記述がある。東アジアに広く分布するニホンウナギだが、学名にジャポニカとあるのは、シーボルトが長崎から持ち帰った標本による。そのニホンウナギ「発祥の地」長崎県内で唯一、河川に漁業協同組合がある川棚川(東彼杵郡川棚町)に、2015年10月、鰻塚を見に行った。

取水堰堤の下流に、直径2mほどの石を積んだ塚が9カ所。支流の石木川沿いに住む岩本宏之(72)さんの鰻塚は一番下流側。上流が良い場所だが、その年はくじに外れだそうだ。

水深は1m弱、鰻塚の外側に網を張り、外側に石を移動する。二人がかりで一時間あまり、やがて、ウナギは逃げまどい、網に掛かった。少ないとは言うものの、50cmにせまる銀色のウナギが3尾、小型のウナギが数尾とれた。 

ウナギは海で生まれる。川に遡上してから、五年から十数年の期間、川で育つ。海に下る準備を始めると、黄色がかった体色は銀色となる。その銀ウナギは,海に下り、グアム島近海まで数千キロ旅をして産卵する。

岩本さんの鰻塚には、海に下る直前の銀ウナギと川に入ってきて間もないウナギがいた。鰻塚のある汽水域が、海と川との交差点として大切な場であることがよくわかる。

国内のウナギ漁獲高は1960年代の三千トンから2015年には70トンまで減少した。その理由は諸説あるのだが、ウナギが生育する河川の変化は誰の目にも明かだ。ダム建設は生息する場を奪い、河口堰は海と川を分断した。長崎随一のウナギの川.石木川にも、ダム計画がある。

15年環境省はニホンウナギを絶滅危惧種に区分した。しかし、真に絶滅に瀕しているのは「日本の川」なのではないのか。

(魚類生態写真家)

石倉漁(いしぐらりょう)

(東彼杵郡川棚町 ひがしそのぎぐんかわたなまち)

 

 ウナギの寝床 1部