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リーベショコラーデ

thoughts about music and singers

昨年に続いて横浜市民賞の選定委員に応募したらさせて戴けることになり、行ってきました。


回数はミスプリントで、第68回が正しいです。12月2日は火曜日です。

決勝に残った10人を聴くわけですが、今年は昨年に比べて市民賞の票は割れませんでした。

同じく選定委員で来場したにゃーも、10人聴いたらすぐに「この人しかいない」「表現力があった」「オペラで観てみたい」と言っていました。その人が市民賞を獲得しました。

市民賞 日隅葉子(ひのくまようこ)さん(6番目の歌手)

おめでとうございます!

確かに表現力があった。
市民ではなく審査員が選ぶ2位にも選ばれました。

でも私は別の人に投票しました。
その人も市民の票は結構集まっていた。
(主催者から『詳細はブログに公開しないでください』と言われてるので割愛します)

私が投票したのは中村佳奈子さん(3番目の歌手)
ドイツ語の歌って、去年も感じたけれど私には地味に聞こえます。
イタリア語の歌を歌ったらもっとアッピールするんじゃないのかなと今年も思いました。
(私は審査員ではないので聞き流してください)

でも地味に聞こえたけれど中村さんは『オペラ歌手に必要な雰囲気』がすごくあった。声量も豊かで、こういう人に伸びてほしいと思わざるを得ませんでした。私以外にも彼女に投票した人が少なからずいたことはご同慶の至りです。(しかもどうしても一人に絞れないときにつける次点票は一票もなく、みなさん「中村佳奈子」一本票でした)


で、優勝したのは10番目の歌手 相原里美さん

私的には因縁のある「ナクソス島のアリアドネ」から~偉大なる王女様を歌いました。




もう何を書こうとしているか、お分かりかと思いますが(笑)
去年この歌を歌った奥村育子さんはびっくりするほど上手でしたが2位でした。それは何故か、は去年書きましたので繰り返しません。そのことを思い出すと、同じような技量で相原さんは一位に選ばれたというのは、歌唱以外のトータルの要素でバランスよく高かったという事だろうと思うのです。一位にケチをつける気持ちは無いので以下割愛しますが、それにしてもこの一年間、プロの歌唱をたくさん聴きましたが、やっぱり学生一位と言っても、プロの「これで生きてるのよ」の歌とはやはり違います。先月聞いた川島幸子さんのツエルビネッタ(偉大なる王女様を歌う役です)は、聞いていて涙が出ました。そういう歌唱はいくら決勝の緊張感あふれる舞台でも聴くことはありません。

そういうのは何が、どこが違うのか。
「技術」
ではないのはもう私には明らかです。
アンナ・ネトレプコがインタビューで「歌に感情は込めない」「技術は鍛錬でどうにでもなる」「でもそれだけだと『ああ上手だね』と言われるだけ」「カラスの歌を聴くと誰でも涙が出る」「だけどそれが何故なのか誰にも分からない」「soul、かな」(インタビューは英語でした)と言っていたのが忘れられません。


日隅葉子さんはコンディションもメンタル面も万全ではなかった、不満や後悔も節々にあります、とブログで述べておられますが、いつも折々書いていますが「その時その瞬間の自分がいつでも最高」なのです。万全でなくても「今見せるのは最高の自分の姿」なのです。聴衆はそういう人を見に行くものであって「私はまだまだ90点ですが歌います」という人を見たいのではない。「持ってるもの全部出します。明日死んでも後悔しません」という人が輝くのです。


上を目指して、より高みを目指して精進してください。


最後までお読み戴き有り難うございました。


■ 追記
※去年の横浜市民賞受賞者梨谷桃子さんが12/23にコンサートに出ます。
会場:ハタ楽器菊名コンサートホール 横浜市港北区菊名4-3-21青木ビル5F電話045-434-1100
開演は15:15 チケット代2000円 席数100
予約申し込みは
横浜音楽協会事務局 http://www.7-o-k.com


毎日新聞の記事です
<大学の部>
▽1位=相原里美(武蔵野音大大学院)
▽2位=日隈葉子(大阪音大卒)
▽3位=市川敏雅(大阪芸術大大学院)
▽入選=村井優衣、久保田絵美、中村佳奈子、山際きみ佳、青木海斗、山田花織、小川栞奈
▽横浜市民賞=日隈葉子
若手が演奏するブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番とラフマニノフピアノ協奏曲第2番という演目S席ペア5000円! という魅力的な企画に惹かれて月曜日の午後2時から仕事をサボッて行ってきました。

 
このチラシはクラシック音楽系らしくなく斬新で良いです


ヴァイオリンは2013年日本音楽コンクール1位で大学生(1994年生まれ!二十歳か)の大江馨くん。
ピアノは第61回全日本学生音楽コンクール2位、19歳でヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール入賞という、これまた1993年生まれの若い阪田知樹くん。

去年の9月に周防亮介(すほうりょうすけ)くんという高校生のメンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲を聞いて感心しましたが、若い人の技術は凄いものがあると感心します。

大江馨くんのアンコール独奏なんか、物凄いことをやっているという事だけわかるが何をどうしているのかが分からないというレベルの演奏だった。阪田知樹くんのピアノも、ちょっと手が小さいのか最初の和音を分けて弾いたのが意外だったけれどもあれは目隠ししてリヒテルの演奏と聞き比べしてもどっちが誰だか分からないであろう、男性的で力強くて技術の完璧な演奏でした。

二人とも驚愕な高水準の技術を持っていました。

でも、

なにか、訴えるものが不足していた。(にゃーは寝てました)

ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番は、齋藤羽奈子さんというこれも東京藝術大学四年生のヴァイオリニストがアマチュアオーケストラの都築オーケストラと共演したのを聴いた時のほうが激しく感動しました。あの演奏はアマチュアオーケストラが独奏者に引っ張られてグングン力を出してスリリングなくらい素晴らしかった。それはもう全体の技術水準がどうのこうのよりも音楽としての一体感が素晴らしかったわけです。(詳しくはそのときのレビューで

こちらのは上手なんだけど、迫ってこない。
ラフマニノフピアノ協奏曲第2番も同じでした。うまいんだけど迫ってこない。特に例の三楽章のドーンという太鼓が今回も微妙にズレていて、そのあとの「歌う」ロシアンリリシズムの演奏がちっとも歌っていなかった。同じホールで佐渡裕さんが指揮した時の音楽と全然違います。

