こんにちは 藤原です
今回は7月3日(日)のスポーツ新聞の記事の事です
7月2日(土)に行われた 阪神VS横浜戦
で、
阪神タイガースの藤井彰人捕手が移籍第1号を打って
阪神が6対4で勝利した新聞の1面に書かれていた内容です
1面左端に書かれていた記事の内容です
『ホットライン』
近畿大学硬式野球部 榎本保監督さんの
~記事の内容~
「1998年の秋季関西5リーグ代表決定戦(大院大)
9回裏に満塁のピンチを招いて、藤井彰のミットが
相手打者に当たりましてね。打撃妨害をとられて、
同点に追いつかれたんです。」
ベンチは抗議を
「当時の監督と僕は抗議、抗議。でも気がついたら
藤井彰が監督をつかまえて『大丈夫ですから。
引っ込んでいてください』と説得していました。
そして『ココを抑えたらいいんでしょ』と。
延長10回に怒りの打線が爆発して勝ったんです」
以上省略
と言う内容が記事になっていました!!
その記事を読んで
「うっん!? これは僕らが4回生、最後の公式戦!
しかも全国大会の出場をかけた
明治神宮野球大会関西地区代表決定戦
の内容!!」
だと思い、自宅の倉庫から引っ張り出してきました!!
僕が当時ベンチ入りしていて毎試合・各イニング中に僕が感じた事を
選手に伝え、記録・コメントした大事な『マイ・ノート』です!!
しかし、「よくもここまで書いたなぁ!!」って言うぐらい
ノートが何冊もありました!!
(自分で書いておきながら忘れていました・・・)
これが、内容のマイ・ノートです
トーナメント表です!
僕たち『大阪学院大学』は
一回戦 京滋リーグ代表:仏教大学でした。
結果、6対3で勝利し、決勝戦で近畿大学と対戦しました!!
結果は延長10回、5対2で残念ながら負けてしまいました・・・。
とにかく近畿大学は強く、どこの大学が戦っても
勝てないぐらい最強チームで、当時のメンバー9人中、
4人がプロ野球選手になっていますから相当、強かったですね!
二岡選手(内野手)⇒巨人~北海道日本ハム
藤井選手(捕手) ⇒大阪近鉄~楽天~阪神
宇高選手(投手) ⇒大阪近鉄~横浜
山下選手(内野手)⇒大阪近鉄~楽天
試合をしていて、「あわよくば近大に勝てる!!」って
ベンチも選手も思っていたと思います。
でも甘かったです・・・。
試合の経験値や選手個々のプライドが歴然と差が出ていたと思います。
記録した内容です。
何を書いたか覚えていなく・・・。
読み返して当時の試合内容を思い出しました。
延長戦まで近大を追い込んだんですから、
すごい試合だった事には違いありません!
大学野球最後の試合後に書いたコメントです・・・。
僕にしか、わからない内容ですが当時の感想を
簡単ではありますが、コメントしてました。
翌日、平成10年(1998年)11月5日(木)の新聞の記事です。
近畿大学が優勝した内容が書かれています。
あのスポーツ新聞の記事が無かったら
この内容は紹介出来なかったです。
些細な事でしたが、当時の事を思い出せて良かったです
この『マイ・ノート』は一生の宝物かも!? 知れません。
皆さんも学生時代の良い思い出はありますか?
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