旅順、大連、奉天  -4ページ目
2004-11-13 10:05:55

大頂子山、高崎山…

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203山頂より北西の遠望。

画面の右端にすこし見える丘が164高地、いわゆる高崎山だと思われます。
第3回総攻撃のさなか、指揮権を乃木から一時的に奪った児玉源太郎の命令により、28榴がここ高崎山に急きょ移動させられ、ここから203高地に向け連続砲撃を実施して周辺の砲台を征圧、その後203山頂を猛砲撃し、山頂のロシア軍を一掃し、203の陥落に大いなる貢献をはたしました。

真中の山は、おそらく大頂子山だと思うのですが、どれがどの山なのかよく分かりませんでした。
2004-11-13 10:03:55

南山坡山(なまこ山)?

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203の東北山頂からの眺め、おそらく「南山坡山(なまこ山)」だと思うんですが、確信はありません。なんとなくナマコのような形をしているように見えますが…。

第2回総攻撃に先立つ前進陣地への攻略(明治37年9月18日~)により「南山坡山(なまこ山)」は占領されました。この山頂はなかなか良い観測点だったそうで、第1旅団長の山本少将が山頂より旅順港方面を視察していたところ、ロシア軍からの一斉銃砲撃をくらい戦死されたそうです。

繰り返しますが、この山が本当にナマコ山かどうかは確証ありません…(笑) そういうことにしておきましょう。。。
2004-11-13 10:00:56

水師営の会見場

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♪旅順開城約なりて~、とよくうちのオバアちゃんが唄を歌っていた「水師営」の会見場跡です。この農家がその場所だそうですが、おそらく相当補修したに違いありません。

ステッセルと乃木と幕僚たちの記念撮影の現場は、写真左手前(枠外)のなつめの木の下だと現地ガイドが言っていましたが、うーん…。
農家の周囲の石積みの塀はおそらくほとんど積みなおしで原型をとどめず、なつめの木もガイドは「当時から3代目だ。」と言うけど、いろいろ調べてみるとWW2の戦後にソビエト軍が伐採した、という話もあるみたいで、本当のところは良くわかりません。

東京の乃木神社の乃木邸のわきに、本家本元のなつめの木の子孫が移植され今でもちゃんと手入れされていますので、そっちのほうが本物に近いかもしれませんね。

帰国してから当時の記録映像を見ましたが、たしかにこんな農家が背景に映っています。

ここの脇に「水師営レストラン」があり、今日の昼ももちろん山盛りの中華料理です…。ここはなかなか美味しかったですよ。
2004-11-13 07:20:49

水師営の会見場(農家の内部)

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ここが実際に会見を行った部屋だそうです。

現地ガイド曰く、「このテーブルは当時のもの。」ということですが、帰国後いろいろ調べてみると、これも怪しいらしいです…とほほ。
本物は東京の乃木邸にある、と、あるHPに出てました。

この農家は野戦病院として使用されており、このテーブル(の本物)は、手術台として現地で製作されたもので、それを会見用のテーブルとして使用したそうです。
その後、ある軍医さんにより卓上に墨書きで記念の文章が書かれたのですが、それまでソックリに再現されていて、ここまでくると中国当局のレプリカ魂にはほとほと頭が下がります。
2004-11-13 07:18:49

旅順

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現在、日本人の観光客に解放されているのは今回巡った「東鶏冠山北堡塁」、「203高地」、「水師営」の3箇所のみだそうで、松樹山、二龍山、盤龍山、白玉山などのその他の著名な地点には行くことができないそうです。

また、上記3箇所のほか、とくに市内ではバスから降りることもできません。(今回のツアーが上記3箇所だけしか許可を取っていないなかったからなのかもしれません。)
撮影についても、市内ではバスの車窓からも厳禁でした。(たいした軍艦もないのに…、軍機もクソもないですよねぇ。。。)

個人的には、せめて丸1日を費やして各山々を訪れたかった、少なくても、下から見上げて写真を撮るだけでもしたいところでしたが、上記3箇所以外では下車すら禁止されていたため残念ながらあきらめるしかありません。

でも、東鶏冠山北堡塁、203高地に行けただけでも良かったです。死ぬまでに1度でいいから行きたかったところなので…。
2004-11-13 07:15:38

大連市内 中山広場 横浜正金銀行

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大連市内に戻ります。
市内中心部の「中山広場」(どの街にもありますが、中山とは、孫文のことだそうです。)を中心に、戦前からの古い建築物が多数残っています。

この建物は旧「横浜正金銀行」で、現在は中国ナントカ銀行となっています。

岩波新書の「日本の近代建築」を引っ張り出してきて数年ぶりに流し読みしたのですが、このような様式はドイツ派の建築家によるデザインだそうで…、一夜漬けの知ったかぶりはやめときましょう…汗
建築はまだまだ不勉強なので、、、。
2004-11-13 07:10:50

中山広場 ヤマトホテル

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こちらは中山広場(円形のロータリーになっています)をはさんで横浜正金の180度反対側、旧「ヤマトホテル」です。現在もホテルとして使用されています。

当時は満鉄が経営するホテルで、満州の大都市にはだいたいどこでもこのヤマトホテルがあったそうです。大変立派な建物なんですが、屋上になんとテレビの大画面が取り付けられちゃいまして…、なんでこんなことするんでしょうかネェ。。。全く…。
2004-11-13 07:05:07

旧・満鉄本社

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こちらは大連市内の別の場所(観光バスで連れて行かれるまま、なので正確な場所を覚えて無いんです…すみません)でして、旧「満鉄本社」です。

現在では軍関係の庁舎として使用されています。

あの「満鉄」ですから、もっと巨大なビルにでも入っていそうなものですが、意外に小ぶりなビルでした。日銀本館のような建物です。(私、建築はそれほど詳しくないので、詳しい方でしたらおそらく誰が設計したとかお分かりなんでしょうが…、どなたか教えて下さい。)
2004-11-13 07:00:43

大連の夜景

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大連の夜景です。
市内の山上から撮影しました。

大連は中国でも4番目か5番目の大都市だそうで、思っていたより大都会でした。もっとひなびたところかと思っていたので意外でした。
2004-11-12 13:00:17

旧・満鉄を行く

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3日目、大連駅(新駅)から列車で一路北上、審陽(旧・奉天)に向かいます。

この鉄道は、もともと北清事変のあとに帝政ロシアが敷設した東清鉄道を、日露戦争後に日本が改軌(狭軌から標準軌に)し、「南満州鉄道」いわゆる「満鉄」として建設を進めた鉄道です。

JRの在来線より線路の幅が広いため(新幹線と同じ)、機関車も客車もたいへん大きく客車の室内はゆったりしていました。新幹線より広い感じです。

鉄路は金州、得利寺、普蘭店、大石橋、按山、遼陽、沙河、審陽と続き、日露戦争当時の日本軍の進撃コースをたどります。審陽の先は、鉄嶺、長春、ハルピンと北へ延び、ロシア国境に至ります。

車窓からは、今回の旅の目的の1つでもある「満州の大地の広さを感じる」ことができそうで楽しみです…。

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