東京神田の一画に昔ながらのお店が昔のままに何軒か生き残っているのです。
戦災を免れた幸運と、その商売自体を愛するファンに支えられての生存である。
そん中、去年、有名な蕎麦屋「藪蕎麦」さんが漏電で焼失されてしまいました。(再建されるそうですが)
なんでも変わることにより生き残るのが世の常ですが、このレベルになると京都や奈良の文化財化してしまうのですね。
変化を求められない。変化してはいけない。
楽と言えば楽そうだが、退屈と言えば退屈か?
先日、モースコレクションを江戸博物館で面白く見たが、明治期の日本を一西洋人が保管して置いてくれたのだ。
自らの価値は、他人の方が良くわかるのだろう。
大英博物館もしかり、侵略者がいたがゆえに他国の貴重な文化財が保存されている皮肉な事実。どう評価するか?
この手のお店は基本的に安くは無いのだ。
常連よりは観光客的に一度は訪問してみたいが主流になるのだから
安価にする理由が無い。
とは言え、維持管理するコストもかかるであろう。
長い時間を乗り越え生き続けているモノは、国籍やナショナリズムを超えて人を魅了します。
それにしても素朴な突出し看板 が素敵ですね。