にゃーとも話しましたが「これは指揮者の所為ではなかろうか」です。真面目でおもしろくない優等生的な指揮なんですね。


以前、東京藝術大学卒のヴァイオリニストに聞いたことがありますが、演奏家というのは経験を経て世に出てくるものではなくて、才能のある人は非常に若いうちから発見され育てられ世界に出て行くものなんだそうです。若いときに無名で年取ってから有名になる人はまず今の時代にはいない。

才能というものはそういうもの、というのは私の経験からも首肯できます。何かが上手い人は、初めから上手い。練習しなくても上手い。なぜそんなことができるのか本人にも分からないがとにかくできてしまう。それは努力や練習量で越えられるものではないのですね。

最近東京藝術大学が、世界で活躍する音楽家を発掘し育てるために地方の小学生を無料で指導するプロジェクトをスタートさせたというニュースを聞きましたが、「人より目立つこと」「個性を発揮すること」を抑える文化の国に変化が生まれるものなのか、大変気になります。

育てる人材、それが必要なんじゃないかなぁ、この指揮者ではそれはできなかったじゃないのかな、という感想をにゃーと共有して家路につきました。

ここのところ辛口かなぁ。。。

最後までお読み戴き有り難うございました。
第九を年末に聞きたい訳ではないんですが、ソリストが豪華でしかも前売り800円!そのうえ指揮者が以前鷲尾麻衣さんの伴奏のつけ方がとってもよかった大井剛史さんということでプロースト交響楽団の演奏会に行ってきました。

 


バリトンの浅井隆二さんは二期会マイスタージンガーのメンバーで何度か聞いたことがあります。メゾソプラノの富岡明子さんは2012年の二期会オペラ公演「カヴァレリア・ルスティカーナ」で演出家の田尾下晢さんが「とびきりの美人を配役に求めた」というローラ役に選ばれたメゾソプラノですが見るのは初めて。(私はもう一人のローラ役のほうを見に行きました)

何度かこのブログとか別のとこにも書いていますが
日本で年末に第九をあちこちでやるのは「客が呼べるから」であって年末にやることに特別な意味づけがあるからではありません。(指揮者の佐渡裕さんは「第九は合唱が大人数必要だからその家族や親戚でかなりチケットがさばける」とテレビ番組で発言してました)主催者に「なぜ年末にやるのか?」と聞いてみると良いです。正直に言う人は少ないか或いは日本人はそういうことを深く考えずに「みんながやるから」かもしれません。そもそも欧州には「年末」というもの、そういう感覚、がありません。あるのは「クリスマス」です。

能書きはそのくらいにして、

びっくりしました~!
ミューザ川崎シンフォニーホールったら1,997席もある巨大なホールですが、



3階まで超満席。整理券をもらって入場できなかった人もいるそうです。
いくら800円でも(二万円近い第九のコンサートもあるようですが)、2000人が来るかな~、やはり第九のちからでしょうか、未就学児童は入場ご遠慮くださいなのに連れてきて途中でむずがって連れて出る親子もいました。子供にはムリと分かるのも親の勉強のうちです。


私は第九のレビューは書けないんです。この音楽は誰がどう演奏しても傑作でしょう。フルトベングラーがベルリンでとかバーンスタインの名演がとか聞きますが、どれもそれぞれが名演です。逆にこれをひどく演奏できるオーケストラに興味が・・・割愛。


ソリストにしても、私にはあまり良し悪しが分かりません。


しかーし、ソプラノの馬原裕子(まはらひろこ)さんは良かった。よく通る美声で、ひとりだけ(声種の所為もあるでしょうが)よく声が届いてきました。透き通る美声で真摯に歌う姿も感動的でした。
※あとで知りましたが、この方は第3回長久手オペラ声楽コンクール第1位の人なんですね。澤村翔子が3位以内に入れず特別賞を取ったコンクール。実力は今でも差があるんだなと思いました。

富岡さんはメゾソプラノでもともと何を歌っているのかわからないパートなんですが(わたし的にはですが)、ちっとも表情がなくてつまらなそうにしていたのが逆に印象的でした。まるで「第九のソリストなんてキャリアに影響しないのよ」的に見えました。

なんにしても第九に2000人が来場するということにびっくりしたコンサートでした。

次回、第21回定期演奏会は、、、



<日  時>
 2015年5月17日(日)14:00開演
<指  揮>
 松元 宏康
<独奏>
  中野 翔太(ピアノ)
<曲  目>
 交響管弦楽のための音楽/芥川 也寸志
 ラプソディー・イン・ブルー/ガーシュウィン
 交響曲第5番ホ短調作品64/チャイコフスキー
<会  場>
 ミューザ川崎シンフォニーホール
 音楽ホール


前売り800円!
ぜひ、お出かけください。
<チケット入手情報>
  前売り券は11月30日(日)10時より発売開始
  http://t.pia.jp/   
  ※PC/携帯/スマートフォン共通
  取扱場所:セブン-イレブン、サークルK ・サンクス、チケットぴあ店舗
  TEL:0570-02-9999(Pコード247-918)
  ミューザ川崎シンフォニーホールチケットセンター:044-520-0200
青木氷雨強風の中、水曜日の14:00からという勤め人は来れない時間帯にどうしてするかなぁの日生劇場へB組を観に行きました。湯浅桃子ファンクラブ会員としてはA組ですが、9月20日に観たプレコンサートで初めて観た醍醐園佳(だいごそのか)さんのシルヴァをということでこちらにしました。

 


日生劇場と言ったら2012年の日生劇場50周年記念公演「フィガロの結婚」を観に行く予定だったのがお目当の歌手さんが妊娠で降板したため行かず今回初めて行きましたが、素敵な劇場です。デザインが昭和レトロのモダンなんですね。サイズも大き過ぎずオペラハウスとしては理想的と思いました。平日の昼間で天候も非常に悪いのに八割方席は埋まってました。(天気が悪いから行くのはやめるという人はいないと思いますが)

アメブロのブログはどんな検索語で何人が見に来たかというのが翌日の朝分かる仕組みになっているのですが、「チャールダーシュの女王 感想」という検索語のアクセスが月曜日から激増しました。



それじゃ書かずにはいられません。

9月20日に観たプレコンサートのブログで「この演出家(田尾下哲さん)は読み替え否定論者のようです」と書きましたが、その公演はバリバリの『読み替え』だったのには呆気にとられました。

第一幕のシルヴァとエドウィン(侯爵の息子)が初めて舞台で顔をあわせるシーンでシルヴァがいきなり自分のことを「チャールダーシュの女王」と言いだすのです。

どこがおかしいかというとシルヴァのことを原典では(というか本物のオリジナル台本は無くなっているそうですが)「侯爵夫人になり損ねた」という意味でCsárdásfürstin(チャールダーシュ侯爵夫人)と呼んでいるのであって「女王」という単語は一度もどこにも出てこないのに日本にオペレッタを紹介した人が意図的にチャールダーシュの女王と誤訳したという経緯があることを書きましたが、それをシルヴァに自ら名乗らせる、というのは「日本で既に広まってしまったタイトル名を無理やり話の筋に埋め込もうとした結果の苦肉の策」であることは明らかでしょう。どこが「原典に忠実」? 

