アジア読書 -4ページ目

ポスト<東アジア> 

孫 歌, 陳 光興, 白 永瑞
ポスト“東アジア”
今年も六四がやってきた。こんな季節にこんなインチキ本を読んでしまったのは失敗だったが、表紙が例の反日デモで、「靖國神厠を砲撃せよ」とか「原爆で日本 を滅亡せよ」とかのプラカードを掲げた群衆の写真なので、日本人以外の中韓台の「進歩学者」が編集する糞本と分かっていながら読んでしまった。これは作品 社の「知の攻略思想読本」シリーズの一冊らしいが、これが「知の攻略」とは言い得て妙。要するに「知」とは詐欺師の武器といったところか。連中が重きを置 くのが反米と抵抗ということだが、もちろん「日本右翼」の反米は批判され、チベット人、ウイグル人の抵抗は無視される。日本は70年前のイメージに据え置 かれ、戦後は米国の従属国か「歴史を歪曲する危険な国」である。民主主義とは反米のことであり、軍国主義の天皇を敬う日本は民主主義ではなく、韓国が東ア ジア連帯の中心になるべきだと。その言説に丸川哲史とか溝口雄三といった筋金入りの媚中派が証左を与え、孫歌必死の中国脅威論払拭にも助け舟を出してい る。ああバカバカしい。ちらっと顔を出す柳ナントカという韓国人研究者の方がもっとマシなことを書いている。だいたい日本が「対米従属国」ならなんで帝国 主義だなんて言えるんだよ。「周辺国」が帝国主義として認識しているのはどう考えても「中華人民共和国」の方だろうが。我々は中国人や韓国人を蔑視してい るそうだが、ヘラヘラ笑いながら日本大使館に投石するのが抵抗だなんてそんなアホな。統一教会じゃるまいし、自分たちは永遠の加害者だと認めよと言われて もそりゃ無理だ。結局血統論なんだろうが、マルクス主義に置き換えて儒教ヒエラルキーを再編しようたって、そうは問屋が卸さない。最後にポスト<東アジ ア>を考えるための基本書63冊なるものが紹介されているのだが、これがもうスゴすぎてクラクラする。丸川とか自分たちの本ばっかりあるのも酷いが、ここ だけ見とけば傾向は分かるので、もう読む必要はないだろう。

北朝鮮に潜入せよ 

青木 理
北朝鮮に潜入せよ
例のシルミドばかり注目されるが、これは北派工作員の全体像に迫った本。国全体が南派工作員に乗っ取られた感のある現在の韓国だが、やはり「歴史は消し去 れない」ので、共同通信特派員が利用できるタネ本も、団体も豊富な様だ。これを読んで拉致は朝鮮の文化だと思うか、日帝残滓かと思うかはその人の傾向によ るかと思うが、とりあえず当時は南北双方とも「拉致」に対するハードルが低かったことは事実であろう。そうなると統一庁長官だかの「拉致家族なんかに会う 必要はない。日本は金正日が拉致を認めたことを高く評価しろ」なんて言葉も驚くに当たらないのだが、そんな南の「太陽政策」を高く評価し、日本の対北政策 を非難している最後の部分でドッしらけてまった。北も南派を出したが、南も北派を出した。北はめぐみさんを拉致したが、日本も強制連行で何百万も拉致した ではないかという相殺論に与する様な言説に惑われてはならない。内容的にはまとまっていてなかなか面白いし、国ではなく人に焦点をあて、北派工作員の孤独 を前面に浮かび上がらせた点は非常に優れていると思ったのだが、結局「無知な大衆を啓蒙する」という記者の驕りからは逃れなかった様だ。無知ゆえに北派工 作員にさせられた人たちを反面教師にということなんだろうけど、自分には知識があると思っている連中が「知識」を印籠に、不特定多数に行う洗脳行為の方が よっぽど有害だ。

