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リーベショコラーデ

thoughts about music and singers

書くのが遅くなりましたがソプラノ・市原愛さんのリサイタルに初めて行ってきました。
詳細はこちら。(ご本人の挨拶ビデオも見れます)

市原愛さんという歌手を知らず、錦織健プロデュース・オペラ Vol.6 モーツァルト≪後宮からの逃走≫というオペラをたまたま神奈川県民ホールで観まして(2015.3.7土曜日)


ポスターは素敵だけど、特に感想の浮かばないオペラだったのでブログに書きませんでした。
が、ブロンデ役のソプラノがとってもオペラ歌手らしい雰囲気を持っている人だったのが印象に残り、それが市原愛さんでした。

三ヶ月後にリサイタルをやる、と聞いてすぐにペアチケット(割引付き)を買っておきました。


そのパンフレットの写真が美人なこと!

結婚指輪もしっかり写していて
どこかの二期会の歌手のように独身のフリなどしてません



経歴「第52回全日本学生音楽コンクール第1位」だそうです。
やはり、一位になるような人はすべてに於いて抜きん出ているものなんだな感を新たにしました。
いますね、何でも優れている人って。神様は不公平です。「有り難う神様」

曲目です。

サティ:ジュ・トゥ・ヴ
グノー:アヴェ・マリア
ドヴォルザーク:我が母の教え給いし歌
R.シュトラウス:献呈
武満徹:翼
武満徹:うたうだけ
武満徹:死んだ男の残したものは
武満徹:小さな空
ラフマニノフ:ヴォカリーズ
リスト:愛の夢
早坂文雄:うぐひす
ヘンデル:歌劇『リナルド』私を泣かせて下さい
モーツァルト:歌劇『フィガロの結婚』恋とはどんなものかしら
プッチーニ:歌劇『ジャンニ・スキッキ』私のお父さん
プッチーニ:歌劇『つばめ』ドレッタの夢
レハール:喜歌劇『メリー・ウィドウ』ヴィリアの歌
レハール:喜歌劇『ジュディッタ』唇に熱い口づけを


間のトークがまた上手です。ドヴォルザークの「我が母の教え給いし歌」の紹介の時には、「自分が子供が出来てから母親の本当の気持ちが分かるようになった」など、プライバシーを隠さず、等身大の人間として心の中の本当の気持ちを語るところに好感を持ちました。舞台人だからと自分を語らない某メゾソプラノのような人もいますが、一流というのは奢らず隠さず(芸術というのは自分を晒すことだから)それでいて我々観客ときっちり一線を引いて高みに美しく留まる、そういうものだと、この方を観てあらためて思いました。

菊名出身(横浜市港北区)ということで、更に親しみを感じました。(私の地元です)そもそも、この方は顔立ちが横浜の人なんですね。こういう美人は横浜系です。しかも女子校出身の雰囲気を持っています。多分女子校出身でしょう。で、取り巻きがたくさんいたけれど長いドイツ生活で丸くなって帰国してきた、という経歴が読み取れます(全部想像です)。


選曲も親しみのあるものばかりで、地元のファンや若い観客(高校生も)に十分アピールするものでした。私はドレスに見とれていてにゃーにどつかれました。
(本当はドレスではなくてドレスの胸の谷間です)


オペレッタ『メリー・ウィドウ』のトークでは、「ドイツで何度も歌った演目だけれど、共演者がアドリブするのでドイツ語が聞き取れず困った」という話もされて、
(1)オペレッタはアドリブの楽しさが命ということをさりげなく伝えている
(2)やっぱりドイツで揉まれたんだな
という事がよく分かりました。(全部想像です)


何にしても、日本人には珍しい「オペラ歌手の雰囲気を持っている人」と思いました。
ただ美人というのとはまったく違います。二期会などに所属していなくても仕事はいっぱい来るのもそのことの反映でしょう。

このスケジュールの凄いこと。

声楽家なんて仕事があるのかどうか分からないような職業ですが、ちゃんと宿題をこなしている人には(そして才能もあれば)来るものは来る。憧れの星、スターの見本を観ました。

年齢が不詳ですが、35歳だと思います。貫禄が違いますね、あまたの35歳とは。
(第52回(1998年)全日本学生音楽コンクール一位のとき高校三年生なんだから18+17=35)


