信念を貫いた亡き兄 | 愛に恵まれて

愛に恵まれて

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自然界に生きる全てを愛しましょう

早朝研修 演壇にて 

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 私の次兄は、57歳の若さでこの世を卒業しました。兄は、高校と大学は苦学をしました。昼間働き、夜に学校へ通ったのです。その頃の私は、兄の苦労を感じ取ることは出来ませんでした。苦労している姿を見せず、いつも楽しい話を聴かせてくれたのです。勤め先から帰り、高校へ行く前には必ず、薪で風呂を沸かし、お風呂に入ってから出かけました。その姿を、いつも傍で見ていました。薪で風呂を沸かしている姿を見ているのが好きでしたので、手伝う事も無く見ていたのです。

  兄は、子どもの頃から、何でも分解する事に興味を持っていたようで、私が使用していた目覚まし時計が壊れた時も、それを欲しいと言って分解していました。その目覚まし時計は、兄が亡くなるまで部屋に置かれていました。好きな事は大成すると言いますが、自動車メーカーのエンジン部分の設計士として働きました。出世の道を断り続け、亡くなるまで現役の設計士として働きました。試乗走行を見る時には、我が家を拠点として泊まり、嬉しそうに出掛けて行きました。亡くなる直前に、私の娘の縁談を心配してくれて、親がしっかりしないといけないと諭されました。兄が晩婚であったからこその言葉だと思います。30歳を目前にして、小学校教員の本採用もままならず、恋愛も無い娘を心配しての事です。
 お陰様で、小学校教員の本採用になった翌年に良縁に恵まれ、2人の娘を持ち、仕事と育児の両立を成し遂げました。俗に、血は争えないと申しますが、娘も兄と同様に、出世の道を打診された時に、固辞したそうです。娘は、
「今でも忙しいのに出世したら、これ以上忙しくなってしまうから嫌だ」
と言うのです。私は、
「どうせ働くなら、出世した方が良いんじゃないの。」
と言いましたが、人それぞれの考え方があるものだと思いました。
今年の定期異動で、別の学校へ転勤と同時に教務主任を任命されたとの事です。娘は、

「教務主任になっちゃったよ。悪戦苦闘中。転職した気分。」
とメールを送ってきました。世の中は、面白い物ですね。出世を願っている人には、なかなか出世の道が届かなく、出世を願わない人は、背中を押され、その路を歩き出さなければならないように出来ているのです。娘も私の子です。与えられた事には真摯に向き合い、業務を全うしてくれると信じております。そして、同僚の先生方には頼りにされ、児童たちには慕われる存在になる事と思います。

私が、周りに愛を向けているように、娘も、周りに愛を届けて行くのではないでしょうか。
 ありがとうございます