在日 修羅の詩 

茂山 貞子
在日 修羅の詩―コリアン・メモワール
1948年生まれの在日二世女性の自伝。神戸新聞に広告が出たライタースクールに通って書き始めたとのことだが、原稿完成前に出版が決まっていたという講談社の「企画」なのかどうかは不明。タイトル通り在日をウリにしてるだけあってオヤジは「血と骨」系だし、幼少時代は極貧で差別のどん底の母子家庭。高校中退で芸能関係から水商売で成功し、離婚して同胞の組幹部の愛人から結婚。旦那の浮気、父親の葬式で父親の愛人家族とケンカ、そして乳癌が見つかりと、まあネタは揃っているのだが、どうもシンパシーを感じる様な素材がない。ただ、これだけフルコースでも、本人が告白している通り、メンタル的にはほとんど日本人であり、通名を本名、本名を通名という意識が自然な人の様だ。それほど在日にこだわっている訳ではなく、こういう「人生いろいろ」は日本人でも在日でも大した違いはない。まあ辛淑玉や朴一の様な全くの韓国メンタルという在日二世は、実のところ非常に稀というのが現実であろう。戒厳令下に初韓国も韓国語が出来ず、入管で半チョッパリと蔑まれたというのも、よくあるパターンだ。こうした両親批判にも祖国批判にも抵抗がないのは日本人的と言えるかもしれない。よって金大中事件とか朴大統領暗殺とか光州事件、日韓W杯や「韓流」はあくまでただの背景として添えているだけ。ただ、オヤジは民団系とのことだが、「帰国運動」とか大韓航空、拉致関連といった「北」系の話がほとんど出てこないのは不自然といえば不自然。この辺にまだ事情がありそうな気がするが、これ以上修羅にしてもややこしくなるだけだから、こんなもんでいいのかな。

シーサンパンナと貴州の旅

鎌沢 久也
シーサンパンナと貴州の旅
タイトル通りのめこんのビジュアル本だが、中国国内はどうもこの著者が一手に引き受けているみたい。相変わらずの省エネ取材だった様だが、この辺への旅はそれが流儀というもの。もっともシーサンパンナは空港は出来るやら、中国人の一大観光ブームが起きるやらで、大理とか麗江ほどではなくとも、現在はエライことになってしまったという話を聞いているので、この本を手に取ったからといって、もう一度行ってみようという気にはなかなかならない。著者はそうしたことも心得ているらしく、景洪とカンランバが同等に扱われていたりしている。やはり日本人らしく少数民族好きの様でもある。クンムー人なんてのも取り上げられていて、「族」ではなく、「人」なのは最近の潮流に従って、「族」を差別語としたからではなく。この民族は55に入れなかった「認定外」だからということ。中国では「族」の方が格上というのは面白いが、これがクンムー人にとって不幸なことなのか幸いなことなのかはよく分からん。前に中国からベトナムへ行ったことがあるが、ベトナムに入って、珍しいことに中国は人が良かったなあと思ってしまった。そう思わせるベトナムもベトナムなのだが、あの親切だった国境の中国側の人たちってやっぱ「少数民族」なんだろうな。実は京族なんてオチかもしれないけど。

王家衛的恋愛 

北小路 隆志
王家衛(ウォン・カーウァイ)的恋愛
読んでいて「映画は理屈じゃねえんだよ」と叫びたくなった。この映画批評ってヤツはかつて私も大学で専攻したことがあるシロモノなのだが、当時から感じていた微妙な違和感は、トシをとるにつれ何やらアレルギーと化してしまった。その学校の講義には某監督が来ていたのだが、議論を呼んだその監督作品の某シーンについて「あれはなーんにも考えずに撮ったの。たぶん、どの監督も批評家みたいな難しいこと考えて撮ったりはしないよ」とか言ってたのが印象に残っている。まあ批評は一分野として作品と切り離して考えればそれで成立するのだが、映画で知りたいのはツマランかオモシロイかってことなのに、監督でもない人間の哲学なんか読まされるのも辛いところだ。そんな訳で私は映画批評も苦手だし、王家衛作品で好きなのは『花様年華』だけだし、恋愛批評はもっと苦手なので、もうグダグダ言ってくれるなという感じ。もっとも香港で暮らしていた時、『恋する惑星』に女の子を誘ったら一発で断られたというトラウマも確かにあるのだが、自分の名誉の為に言わせてもらうと、この人の映画は香港人にはさっぱり人気がない。まあ日本でも、小津とか黒沢なんかの今日の評価は当時の評価とはまた違うだろう。そのうち重慶マンションも九龍城砦みたいに取り壊されるだろうから、そしたら香港人も彼の作品の価値に気が付くことになるのではないか。その日は2046年まで待たないと来ないかもしれないが。