こういう人(雰囲気のある美人)が電車に乗っている姿を想像できませんが、きっと電車に乗ってるんです。そういう所がまた魅力です。

歌の話を全然書きませんでしたが、ウグイスが歌う姿をどうのこうの言う気になりませんのでこれで終わりとさせていただきます。また横浜に戻られる時があったら伺います。

最後までお読み戴き有り難うございました。


追記

ご本人のツイッターに私が見たブロンデの写真がありましたので拝借しました。
華がある人、というのはこういう人のことですね。

先月(2015.5.7~8)見に行った第16回NEUE STIMMEN 2015オーディションの結果が5.20に既に発表されていたそうです。こちら。

以下の四名がドイツ本選に出場するそうです。
キム ジュヘ (Juhye KIM) Soprano 27歳 韓国テグ市
中川恵美里 (Emiri NAKAGAWA) Lylic Soprano 24歳 熊本県熊本市
キム ジョンネ (Jungrae KIM) Baritone 20歳 韓国ソウル市
清水勇磨 (Yuma SHIMIZU) Baritone 28歳 東京都昭島市

おめでとうございます。未来は自ら拓くもの。100%出し切ってきてください。



キム ジュヘ さんは選ばれると予想しましたが、あとの三人はノーマークでした。
わたしの予想したあと2人 深瀬 廉くん 日本 リリックバリトン
鈴木玲奈さん 日本 ソプラノが選ばれなかった理由は、想像ができますが書きません。
しかし、君たちにはわたしの票があります。必ず活躍します。応援しています。


意外なのはバリトンが2人選ばれたことです。テノールに抜きん出た人がいなかったということもあるかも知れませんが、私のバリトンの好みがオーディションの審査員(Brian Dickieさん)と違うんだな~、ということです。「運も実力のうち」を再認識しました。もう一回聴き直してみたいものです。

よこすか芸術劇場のwebにはこう書いてありました。
「審査は、歌唱技術、声質、音楽的表現力、オペラ歌手としての個性およびプレゼンテーションの観点から行われ、 4人は、その総合点が高く評価されました。」


私はこう書きました。
コンクールで勝つには何が違うか。
声質、技術、知性、人間性、見栄え、立ち居振る舞い、選曲、体調、気分、要素はいろいろあるけれど、つまるところは「聴き手を巻き込めるか」でしょう。


「声質」って、やっぱり重要な要素なんだなと改めて思いました。「良い声」というのは誰の耳にも同じように良く聞こえるものでしょう。それは天賦のものかも知れない。運のうちです。でも、「美声」でなくとも「訴える声」というのはある。(マリア・カラスはそれです)
「良い声」じゃないけれど「好きな声」というのもある。(非公開)
美声でなくとも世に出るチャンスはあるのです。

それから「オペラ歌手としての個性」と書かれている。
それは、歌の上手さと同等に、やっぱり大事なことなんだ。華のない人は選ばれない。歌は上手いけれど、、、という歌手さんは五万といますね。日本人は目立つことが嫌い。出る杭は打たれる。だから控えめになり、歌ったあとで「反省点」がまず語られる。。。
韓国の歌手は予選に参加した人数は少なかったのに2人も選ばれたのは、教育の背景の違いの所為もあるのではないか、と感じます。


ドイツ本選はYouTubeで公開されるでしょうから、また楽しみができました。

Tuuli Takala


プログラム
シベリウス:
「夕べに」op.17-6、 「逢引から戻った娘」op.37-5
「そよげ葦」op.36-4、「山彦」op.72-4
「ユバル」op.35-1
歌曲集『6つの歌』 op.88
 1.青アネモネ 2.2つのばら 3.つまとり草
 4.アネモネ 5.いばら 6.花の定め
ロマンスop.101-1*ピアノ・ソロ
「初めての口づけ」op.37-1、「春はいそぎ過ぎゆく」op.13-4
「それは夢か」op.37-4
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モーツァルト:「我が感謝をうけたまえ、やさしき保護者よ」K.383
       「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」〈夜の女王のアリア〉
ショパン:前奏曲変ニ長調 op.28-15 「雨だれ」*ピアノ・ソロ
ベッリーニ:狂乱の場「あなたの優しい声が」(歌劇「清教徒」)
マスネ:「さようなら、私たちの小さなテーブルよ」(歌劇『マノン』)
ショパン:ワルツ 変イ長調op.69-1「告別」 *ピアノ・ソロ
ヴェルディ:「不思議だわ~ああ、そはかの人か~花から花へ」(歌劇『椿姫』)

