鵜飼屋の母 その方は40年間 長良川鵜飼を見守り続けている。鵜匠の妻、そして母として長良川鵜飼を見る視線のさきには今日も鵜匠の篝火の炎がある。

 

長良川鵜飼は毎年5月から10月までの長丁場。期間中は雨が降っても川が増水しないかぎり鵜飼は行われる。その鵜飼を岸辺から見続けてきた方がいる。鵜匠杉山雅彦さんの母だ。

杉山寿美子さんは79歳。ご主人が鵜匠だった時代から40年以上、鵜舟が帰ってくる岸辺に大八車を用意して鵜匠を迎える。

 本年3月、長良川鵜飼は国指定の重要無形民俗文化財に指定された。そして、いま国際連合食糧農業機構(FAO)の創設した世界農業遺産への登録を目指している。新たな長良川鵜飼の時代だ。

 見物するには典雅な鵜飼ではあるが、その本質はあくまでも漁だ。使用する鵜、道具、装束は毎年新しくして行かなければ立ち行かない。鵜匠の着用する漁服(りょうふく)にしても、篝の火の粉は服を焦がす。繕いは欠かせないが、それでも消耗は激しく年間3着は新調が必要だという。しかし、紺染め綿の反物を作る場所が見つからない。藍染め綿の反物はあるとしても、作業着としての用途には高価すぎる代物だ。

鵜舟に鵜を運ぶ鵜篭、鮎を入れるセイロ。鵜飼に使う道具は、もともとはありふれた材料によって、近くに住む職人が作ってきた。今でも、高度な技術を持った職人を全国に求めれば、道具の多くを作ることは可能だろう。しかし、日々の漁で使う道具は消耗品として使われ、更新されてきたものだった。

長良川鵜飼を文化として残していくならば、その道具を作る技術・文化もまた残していく取り組みが必要なのではないか。重要文化財の指定が、鵜飼屋の人々に、新たな負担とならない事を願っている。

「残さないかん。絶えたらそれでおわり」寿美子さんがそうつぶやいた。

今夜も鵜舟と遊船の灯に浮かぶのは、鵜飼を守り、子や孫の行く末を見つめる鵜飼屋の母の背中だった。

(魚類生態写真家)