二幕でシルヴァが「私たちは決して結ばれることはない。本物の王族と名前だけの女王、チャールダーシュの女王...」という長ゼリフも説明的に冗長で違和感たっぷり。私が「チャールダーシュの女王」は誤訳だと書いた10月13日の直後、二期会はメルマガでこんな事を書きました。

Vol.217 2014.10.17. Fri.
━★『チャールダーシュの女王』特集《4》★━━━━━━━━━━━━━
 “チャールダーシュの女王”とは?
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◆私、つい最近まで「ちゃーるだーしゅのじょーおー」と発音していました。
 正しくは「じょおう」。そうです、「女王」を「じょーおー」と発音する
 のは間違いだったのです!

 では、タイトルになっている「チャールダーシュの女王」とは誰なのか?
 ご存じの方も、最後までおつきあいください。

 原題を直訳すると「チャールダーシュ侯爵夫人」。

 役名はシルヴァ(シルヴァ・ヴァレスク)、ハンガリー・ブダペストの
 劇場のプリマ・ドンナです。
 『チャールダーシュの女王』は、第1幕ブダペストの劇場のシーンで、
 歌姫シルヴァがアリア「山は私のふるさと」歌うところから始まります。
 まさにチャールダーシュの音楽で作られた、とても印象的な曲です!

 さて、このシルヴァには、恋人がいます。
 ウィーン貴族の御曹司、エドウィンです。
 シルヴァは、エドウィンとの身分違いの結婚を望んでいました。
 「チャールダーシュ」の「侯爵夫人」というのには、ハンガリーの歌姫が
 ウィーンの貴族の家に嫁ぎたいなんて…という、皮肉が込められてます。

 でも、このオペレッタは、そんな皮肉めいた悲しいお話ではありません!
 シルヴァもエドウィンも想いは真剣です。二人の恋は成就する…はず!
 シルヴァが誇らしく「チャールダーシュ」の「女王」となれますように!
 [Y]



私のブログを読んであわてて書いた?(^^;

この一幕の最初のシルヴァのセリフで「この公演は原典に忠実ではない」と結論が出ましたが、それに続く演出もボニ伯爵が椿姫のアリアを歌ったりブラームスのハンガリー舞曲が演奏されたり締めはカルメン。。。詳しい人向けのくすぐりという意図かもですが言ってることとやってることが違いませんか?


違ってても作品として良ければ結果オーライなんだけど、まずワルツの音楽がダメです。
ワルツっていうのは小学校で「三拍子」と習って三角を空中に描くように覚えさせられたものですがワルツは三拍子ではない。「2001年宇宙の旅」でカラヤンのブルーダニューブを聴いた時の衝撃は忘れられませんが、人間というのは「揺らぎ」に色気や魅力を生理的に感じるものなんです。


全然三拍子じゃないでしょう?


この指揮者(三ツ橋敬子さん)は、そのウィーンの本物のワルツを歌手が歌うときに演奏してしまった。本場のワルツはテンポが揺れ揺れで、タメて伸ばして緩急自在です。それを歌唱の伴奏でしてしまったら歌手と呼吸が全然合いません。ズレズレです。どっちが主役なのかわからない。あのテンポで歌われたらなんだか演歌を聴いているようです。都はるみの「アンコ椿は恋の花」という歌はアンコーをどこまで伸ばすか分からない、というところにサビがあるわけですが、シルヴァが演歌歌手というのは、チャールダーシュも演歌だからそれを狙った、とは到底思えず。。。この指揮者はワルツだけ演奏させたら素晴らしいが伴奏は勉強不足(経験不足)と思います。

あと、ダンサーのまずさ。
楽日だというのに振りを間違えてるのがいるし、シルヴァを男性たちが持ち上げるシーンが第一幕にありますが、いかにも重そうにジリジリとやった。あれはダメでしょう。あれはキレ良くスパッ!と持ち上げなければ。御神輿を持ち上げてるんじゃないんだから、男性の力強さとシルヴァの華やかな姿を見せるシーンなのに本当に重いのか(つまり男性の力不足)今まで練習中にうまくいかなくて慎重になったのか、あれはシロウトのレベルでした。

などなど一幕で立て続けに(セリフを噛んだ歌手もいるし)ボロボロでひきこまれる所がありません。

個々の歌手は悪くないんです。しかし、使い方がよろしくありません。オペレッタというのはハチャメチャな楽しさがどこかになければいけない。最後に恋人たちが結ばれる感動シーンが目的ではない。このオペレッタだって戦争の時代にそれと真反対の楽しさを求めて人々が見に来たという時代背景があるんだから、楽しさに観客が巻き込まれるような「刹那的な=明日死んでも思い残すことのない」演出をしなければならないはずです。(そこがオリジナルに忠実という事の本来の意味のはず)

その事をわかっていたのは高田正人さんと峰茂樹さんです。アドリブも上手く、この二人が主役かのように演技してくれるのでエドウィンなんか存在感が霞んでます。みなさん、歌手は総じて「真面目すぎ」。ちょっとコミカルさがうまかったのは青木エマさん。この方は今ひとつ「自信」というものを発散していない人ですがそれは本人にそういう指導をする人がいないからで、やらせればもっと輝く人だと思う。華もあるし「なぜ青木エマにシルヴァをやらせなかったのか」と思います。ミスキャストと感じました。

