
その川のアユは今まで食べたどのアユよりも強い香りを放っていた。小国川を守ろうとした前漁協組合長を自死に追い込んで、最上小国川ダムの建設が始まった。清流に起ころうとする悲惨を見届けようと思う。
小国川についての詳細はこちらをご覧下さい。
夏の終わり、使い残した青春十八きっぷで川を見に出かけた。岐阜駅からの始発で在来線を乗り継いで、その日のうちに到着できる一番遠い川は、最上川の支流小国川だった。
小国川は東北を代表するアユの川だ。アユは「松原鮎」と呼ばれ明治天皇への献上品ともなったという。
瀬見温泉でヤナ場を営んでいる八鍬孝明さんを訪ねた。昨夜の雨で今年初めてアユが降りたと、(いそがしくトルツメ)アユの出荷作業をされていた。
「下り始めて一週間のアユが一番美味しい」そう言って番小屋のいろりに炭火をおこし、選んだアユを焼いてくださった。
最初に川を下ったアユは夏の姿だが、焼きあがったアユを捌くと対になった卵巣の片方だけが膨らみ、産卵の準備が始まっていた。
初めて松原鮎を食べた。一晩を生け簀で過ごしたアユの腸に藻類の苦みはなかったが体表の粘膜の脂が放つ芳香が際立っていた。アユは香魚と呼ばれるが、その香は餌となる藻類が作りだす成分に由来する。それは、森林の芳香物質としてしられるフィトンチッドと似た成分であるという。そのアユの脂は口の中に満ちて、食後もぴりぴりするほどの森の香りを感じた。
地元釣師下川久伍さんの案内でダム建設地に行った。ダム建設に反対した前漁業組合長の自死という悲惨を経て建設が始まった小国川ダムは「穴あきダム」だ。ダム本体には穴があり水を溜めないことから環境への影響は少ないという。
大水の後、いったん水を溜めるというダム上流は深い森になっていた。雨量によっては長い時間水中に沈むことになるダム上流の木々の中には、枯れるものもあるのではないか。枯死した木々や流れた土砂が穴を塞ぎ、やがて水底で森は死んでしまわないのか。
その日、私として珍しく下腹が硬く夜半になってトイレにこもった。放たれて昼間のアユの、森の香りが広がった。
(魚類生態写真家)