アンコール
プッチーニ:「私が街を歩けば」(歌劇『ラ・ボエーム』より)
多忠亮(作曲)竹久夢二(作詞):宵待草


見た目は強気のお姉さんですが、実物は色白の繊細そうなお嬢さんでした。(後で知りましたが今26歳だそうです。若い!)
フインランドの人だそうですから色も白いはずです。あそこは冬は昼の3時に真っ暗ですから。。。私は住めません。

フィンランド人らしくシベリウスの歌曲で攻めてきました。良いです。「お国の歌はその国の人にしか表現できないものがある」などと、勝手に納得しながら(後で覆される訳です)、初めて聞くけれども美しい歌を聴きました。

後半は打って変わってポピュラーな選曲。大抵の人は知っている、しかもこの劇場の観客(レベル高いです)なら何度も色んな歌手の歌をここで聞いている曲です。先日聞いたエカテリーナ・レキーナさんとかなり表現が違います。「夜の女王」はエカテリーナの方がずっと凄みがありましたが、でもトゥーリ・タカラは「コロラトゥーラ・ソプラノ」というタイトル(?なんて言うんでしょう...)がぴったり合っていて「コロラトゥーラ・ソプラノ」とはこういうものよ、という説得力が非常にあった。湯浅桃子さんに匹敵する上手さと思います。美人度も高いし。

これでチケット1000円(エカテリーナ・レキーナさんは2500円)というのは安すぎます。新人だから格が違うのでしょうが宝を発見したリサイタルでした。(シャレではありません)

ゲルマンだからというのもあるでしょうが表現力があります。つまり自己主張がうまいということですが、これは日本人には根本的に勝てない素地のひとつと、聴きながら思いました。観客を自分の世界に引っ張り込むちから。あります。特に最後の「椿姫」の演技つきの歌唱(私的にはネトレプコのリサイタルでの演技にノックアウトされた曲目です)は素晴らしく、オペラのシーンを見ているように引き込まれました。曲が終わったら本人も納得の表情で、「完全燃焼した」と、観客も本人も、感動を共有しました。こういうとき、「音楽というものは観客と一緒に作るもの」を実感します。

これでアンコールを歌えるのかな、、、と(もうやること全部やりました的でしたから)期待半分満足感半分で長い拍手をしていたら、歌いました。「ムゼッタのワルツ」

圧倒されました。演技つきで完全そこにムゼッタが街を歩いています。頭のてっぺんから爪先までムゼッタ。観客は釘付け。。。この演技力、観客を巻き込む実力は凄い。当然、長~い拍手が鳴り止みません。

この歌を聞いている間に気がついたのですが、伴奏(当劇場定番の斎藤雅広さん第46回日本音楽コンクール優勝者、当時18歳!)とまったく目が合わないのです。あんなにテンポを揺らして歌っているのに(そこがワルツの真髄なわけですが)、この二人は全然お互いを見ないのです。一度も見ませんでした。「よくあれで伴奏が合うなぁ」と感心しきりました。伴奏がうまいピアニストや指揮者を何人も見てきましたが、みなさん「歌手の動きをよく見ながら」演奏していました。(歌手を見ていても合わない指揮者もいますが)今回の二人は全然違う。お互いの呼吸が合うまで長時間リハーサルした、とは思えない(そんな時間の余裕は無いと思う)のですが、不思議なくらい合っていて感動しました。本人にこのことを聞いて見たいものです。

長い拍手が続いて、もう一曲歌うことになりました。

なんと「ヨイマチグサ」と自分で言いました。

涙出ました。日本の歌なのに発音は日本人以上にキレイに(特に月のツの音です)情緒豊かに歌いました。やるせない、はフィンランド語にあるのだろうか、ドイツ語には無いが、分かるんだろうかと思いつつ、やるせなさが会場に充満しました。
「お国の歌はその国の人にしか表現できないものがある」そういう思い込み(予断とも言う)をぶっとばされた歌唱だった。この人は伸びるでしょう。また聴きに行きたいです。