踊りも歌手さんが一生懸命練習しただろうのはわかります。みなさん真面目ですから。でも、ワルツは足運びがまったくできていなかった。ワルツって、踊りの中では非常に難しいんです。日本人でワルツを踊れる人はプロ以外にほとんど皆無でしょう。生活の中にまったく無いし、半年や一年の練習でできるようになるものではありませんから。この演目は日本人にはとってもハードルが高くて、今回は越えられなかった、というのが実感です。

一方、良かったのは合唱。あれだけは舞台が晴れやかで清々しくなりました。二期会の最良部分です。

それから、二期会の歌手が舞台上でキスするのを初めて見ました。私が「日本のオペラ歌手はキスの演技さえできない人ばかり」と書いたのをお読みになったからさせました?(^^;

最後にアンヒルテが初めて歌ったのがカルメンですが、最後の高音が出ませんでした。明らかに「もう声が出ません」という舞台姿です。あれで「これで現役復帰」とは説得力ありません。

演出がみんな力不足の公演でした。感想は「まあまあ良かった。でもハチャメチャな楽しさは全然なかった」同行のにゃーも頷いてました。(本当は彼女はもっと厳しいことを言ってましたが「書かないでね」と言われたので割愛します)


なお、冒頭は「シルヴァがアンコールを8回歌わされて倒れる」という、見たことのない演出でしたが一流の興行師は稼ぎ頭の歌姫をそんな使い方するはずがありません。歌手のちからだけに頼って「興行を支えるスタッフがいない」という東京二期会の現実を反映したプロダクションのように思えてなりませんでした。



厳しいことを書きましたが「歌手を伸ばす」ことを二期会に考えて欲しいというのが趣旨です。
30歳で二期会デビューていうのは遅いでしょう。「上が詰まってるから」ではダメなんです。
スターを意図的に創らないと新しい観客は掘り起こせませんよ。
私が将来スターになれると思う二期会の歌手は、




秘密にしておきます。


最後までお読み戴き有り難うございました。



■ 追記
ハチャメチャの楽しさ、これが本当のCsárdásfürstin!という映像があったので載せます。
なんとWien Volksoperの日本公演!1985年東京文化会館での公演だそうです。


見たことありませんでしたが、これぞ本物。
楽しくてノリノリになって、感動して涙出ます。
オペラ劇場荒川バイロイトというドイツオペラばかりに挑戦している催しが以前からあるのは聞いていて興味を持っていましたが初めて行きました。

演目は「ナクソス島のアリアドネ」
リヒャルト・シュトラウスの作品。


ナクソス島のアリアドネと言ったら2013年全日本学生音楽コンクール声楽部門大学の部決勝で奥村育子さんが歌ったのを聴いて「二期会の歌手にもこれだけ歌いきれる人はなかなかいない」と感心したアリア『偉大なる王女様』が抜群に有名でいろんな人が歌いますが、

今回のツェルビネッタは最高に上手かった。


ツェルビネッタは川島幸子(かわしまさちこ)さん

初めて見ましたが、この人は「プロの歌はこうなのよ」っていう、誰にも同じことのできない、『聴いている人を自分の世界に巻き込む』歌を歌いました。この日はこの歌だけのためにあった。すごかったです。

よく私は「声楽家っていうのは、アマチュアレベルから緩やかな坂道を登って次第にプロのレベルにリニアに連続しているものではなく、途中にはほとんどの人が越えられない非常に大きな段差があって、そこを越えられる人だけがプロとして生きていける」と感じていますが、川島幸子さんはそれをこの日、この歌で、示しました。観客はほぼ近所の(荒川区近辺の)年寄りばかりです。つまりオペラファンではなくて、近所のサンパール荒川で何か面白いものやるらしいから来た層です。そういう人たちから、劇中、このアリアの時だけ盛大な拍手が起こりました。
・・・このアリアは途中で一回終わったような音楽なので「そこで間違えて拍手しないように」という解説があちこちに書かれてるのですが、やっぱり皆さんそこで拍手しました。指揮者(クリスティアン・ハンマーさん)は指揮しながらその拍手を制止してました。ドイツ人だなぁ。。。アリアが本当に終わると「拍手していいよ」のサインをしてました。それは盛大な拍手が鳴り止みませんでした。私も涙が出ました。素晴らしかったからです。

この日のスターは川島幸子でした。聞いたことのないお名前ですが、あわてて経歴を読んでみるとものすごい経歴で12年のドイツ暮らしから2012年3月に本帰国してきた人なのだそうです。知りませんでした。ドイツでも活躍していたそうです。ナクソス島のアリアドネはDVDでキャスリン・バトルがツェルビネッタを歌っているのを見たことがありますが、バトルはチャーミングで美声ですが川島幸子はもっと別次元の歌を歌いました。このオペラは実はツェルビネッタのVerwandlung(変容)がひとつのテーマだと思うのですが川島幸子ツェルビネッタはそれを体現していたと思います。あれは他の人には決して同じことができない。代わりがいない。初日のA公演を見たのでBとCを知りませんが、私の好みはAで期待をはるかに越えて満たされました。


川島幸子さんのことばかり書きましたが、
アリアドネ(及川陸子)と作曲家(東裕子)もそれぞれの個性に合っていて、良かった。及川陸子さんは「王女様キャラ」がぴったり。東裕子さんは繊細で天才肌だけど若くて未熟者という個性がよく表現されていた。メガネも萌え道具でした。

500円で売っていたプログラムの大矢未来(おおや・みく)さんという東京藝大博士課程の方が書いた解説もとっても面白かった。このオペラは筋書きがよく分からない作品なんですが、それを納得させてくれる内容でした。転載できませんので悪しからず。ご本人にどこかで直接話を聞いてください。

ラストも(舞台に最後に残るのは作曲家とツェルビネッタなのです)帰り途に解釈についてあれこれと話したくなる演出でした。


しかし思うのは「観客の少なさ」です。
サンパール荒川は1000席規模の劇場ですが、観客は400人程度しか入っていない。
ガラガラです。私の席は前から二列目で43席ありましたが座っていたのは四人。。。

某オークションではチケットを投げ売りしていましたが、売り切れていませんでした。

このレベルの演し物をB席3000円でも見にこない、というのはおかしい。
客席は声楽家のタマゴで埋まっていてもおかしくないレベルの演し物でしたよ。
なぜ見にこないのか?

