我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」-23
                    ゴーギャン(1848~1903)フランスの画家
全く戦争がなかった日本の76年を考える⑳
 

1989(平成元)年  昭和天皇崩御  ベルリンの壁崩壊冷戦終結 バブル景気
1990(平成2)年 ネルソン・マンデラ解放 ゴルバチョフ大統領 ドイツ統一
1991(平成3)年 自衛隊初海外派遣ペルシャ湾掃海派遣 
           アパルトヘイト撤廃    ソビエト連邦崩壊、
1992(平成4)年   コンピュータゲーム発売   松井秀喜5打席連続敬遠。
1993(平成5)年   現天皇陛下結婚の儀   北海道南西沖地震奥尻島
           巨大津波   各国から米輸入決定(1993年米騒動)
1994(平成6)年 ネルソン・マンデラ南ア大統領 村山内閣
1995(平成7)年  阪神・淡路大震災  地下鉄サリン事件 
            野茂英雄ドジャース入団 Windows 95が日本発売
1996(平成8)年 Yahoo Japanサービス開始 原爆ドーム世界遺産
1997(平成9)年   神戸連続児童殺傷事件(通称・酒鬼薔薇事件)
1998(平成10)年  テポドン三陸沖着弾 CDバブル 自殺者3万人超

私のブログを開いていただき、ありがとうございます。

 

学校が荒れていた時期が続いていました。

昨日、「髪の黒染め指導、違法性なし」という報道がありました。

 

このころは、盛んに金髪や派手な異装というのが全国的にあった時代でもあったと思います。

 

服装の自由の何が悪い!?

髪の毛を黒く染めるのは人権侵害だビックリマーク

                    という主張が強い時代でもありました。

 

世間からすれば、字面だけでは、そのとおりで、それに目くじらたてている

学校がおかしい、とか、校則がおかしいとか、ともいわれました。

 

で、実態はというと、経験上金髪だったり、いわゆる暴走族風の学生服を着たりしていて、しっかり規則を守って授業も受けて、係や部活動も一生懸命やるという生徒は、経験上100%見たことはありません

 

見ればわかりますが、目つきは悪いし、極めて威圧的です。自分の思い通りにいかなければ、いわゆるすぐキレます。

 

どうすれば、こうなるのか、自分の子どももこうなったらどうしようなんて思いましたが、うちの子どもが中学校の時、隣の席の子は、そんな子でしたが、

うちの子はそうなりませんでした。

 

PTAの時、(これでも数回行ったことはあるんです)、なんでお前の隣は、そういう子なんだと聞いてみたことがあります。

 

「そんなこと知らないよ」 ハッというのですが、

うちの子はそうゆう子を全く意に介せず、ちゃんとやれよみたいなことをいえるのだそうで、ホントかよと思いました。

 

話を戻すと、私はどちらかというと直情型で変化球など投げない方でしたら、そういう生徒とはぶつかります。

 

「○ねビックリマーク」とか「○す!」とかいわれることもあるわけです。

 

こっちも負けませんが、エネルギー消耗します。

 

一番いやなのが、自分の住所のある学区に転勤になること。

ところが、これが実現してしまいました。ガーン

さすがに、何があるかわからない時代でしたから

 

「転勤希望」だしたかったのですが、妻の方は軽くて、

「こんなに勤務地が近いところなのに…」などと。

結局10年近くいました。

 

ある日のことです。やっと帰宅して、風呂に入り、缶ビールをプシュッ生ビール

とやろうとしていた午前零時ころ、

 

ピンポーン目

 

背筋が凍るような寒気が走り、対応します。

 

すいません。次回に。

 

今日も最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。