
すこし摘んで口に入れた。焦げたエビの仲間の香り、体は柔らかく、抵抗なく噛みしめると飛翔筋だろうか筋肉の味と歯ごたえを感じた。そして、甘くほんの わずかに苦酸っぱいものが口の中ではじけた。それは卵の塊であった。メコンの川床で育ち、夜空高く飛び、子孫を放つ刹那の「ざざむし」の、ほろ苦甘い味 だった。

「虫食い」の系譜
自分が「虫食い」の系譜にあることを知ったのは大学に入ってからだ。
受講した民俗学で、世界中、多くの人々が昆虫を食べている。そして、日本でも昆虫食が普通に行われていることを知った。その地、天竜川の上流域は父が生まれ育った場所だった。実家に電話して父と話した。電話を不思議がっていた父だったが「なんだ、ざざむしの事か」と笑った。
ざざむし。それはヒゲナガカワトビケラという水中に棲む昆虫の幼虫だった。黒光りする芋虫状の胴体の片方に小さな頭と脚がついている。礫の間に糸で巣を作って流れてくる餌を食べている。
川に行き、ざざむしを集めて、コッヘルに少し油を張って炒めた。40年も前のことなのだが、プチンとした歯ざわりを覚えている。
先月下旬のメコンは雨季の始まりを告げる雨になった。午後からの豪雨が収まった午後七時ごろ、パラパラと軽やかな音とともに虫達がベランダの灯火に集まってきた。尋常ではないその数に明かりが見えなくなる。虫は閉めきった部屋にも入ってきてベッドの上を這いまわる。3センチほどもあるその昆虫はトビケラの仲間だった。
翌朝、近所の家々では家族がたらいを囲んでいる。たらいは昨夜電球の下に置き、水を張っておいたものだ。なかには灯火に集まった昆虫が層をなしていた。その中から、昨夜大量に羽化した大型のトビケラを選り分けている。よほど物欲しそうに眺めていたものかホテルの朝食にトビケラを軽く炒ったものが添えられていた。
すこし摘んで口に入れた。焦げたエビの仲間の香り、体は柔らかく、抵抗なく噛みしめると飛翔筋だろうか筋肉の味と歯ごたえを感じた。そして、甘くほんのわずかに苦酸っぱいものが口の中ではじけた。それは卵の塊であった。メコンの川床で育ち、夜空高く飛び、子孫を放つ刹那の「ざざむし」の、ほろ苦甘い味だった。 (2015年6月29日出稿)