来年はホールが改修のためあらかわバイロイトはお休みだそうですが、オペラ事業で赤字が溜まっているそうですからもうこれで最後かもしれません。少なくともこのままで再開はできないでしょう。いつも思うけど、演し物って、作家と歌手つまり演者があれば上演出来るというものでは無いんですが、そこを分かっていないのが日本の現状です。アイドルだって可愛くて歌って踊れれば舞台が成り立つというものではない。事務所というものがあって、宣伝したり売り方を考えたり異なる技能を持った人がいてこそ、切符が売れる。「オペラは総合芸術」とか言って、舞台に立つ人以外に、メークさんとか照明さんとか衣装さんとか大道具さんとか、、、とか言う人もいるけれど、それは違う。違うのです。「興行を成功させる人」の事が芸術家さんのアタマには無い。

短くはない歴史を持つあらかわバイロイトの公演を見て、非常に感動したと同時に、この業界の空回り振りを実感してダブルのため息をつきながら帰途につきました。

川島幸子さんは来年の5月17日にリサイタルをするそうです。
私の寿命がまだ残っていたら必ず。。。


容姿が大隅智佳子さんに少し似...
歌の上手い人は体型も似るのか...



明日は二期会公演「チャールダーシュの女王」をにゃーと観に行ってきます。

最後までお読み戴き有り難うございました。
東京二期会公演「チャールダーシュの女王」を観に行くので予習として
先日来日公演を見たメルビッシュ湖上音楽祭のDVDを観ました。


出演:
シルヴァ・ヴァレスク(チャールダーシュの女王): ヴェーラ・シェーネンベルク
エドウィン・ロナルト(侯爵夫妻の息子): フェルディナント・フォン・ボートマー
伯爵令嬢シュタージ(侯爵の姪):ケルスティン・グロトリアン
ボニ・カンチァヌ伯爵(エドウィンのいとこ):マルクス・ヴェルバ
レオポルト・マリア侯爵(領主):ハラルド・セラフィン
アンヒルテ(その妻、昔の歌姫):ミルヤーナ・イーロッシュ
フェリ・バーチ(貴族で大佐):フリディエシュ・ホルシャーニ

メルビッシュ音楽祭管弦楽団、メルビッシュ祝祭合唱団
指揮:ルドルフ・ビーブル
演出:ヘルムート・ローナー
収録:2002年、メルビッシュ音楽祭(ライヴ)


12年も前ですが、指揮者は先月来日したルドルフ・ビーブルご本人。

さすがに6000人の観客が入る劇場なので
やっぱりマイクで歌っていました。すべての公演はマイク付きでしょう。
来年日本で「こうもり」をメルビッシュ湖上音楽祭史上発の海外公演するそうですが
これでは演出が同じの筈がありません。違う演出のものを日本で観る意義があるのか...


それは本題ではないので割愛。

つまりこれはミュージカルです。
踊りがたくさんあって、日本人には大変だろうな~と予想されます。特に歌手で生きてる人は踊りながら歌うのは苦手が多いそうですから。【某歌手さんに聞きました】

さて、セリフ(日本語字幕)がとっても違和感があったのでそれを書きます。
劇中で「チャールダーシュの女王」という言葉が(日本語でですが)初めて出て来るのは
第2幕、開始から一時間16分あたりです。アメリカで主人公「シルヴァ」を観てきたローンスドルフ男爵が「あの女はブタペストで貴族に振られてそれ以来『チャールダーシュの女王』とあだ名がついたんだよ」と、一同を笑わせるのです。

え~っ、それって、褒め言葉じゃないの?
「女王」が侮蔑語になるとは思えない。「演歌の女王」でしょう?日本語なら。

このときセリフは『Csárdásfürstin』と言っていましたが実はこれがこのオペレッタの原題なんですね。(Die Csárdásfürstin)

これは字幕の間違いでしょう。
Csárdásfürstin というのはチャルダーシュ侯爵夫人ですよ。
(ドイツ語は漢字みたいに名詞をくっつけて新しい名詞を作れるのでCsárdásfürstinはCsárdásチャルダーシュとFürstinをくっつけただけで、Fürstinは辞書にもありますが「侯爵夫人」です)

だからここはハンガリーの歌姫が貴族(主人公エドヴィンのこと)に振られて将来の侯爵夫人になりそこねて「チャールダーシュ侯爵夫人」という渾名がついた、と嘲っている場面なのです。だからここを「チャールダーシュの女王」と言ってしまったら全然ストーリーに合わないんです。

誰が聞いてもこのセリフ(日本語の)はおかしいでしょう?

そもそもこのオペレッタで主人公「シルヴァ」はなんと呼ばれてるか(ドイツ語で)というとChansonette(シャンソネッテ=女の歌手)とかFräulein(フロイライン=お嬢さん)であって「女王」なんて呼ばれる事は一度も無いのです。フロイラインなんて今のドイツでは死語ですが昔のフロイラインは処女が当然の若い娘のことです。もしかしたらこの歌手は十代でもおかしくない。劇中で二人の事を「ロミオとジュリエットのよう」というセリフもありますがジュリエットは13歳です。

「チャールダーシュの女王」という訳をだれが書いたか知りませんが、作品の意図を決定的に壊している。

先日、東京二期会公演「チャールダーシュの女王」主役によるプレコンサートに行きましたが、そこで演出担当の田尾下哲さんはドイツ人のミヒャエル・ハンペ氏から薫陶を受けているという話をされてましたから当然このドイツ語の訳が間違っている事は気付いているでしょう。

本番でどんな訳を使うのか興味が増えました。

しかし日本の映画の字幕もヒドいものですが、この「女王」の誤訳は罪が大きいです。



【追記】実はこの誤訳をしたのが誰だか分かっているそうです。
こちらにくわしい事情が書いてありました。
どうも確信犯のようです。日本のオペレッタ普及に功績があった人かも知れませんが、個人の裁量で勝手な事をするような人は自分の行為の意味が分からない狭量な人間だと強く批難したいです。



オペレッタ自体は当時の時代背景もあって、罪の無い他愛ない筋書きですが楽しい作品であることはよく分かりました。あと、このDVDでは主人公達はホントにキスしてますねぇ。何回も(笑)。
日本のオペラ歌手はキスの演技さえできない人ばかりを見てきましたが、本番はどうでしょう。
これも興味が増えました。<<<いえホントはそれはどうでも良いですが。

あと、ネタバレになるかどうか微妙ですがこのDVDバージョンでは三幕の最後に侯爵の奥さんがコートを脱いだら○○姿でいきなり歌うというドンデン返しが待っていてお話を全部持って行ってしまうという演出でしたが、ここのところは今回はどうするのか、これは楽しみです。大笑いしました。