中国のいまがわかる本

上村 幸治
中国のいまがわかる本
あまりにホントの事をズバズバ書いてしまうので、ちょっと心配していたのだが、やはりこの人は私大教授へ転身した様だ。中国の圧力があったのか、自ら嫌気がさしたのか分からんが、元々「小朝日」の毎日なんかにはもったいない様な記者だったので、これも必然なのだろうか。なんとかジャーナリスト稼業も続けていただきたいのだが、この記者→教授の転身パターンはほとんど余生みたいになるのが常なので残念極まりない。で、上村教授(カミムラと読むとは知らなかった)の教育デビュー本がこれなのだが、これも読んでビックリ。神も中国も恐れぬ人にとっては岩波なんざ恐るに足らずといったとこだろうか。ジュニア向けにここまで正論を書いてしまうのも凄過ぎる。まあ岩波さんかて商売だから、コオロギ先生の新書もそうだったが、最近は世間を欺く「知識人様商売」から軌道修正を図っている様に感じる。しかし、こんな本を読んでオトナになっていくこどもたちは、将来思想の転機が訪れることがあるのだろうか。マルクス主義の洗礼と贖罪意識、そして極端な中国美化の時代に育った著者は、現実の中国を知って悩み苦しんだ。だが、日の丸が焼かれる時代に育ったこどもたちは最初から「中国は反日」は自明のものだ。そうした冒頭の女子大生の疑問に答える形になっているのが「中国のいまがわかる本」なのだが、しょーがない国だけど付き合っていくしかないというのが答え。それはホント。確かにその通り。でも、先生、若者はもっと迷い迷わしてもいいんじゃないのか。

アフガニスタンで考える

中村 哲
カラー版 アフガニスタンで考える―国際貢献と憲法九条
今やアフガンNGOの大御所といった感のある中村先生だけど、今回は岩波ブックレットということで、要求があったのか無理矢理副題の「国際貢献と憲法九条」に結び付けた内容。とはいってもこの人は元々、そういう教条路線には批判的な人で、米軍批判はやるが、憲九はようやく最後にちらっと触れた程度。なんか啓蒙の為には致し方ないという印象も受ける。「日本はアジアで孤立している、嫌われている」という言説を崩す事を書いてみたり、女性、人権、思想を価値基準にする援助団体を批判したり、当然、米国のみではなく、ソ連批判も厳しいので、なんか皮肉な感じにも聞こえる。さすがにアフガン戦争の背後に中ソ対立があったことは書かれていないが、そろそろカブールを跋扈する中国商人も批判の対象になってくるのではなかろうか。どうする岩波。

ハロー ペイレイ 決して夢をあきらめない

野々村 ペイレイ
ハローペイレイ―決して夢をあきらめない
どうせ自費だろうから別にいいんだけど、ここまでオヨヨな本も珍しい。著者は日本に帰化した中国人とのことだが、こんな本を出せてしまうのも、さすが日本人離れしてるというか何というか。とりあえずそんな感じで内容については言及するのも無駄なのだが、この人は前に「某ネットワークビジネス」をしてた人と同じ人物じゃないのかな。ディズニーランドでの武勇伝はたっぷりあるが、「美容と健康」ビジネスとは何ぞや。何で詳しく書かないんだろう。まあ上昇志向が並外れていることは分かったが、ここまで出会う人間は自分のステップ材料としか見ないと堂々と書くのもスゴイ。それはさておき、この人もそうだが、アメリカへ行く為というのが中国人の日本帰化の第一理由になっていることは、あまり知られていない。この問題については前に「留学生新聞」かなんかで公開討論が行われ、日本人学生がその点について疑問を口にすると、帰化中国人が烈火の如く怒って「そんなことはあなたたちには関係ない。どんな理由で国籍をとろうと個人の自由だ。だいたい日本人は中国を侵略して....」とお馴染みのパターンになって、「留学生新聞」を読んでる様なマジメな日本人学生は、腑に落ちないものを感じながら黙ってしまうなんて展開があったと記憶している。たしかに私も日本に帰化した中国人を多く知っているが、引き続き日本に住んでいる人の割合はかなり少ない。そうなると「日本は差別社会だから」とか「チャンスがないから」とかこれもまたお馴染みの答えが返ってくるのだが、それならなぜ帰化したのかという話にもなってしまう。これも日本人と中国人の感覚のズレということだろうけど、永住より帰化が容易という政策はやはり変だ。これは中国人だけの特殊事情だと思うが、法務省も帰化後の実態調査をするべきではないだろうか。とか言うと私も「差別主義者」とかにされるんだろうけど、ついでに言わせてもらえば、このタイトルとカバー写真もわざわざ一番ヒドイものを選んだとしか思えん。

