台所でコーヒーのための湯を沸かしながら、また、考えた。
古事記は稗田阿礼 ( ひえだのあれ )が誦習したものを太 安万呂 ( おおの やすまろ )が書き記したと伝えられている。
この人は不比等と関係ないのかな・・・。
「あっそうだ・・・!中臣鎌足が詠んだ歌に『安見児得たり』とあったわ。『安見児』が本当に不比等のことだったのなら、『安』の字を不比等が使った可能性があるかもしれない」
紙にふたつの名前を書いてみた。
柿本 人麻呂
太 安麻呂
「そうだ。柿本の『本』の字の縦線を取ったら『太』という字になる!」
不比等は太安万呂の名前で古事記を編纂して、その上に、日本書紀も編纂した、ということだったのかもしれない。編集長かもしれない。部下を何人も使っただろうから。古事記はその下書きのようなものだったかな?
小桜は「太安万呂」をネットで調べて、一九七一年一月に墓が発見されたことを知った。竹西さんという翁がお茶を植えようとしていて偶然発見することになったそうだ。竹の縁があるみたいだ。炭の下に灰や骨があって、その下の箱の板に墓誌が書かれていた。太安万呂は七二三年七月六日に亡くなったという。七二〇年に死んで火葬した不比等さんの骨を、その三年後に太安万呂の墓に納めたとしたら、あり得ないことでもない。
小桜は、また紙に書いてみた。
藤原 不比等 = 柿本 人麻呂 = 太 安万呂
「藤原不比等は、三つの名まえを使ったということ…?」
言葉と文字の達人だったから、天皇を賛美する歌を詠んで天皇の権威を高め、古事記と日本書紀という歴史書と大宝律令を編纂した。ついでに万葉集も…?
そして、聖武天皇と光明皇后の父親であり、天皇家の断絶を防いで・・・と、こんなに、ひとりで大活躍だった。そう、新しいことを始めようとすると、必ず反対する人がいるものだ。意固地になったり嫉妬したり、陰謀や裏切り・・・なかなか一筋縄ではいかない。
「日本に永く続く天皇制のシステムを築くという仕事は、藤原不比等が何から何までひとりでやってのけたからこそ思い通りに実行できた、っていうわけだったのかしら…?」
小桜は、コーヒーのカップを手に、つぶやいた。
「日本に永く続く天皇制のシステムを築くという仕事は、藤原不比等が何から何までひとりでやってのけたからこそ思い通りに実行できた、っていうわけだったのかしら…?」
小桜は、コーヒーのカップを手に、つぶやいた。
次の週末、夫に車で奈良に連れて行ってもらった。愛犬の楓も一緒に秋の遠足だ。春日大社の駐車場は七五三の関係者のみになっていた。春日大社の参拝はあきらめて、そのまま太安万呂の墓に行ってほしい、と頼んだ。
それは一本の国道、国道と言っても細い山道だったけど、その一本道で繋がっている二つの天皇陵、志貴皇子の眠る春日宮天皇陵と、白壁王の眠る光仁天皇陵の間にある。
太安万呂が、本当に藤原不比等と同一人物だったとしたら、同じ天智天皇を父に持つ弟と、甥のお墓のそばに眠っていたことになる。
太安万呂が、本当に藤原不比等と同一人物だったとしたら、同じ天智天皇を父に持つ弟と、甥のお墓のそばに眠っていたことになる。
ネットで見た通り、それは、茶畑の脇の南向きの斜面に、石で円を描くようにしてあった。その場所の前に立って南を見ると、のどかな景色が見渡せる。すぐそばの畑では、農家の人が作業をしている。まるで、時間がゆっくり流れているような静かな所だ
「一三〇〇年以上の間、太安万呂こと藤原不比等の魂は、この斜面で静かに、この景色を眺めてきたのね」

灰の下の箱には真珠が入っていたそうだ。死者の口に真珠を含ませて埋葬する古のならわしによるものだろう、とされている。真珠は焼かれていないので、後から遺灰にそっと添えられたのだろう、ということだ。
その場に立ってみて、飛鳥の方向を眺めながら、小桜は想像してみた。
いまわの際に、息も絶え絶えに、不比等は娘の光明子に言った。
「吾が死んだら、火葬にして、四年前に亡くなった弟の志貴皇子の陵のそばに骨を埋めてくれ。そなたにもしも、もしもやが、万一、このまま皇子が生まれなんだら、その時は、志貴皇子の皇子白壁王が継ぐのが良いと思うておる。火葬にしても吾の魂は天には昇らず土の中に留まって、志貴皇子の御霊とともに甥の白壁王を守ることにしよう。
しかも、あそこなら、香具山の上に昇った美しい月を見上げられる。名を太安万呂として、藤原不比等の墓とは誰も気づかぬように、ひっそりと、頼む・・・。誰にも荒らされないようにひっそりとな。
そうや、蓬莱の枝についているという真珠を墓に入れておいてくれ。かぐや姫がもう一度地上に降りてきてくれたら、生まれ変わった吾が真珠のついた枝を持っていって、姫に求婚しよう・・・」



終章につづく
ここまで、仮説に基づくファンタジーでした



終章につづく