血圧が200を越える毎日で、来月まで持つかどうか分かりませんが、観劇できたらまた書きたいと思います。

最後までお読み戴き有り難うございました。
メルビッシュ湖上音楽祭というのは、オーストリアで1957年から毎年行なわれているオペレッタの音楽祭だそうです。

オーストリアの田舎の催し、と思ったら大間違い。毎年観客が20万人来場!常設の専用劇場は6000人収容!なんだそうです。

オペレッタで6000人の観客を巻き込むのはたいへんな事でしょう。そんな音楽祭のメンバーがこれまで海外に出た事が無く「グローバルの時代に世界に出て行かなければ」という前任の監督の決断のもと、史上初めてオーストリア以外で公演するのが今回のコンサートだそうです。

ということで、日本人でメルビッシュ湖上音楽祭を実際に観た人はほとんどいないのだという事がこの最初の5分ほどのトークで分かりました。

これがその劇場

本当に湖の上にある


チケットはS席16,000円 なかなか高価ですがオペラシティは満席でした。どんな人が観に来るものなのか・・・メルビッシュ湖に行った事ある人はまず少ないか或はいないと思うが・・・と思いましたが、比較的幅広い層の人達でこれまたびっくり。途中、観客とメロディーを唱和させる演出がありましたが、これがまたお客さんのコーラスが上手!(笑)そういう客層なのがすぐに分かりました。

曲目はおなじみの名曲ばかり。バレエもついていかにも、いかにも、ヨーロッパのローカルの演し物が東京に引っ越し公演してきたという感じ。住んでいた経験がある身には懐かしい気持ちになります。が、日本でも受けるものなんだろうか?来年「こうもり」を持ってくるそうですが6000人を相手にできるオペレッタ劇場が日本でどんなことをするのでしょうか。

そもそもオペレッタというのはセリフが七割くらいで歌は少し。そのセリフ回しが面白いのであって、現地の言葉で上演しないと面白みが分からない。(前にも書きましたが大阪のしゃべくり漫才を関東でやっても聞き取れないし面白くないものですが、ウィーンのドイツ語上演を観に行っても同じように聴き取れないものです)
オペレッタは「セリフの現地化」が必須のものです。
(私は「こうもり」は不倫ものなので演目としては好きじゃないんですがミラマーレが演出した2011年の日本語上演の「こうもり」はエロスがまったくなくて最高に笑えて素晴らしかった)
この団体は日本でもドイツ語上演でしょう、きっと。お客さん、どのくらい入るでしょう。

そんな事を考えると、「わざわざ門外不出のものを日本に持ってこなければならない理由」というのがどこかにあるはずだ、と思いました。アジアなんて文化の違う所で、オペレッタの受け口があるのは日本ぐらいなのかも知れません。日本には「演奏会場」というのが官民合わせて全国に3000箇所もあって、そんな国は他に無い、という話も聞いた事があります。やる場所があれば「演し物」も当然需要があります。

最近来日する声楽家で素晴らしいのは圧倒的に「ロシア人」「東欧人」です。これだけ層が厚いのかと思うほど、どんどん出てきます。それに押されて、西欧の伝統的な音楽祭も、変化が必要になった、オーストリアという田舎の催しも、外にマーケットを求めなければならなくなった。行けるのは(まだクラシック音楽にお客が呼べるのは)日本。だから出てきた。

そういう時代背景が感じられました。演し物ははっきり言って大した事ありませんでした。「普通」です。歌手も「普通」。メリー・ウィドウの「Lippen schweigen」のデュエットも定番で歌われましたが、私的には先日の城佑里さん 杉浦隆大君のデュエットの方がずっと感動しました。


世界のクラシック音楽界の動向にちょっとだけ気が向いたコンサートでした。

「こうもり」公演は来年2015年9月、世界初の海外公演日本上陸 だそうです。
まだ生きてたら行ってみたいものです。

最後までお読み戴き有り難うございました。
熱帯低気圧の接近で朝から強風と小雨。

どうなることかと思いましたが予定の午前11時には雨もあがって一人渋谷まで。

二期会新進声楽家の夕べ 二期会オペラ研修所第57期修了成績優秀者コンサートで発見したこの二人(城佑里さん 杉浦隆大君)のコンサートに木曜日の午前中という微妙な時間帯に仕事を休んで行ってきました。


結論。

この二人は素晴らしいです!!将来の活躍間違いありません!!折り紙つけます。


二人とも、美声なんです。ベル・カント歌手です。珍しい美声です。
デュエットなんかもう最高。とろけるようなデュエットというのはこういうのを言います。
前半固かったけどアンコールに「メリーウィドウ」から『愛のワルツ』を歌いました。これが素晴らしかった。一生の聴きものでした。この歌はコンサートのおひらきでよーく歌われて、時には客席と唱和しちゃったりする超有名曲ですが、その所為もあって大変よく聞く割にはオペレッタ全幕でも見ない限り単独で芸術として鑑賞できる機会がありません。そういう曲を単独で聞いて「ウットリさせられた」というのは日本では初めての経験でした。上手いです。二人の息もよく合っていた。バリトンの杉浦君はとっても真面目な印象で、その姿を見ては『君がこんなに甘い歌を歌って良いのか?』『どうしてこんなに甘く切なく歌えるんだ?』という疑問符を打ち消しながら目を閉じて聴き入りました。城さんは発音をとてもよく勉強しているのが伺えた。この歌には(日本語の場合)何回か「つ」が出てきますが、「つ」はとっても歌うのに難しいんです。「津」ではいけない。口笛を吹く時の口の形をして、歯の隙間から擦れる空気の音で「tu」を響かせないとならないんです。という事を今回城さんの歌い方を見て知りました。

良いものを聴かせて戴きました。行けなかった方、本当に残念です。

このペアは他でもよく出演しているようです。是非、応援に行ってあげて下さい。日本のオペラ界の星です。

★城さんは、お化粧のプロを付き人にしたらもっと良いと思います。ウチのにゃーを良かったら貸します。



こちらも感動モノですが趣がまったく違うのがまた良いです。別の曲かと思うほどです。







■ 追記 2014.9.27
「日本人じゃない歌手による、とろけるようなデュエット」というのはコレです。Violinも良いです。


やっぱりドイツ語ならではの歌ではないでしょうか。。。

東京二期会公演「チャールダーシュの女王」主役によるプレコンサートというものに行ってきました。



初めて行きましたが、連日いろんなジャンルのライブをやっているミュージック・レストランだそうです。食事付きで一人8,228円(消費税込)