世界史のなかの満洲帝国

宮脇 淳子
世界史のなかの満洲帝国
岡田英弘の一番弟子にして恋女房という著者だが、当然ながら岡田史観をベースにした中共が読んだら発狂しそうな満洲帝国史。「満州」ではなく「満洲」にこだわる点からして、「餃子の満洲」同様、本格的な香りがするのだが、実際に頭をリセットさせた研究者をタイムマシンに乗せて1930年代の満洲に放り込めば、大方こういう結論が出るのかと思われる。リットン調査団が意外と客観的であったこともここでは示されている。まあさすがの中国かて時代が変わったのか「公式見解」ではない歴史研究ではガチガチの「偽満州国論」は主流ではなくなっている様なので、「真っ赤な夕陽」と「偽満州国」で二分された時代にも変化が来ている様に思う。よく行く飲み屋の中国人の兄ちゃんは年配の客が来ると「新京知ってます?オレあそこの出身なんです。当時は北京なんかよりずっと近代的な満州国の首都すっよ」なんてのたまわっていて、ズッコケてしまうのだが、もはやそういう時代なのかもしれない。となると「偽満州国」に拘泥しているのは日本の「優しいサヨク」の皆さんということになるのだが、最近は満州国陸軍中尉だった高木正雄の娘をどうしても蹴落としたい隣国の与党支持者と無知同士のタッグを組んでいるので、めんどくさい。ただ「偽満州国」の創始者である中共はそんな雑魚を軽くいなしているみたいだが。まあ岡田史観では中国に歴史などはなく、あるのは政治だけということなので、それはそれで「小中華」「プチ紅衛兵」としての王道を踏んでいるとも言えなくはない。

台湾 好吃大全

平野 久美子
台湾 好吃大全
新潮社のとんぼの本シリーズということで、料理紹介本としては王道のビジュアル系。著者は古くから中華系ものでは名前を聞くライターさんだが、最近は台湾の大学に通っていたらしい(ビザ目的と一石二鳥の語学留学っぽいが)。そのついでという訳ではなかろうが、こんな本が出来上がった。好吃にはちゃんと(フォーチヤア)とフリガナが付いているのだが、これは好吃ではなく好食ではなかろうか。こうした台湾語と北京語の混用は台湾の場合、香港の広東語などと違って、混用するのが普通みたいなところがあるので、別に良いのだけど、ならば料理名には日本語はいらんから北京語併記にした方が実用的ではなかろうか。台湾語カタカナ表記はまず通じない様な気がする。まあピエンタンとか北京語を流用しているものあるので、あるいは一般的な呼び名を記しているだけなのかもしれない。ただ、食い物の分類は悪くない。最初に原住民メシを持ってきて、具には本土メシをたっぷりと日本ものを添えて、最後に外省メシで挟む構成はいけている。ただ、和系でレトロ洋食があるというのも勉強になったけど、台湾化したたこ焼きとか阿給なんかもここに加えて欲しかった。また迂闊ながら牛肉麺が外省ものとは知らなかった。実は密かにこの麺はあまりうまいもんだとは思っていなかったのだが、やっと府に落ちた気がする(失礼)。私はグルメ趣味は経済的要因もあって全く持ち合わせていないのだが、こうした夜市系ばかりを並べてもらえるとホント見てるだけで涙が出そうになる。台湾の人って、夜市のない日本でよく暮らしていけるとも思う。ああバーワン食いてえ。