地下の入り口【音が遮蔽されてよろしいです】から入ると約50席のレストラン。私は最前方のテーブルが指定席だったので歌手さんが一メートルの所に。贅沢な催しです。顔のほくろまで全部見えます。そんなことはどうでも良いですが曲目【前段】

「こうもり」から『公爵様あなたのようなお方は』 湯浅桃子
「ジャンニ・スキッキ」から『私のお父様』 醍醐園佳【だいご そのか】
『オーソレミーオ』 古橋郷平
「キャンディド」から『着飾ってきらびやかに』 湯浅桃子
「椿姫」から『乾杯の歌』 全員


以上五曲が説明なしにどんどん演奏されます。
約40人のお客様はみんな知ってる曲だから説明はいらないということなのか、知らなくても説明はしないという試みなのか。料理もメニュー書きが無かったのでワインを注文する為に給仕にわざわざ「本日のメインは何か」を質問する事に。私だったらもうちょっと工夫します。

合間にこのオペレッタ(本番は2014年11月22,23,24,26日@日生劇場)の演出家の田尾下哲氏のプレオペラトーク。この方は東京大学工学部建築学科卒という学歴でオペラの演出を本業としているという変わったステップを踏んでいる人ですが(42歳)以前新宿でカヴァリレア・ルスティカーナのプレオペラトークを聴いた事があって、アタマの回転が速くて思いついた事を喋るのに口が付いていかないような人だと思った事があります。今回はその彼の話がなかなか興味深かったので、そのことについて書きます。


田尾下さんはオペラ演出家のミヒャエル・ハンペという先生に薫陶を受けているそうですが、(名前からしてドイツ人ですからドイツ語で会話でしょう)こう言われたとのことです。
『オリジナルの意味を追求する事が大事だと教えてきたが21世紀になってもピリオド(曲が作られた当時の奏法のことです)を貫けとは言えない』
『読み替え演出が話題を呼んで次の仕事に繋がるという現実をみると読み替えを否定する事はできない』


聞き覚えですのでこの通りの発言ではありませんが、主旨は「作品の背景や原典をあたることでその作品の意味を汲み取ろうとする努力は欠かせないが、今の時代になって奇抜な読み替えが登場してきて話題になっているのにそのような読み替え演出がけっしてしてはならない事だとは私にはもう言えない」というハンペ氏の苦汁の言葉を伝えているのでしょう。それはよく理解できます。

で、田尾下さんは原譜を探したり原典(オペラの台本ではなくもともとの戯曲とか小説など)をあたって、和訳されているものは誤訳だらけなのに気がついて原書を読んだりして、いままでの演出を繰り返すのではなく、オリジナルに近いものを作ろうとしている、という話です。

更に田尾下さんは「読み替えしてまったく今までと違うものを見せたいのなら一から自分で作るべき」という考えなので実際にオペラを創作したこともあるそうです。

それは大変よく分かる話です。よく物事を考えて思索してたどり着いた結論なのだろう、と思う。

カンタンに言えば「読み替え否定論」なのではないでしょうか。

しかし、

先日も似たような話(based on と inspired by の違いは何か)を書きましたが、田尾下さん自身も「自分自身の作品にしたいなら自分で一から創作するべき」と言っている通り、オペラというのは詰まる所「他人の作品の再演」なのです。読み替えかピリオドか、というのも程度の差であって「人のものを自分の解釈で再創造する」という同じ定義で括れてしまうものでは無いのか?オリジナルに敬意を表するのは当たり前の事で、どんなにいじってもそれが敬意を表しているのかどうかなんて、そこは一義には決まるものじゃない。

私もクリエイターとして物申しますが、「自分の作品がどのように解釈されるか」というのは決してコントロールできないものであって、コントロールすべきものでもないし、コントロールできずに受け手が自由に評価するというのがそもそも「作品を世に問う」という事の本質的な意味でしょう。自分の解釈をそのとおり理解させて広める、というのが芸術ではない。そんなのは「宗教」と同じです。「評価にさらされる覚悟」が芸術の本質です。

そうするとね、「自分のやっているのは読み替えではない」などというのは幻想であって自己欺瞞でしかないと思うのです。どっちだって良いじゃないか。そもそも、その作品に自分がどのように突き動かされたか、というのが演奏の源泉であって、オリジナルに忠実を心掛けるなどという「方針」などをアタマで考えて実施するものでは無い。オリジナルに忠実に、というのが自分の発信したいことなのであれば、小学生の時に書かされた「読書感想文」のことを思い出しますが、感想が無い子供(要するに何も感じる事ができない子供たち)は感想文に「あらすじ」を書いたものです。もっともオリジナルに忠実なのは「読んだ本をそのまま書き写す事」です。自分の感想などどこにも入れない事です。

そういうのは「芸術」ではないだろう。

何かを、現時点で世の中に存在しない何かをゼロから作り出すことというのは、それができる人とできない人がいます。

それができる人の共通体験は、「何が結果として現れるかは作っている最中には予測できないが、ただ何かに突き動かされるというエネルギーだけが自分の中にあるのは分かっている」です。どんなに実績のある人でも「それを今なら作れる」というエネルギーが満ちたりる瞬間まではそれを作り始める事はできない。

そのエネルギーに突き動かされたら、何時間でも集中して没頭して時には寝るのも忘れて、できあがる。そのときに「これは読み替えかどうか」「オリジナルを尊重しているかどうか」などという理性的な働きはアタマがしない。右脳だけがフル回転している、という状態になるものです。(私はそうです)


プロの演出家でもそんな事にとらわれて仕事しているものなんだなぁ、感を新たにしました。同行のにゃーは実はヨーロッパで戯曲を書いて演出までしていたので、「田尾下さんの言っている事はよくわかる」「あれは悩んだ時にどこに立ち戻るかという話をしていたのよ」という意見を申し述べていましたが、私は「演出に読み替えとかピリオドとかいう区別は本質的には無い」「オリジナルとの差異を研究すると言っても、オペラなんてみんな原典とはまったく違う内容になっているんだから、椿姫だって全然小説と筋書きが違うし、蝶々夫人だって元となった戯曲とは違うし、オペラというのはそもそも原作を陵辱しても音楽が良ければそれで良いと考えられた芸術ジャンルなんだから、原作を研究しても悪い事ではないが再創造の火種は自分自身の中にあるものであって何かを参照しながら作る物じゃない」という考えなので、田尾下さんの話はよく分かるが根本の所で私は考え方が違うという結論におさまりました。

なおにゃーは日本に戻ってから小説を発表しています。

ブルーの薔薇 -月子の恋-
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そういう事を考えながら後段は「チャールダーシュの女王」の抜粋。

醍醐園佳さんは初めて見ましたが、日本人にはなかなかいないタイプの押し出しを持っている美人です。日本では生き辛いのではないでしょうか。
歌唱の合間の田尾下さんのトークが再びあって「今回の出演者はみんな美人ばかり」「それは大事な事であって『振られてもしょうがないな』と思われるような容姿の歌手が出てもダメなんです」などと素晴らしい勇気あるご発言に会場からは「ヒドーイ」のブーイングも(笑)

この方はカヴァレリア・ルスティカーナのプレトークでも「ローラにはとびっきりの美人を求めた」と発言していたのを思い出しました。以前、バレエの演出家に「プリマはみなさん美人ばっかりですが美人かどうかはプリマになれる条件ですか?」と訊いた事があって、そのお答えは「美しい方がお好きな演出家の方もいらっしゃいます」と控えめの発言でしたが、オペラ歌手も「美人じゃないと出番は無い」というのが真実であるようだとの思いを新たにしました。

ただし、「美人」というのは「姿形」で決まるものでは無いんですよ。
美しさの本質は「自信」です。

自分の生き方に「自信」を持っている人は、傍目からは「美人」なのです。
そういう人は世の中にたくさんいます。いませんか?

見かけが美人でも心が美しくない人はいずれ行動に現れて見破られる事になるものです。

チャールダーシュの女王は歌手が二組あります。どっちも美人揃い。
田尾下さんは「B組はデカイ歌手ばっかり」と青木エマさんのことを言って再び顰蹙発言してました。正直な人で好感が持てます。(高身長の女性を「デカイ」と形容してしまったのはご本人があまり背が高くない事の正直な反映なのだと思います)

さて、A組B組のどっちに行きましょうか。。。


最後までお読み戴き有り難うございました。


追記 醍醐園佳さんて、高校の先生をしているそうです。授業を受けてみたい。(笑)
星の王子様 ではありません。

岡本隆生 作・演出
ヨコハマ・都筑ミュージカル委員会(YMT)20周年記念公演
劇団四季の元メンバーも出演するとのことで(特に井料瑠美さんに期待しました)
3000円×二枚購入して行ってきました。


まず、「日本にもいた星の王子様」とパンフレットにも謳っていてモデルが存在するとのことですが、奥様がインタビューでこう言ってました。(パンフレットからそのまま引用)

問い 台本を読まれてどうでした?
答え『うん、ちょっとよく分からないかな(笑)いや、自分では経験しているから、もう全く別の物語としてみたほうがいいかなって!観てみないと分からないんだけどね』


一読していやな予感が。。。だって、ちっとも評価してないから。ご遺族なのに。。。


作品にはよくモデルがいて、それを日本語では「モデルがいる」と言いますが、英語では二通り言い方があります。
based on ○○
inspired by ○○
(この一行は映画の題名とかと一緒に映し出されます)

○○のところには「史実」とか「伝記」とか「なになにの事件」とか名詞が来ます。
どっちも○○をモデルとしているのですが、 based on のほうは「下敷きにしている」ですが、一応、事実をなぞっているものです。一方、inspired by のほうは「触発されて」なので、はっきり言って、元々のモデルとはまっっっっっっっっっっっっっったくなんの関係も無くても作った本人が「あれを元にして思いついた」と言えば誰も文句を言う(例えモデルの遺族でも)筋合いの無いものです。

このミュージカルは後者でした。

有名なご本人とはまったく関係のないストーリー展開。
恋人に横恋慕したストーカー男に殺されちゃうんです。
それを子供を対象としたようなタイトルの見せかけの演目で子供に見せてしまう、というこの作者の神経にあきれました。

セリフはここに書けないほど下品。
子供達がいっぱい出てきてなかなか良い演技をしているのは良いが、これは子供に見せるようなものではありません。といって大人の鑑賞に耐えるようなものでもない。ヘタな歌唱。素人のダンサー。主人公はどこかでよく耳にするレストランのシェフを連れてきたようです。それは素人の余技として鍛錬しているものなら評価できますが、セリフの発音も悪く余興の域を出ていません。そもそも私は専門職(歌手とか)のある人がまったく別分野の番組(料理番組とかコメンテーターとか)に顔を出すのはまったく好きではありません。そんなヒマがあったら自分の芸術を追求しなさい、と思う。そんな素人の団体の発表会のレベルで3000円も取るなんて、二度とこの演出家の作品はゴメンです。コンビチェニーと同じ。

気に入らなかった作品の評価を公開しても何も楽しいものではありませんので、ちょっと考えた事を書いておきます。

ストーカーによる殺人事件で子供も一杯舞台に出てくる、というのは「カルメン」と同じです。違う所は「カルメン」には人間の普遍性が描かれ、大人を対象にしている、という所です。ですからあんな殺人事件物でも繰り返し演じられる理由がある。しかしこちらはサンテグジュペリの名前も使っていかにも「メルヘン」と思わせる誘導をしておいて中身はただの下品な作り話です。子供に夢を与えるのが主旨ではないのか?私だったら自分の子供には見せません。そういう価値観が日本人から無くなっているのではないか、という気がします。ウチにはテレビが無いので確かではありませんが日本のテレビではこんな番組が日常的に流れているので感覚がおかしくなっているのではないか?ヨーロッパが何でも優れている分けではありませんが、あちらでは子供に対する配慮というのはもっと厳しいものがある。

コンビニでポルノを売っているのは日本ぐらいとよく言われましたが、子供に対する「見せて良いもの」の枠組みというものが、この国には無くなっているという事にあらためて思いをいたして残念な気持ちになりました。そもそも、子供を指導できる素養のある「大人」が減っているのです。「ウソ」を付いても平気な大人。謝れば済むのに開き直って自分は悪くないと言い始める大人。そういう大人になれていない大人が子育てをしている時代を、危惧する気持ちで一杯です。

前半だけで帰りました。オシャレして行ったのでそのままレストランに寄って帰りました。