次回来日の折には井上雅人さんとジョイントコンサートでもしてもらいたいものです。

※翌々日(5/30土曜日)銀座ヤマハでもう一回リサイタルがあったそうですが残念ながら行けませんでした。



最後までお読み戴き有り難うございました。


待てど暮らせど来ぬ人を
宵待草のやるせなさ
今宵は月も出ぬそうな


Ekaterina Lekhina


モーツァルト:「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」〈夜の女王のアリア〉(歌劇『魔笛』)
オッフェンバック:「生け垣には、小鳥たち」(歌劇『ホフマン物語』)
ベッリーニ:「ああ、信じられない」(歌劇『夢遊病の女』)
アンブロワーズ・トマ:「私はティターニア」(歌劇『ミニョン』)
アルディーティ:「口づけ」 ほか

とチケット販売画面の案内に書いてあったのですが、どれもこれも何度も聞いたことのあるものばかり。
案内に書いてなかったのはまず一曲目で
モーツァルトのモテット《エクスルターテ・ユビラーテ(踊れ、喜べ、幸いなる魂よ)》K.165(158a)
I. Allegro. "Exsultate, jubilate" - Recitative
II. Andante. "Tu virginum corona"
III. Allegro. "Alleluja"

約15分、いきなり歌いっぱなし。圧倒されます。写真を撮れませんでしたがそのドレス姿にも圧倒されました。

このドレスを着てました。(この体格は日本人には真似できません)


もう一曲、チケット販売画面の案内に書いてなかったのが
ロッシーニ:この喜びをあなたに伝えたいのです(歌劇『結婚手形』より)

この曲目から分かると思いますが、コロラトゥーラもできるしアジリタもできるし高音も出るし演技力もあるしデモーニックな迫力もあるしお人形の可愛らしさもできるし、どの歌を聴いても先日の第16回NEUE STIMMEN 2015オーディション@よこすか芸術劇場 2015.5.7~8の誰よりも上手い。これがグラミー賞歌手の実力か。もう全曲圧倒されっぱなしです。

何歳ぐらいなのか、この迫力だとベテランのように思いますが、帰宅してから気がついたのですが、フェイスブックのロシア人の友人の同僚で、ということは35歳前後です。

YouTubeにも映像がたくさんあります。

1分14秒から登場します


若い頃のネトレプコによく似ています。美人です。歯並びも当然良いです。ロシア人てどうしてこんなに美人が多いんでしょうか。バラエティに富んだポピュラーな曲ばかり素晴らしく歌いましたが、わたし的にはアンコールのロシア民謡(Die Nachtigall /Alabieff)がもっとも良かった。ロシア人の哀愁のある表現というのはロシア人にしかできない。そこが好きなので。



しかし、これで新人だそうですから、あちらは層が厚い。しかも美人で上手い人ばっかり。FBを通じて感想を言ったら喜んでくれました。生きている間にそんなことができる時代になって、幸せです。


最後までお読み戴き有り難うございました。



For those who don't read Japanese. (summary)

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The theatre's web shows only some of the titles she is going to sing which are...
Mozart: "Revenge of the fire burning in my heart as hell" (opera "The Magic Flute")
Offenbach: "The hedgerows, birds" (opera "The Tales of Hoffmann")
Bellini: "Oh, I can not believe" (Opera "woman of sleepwalking")
Ambroise Thomas: “Ju suis Titania" (opera "Mignon")
Arditi: "kiss" and others

As you may notice, these are all well known songs and I have heard many times.
But the first song she sang which was not written on the web was very much overwhelming.
This is the song.
Mozart's motet "Exsultate, Jubilate (dance, Rejoice, and fortunately Naru soul I)" K.165 (158a)
I. Allegro "Exsultate, jubilate" - Recitative
II. Andante. "Tu virginum corona"
III. Allegro. "Alleluja"

About 15 minutes, she kept singing. We were all very much impressed with her gorgeous performance. I could not take a photo but her dress was also overwhelming as well.

She was wearing this dress.
(This perfect physique does not exist among Japanese women.)


There is another song that was not written in the guide of ticket sales screen.
Rossini: I want to convey this joy to you (from the opera "The Marriage bill")

You understand by the selection of these songs, she can do both coloratura and Agilita, she can sing in high notes, she can act demonic and also charming as a doll. I went to see NEUE STIMMEN 2015 audition @ Yokosuka Arts Theatre 2015.5.7 to 8 and had heard all these songs by other (about 80) singers but Ekaterina sang any better than all of them. I was convinced that this is the performance by a Grammy award singer.

I was wondering how old is she as her stage manner, presence and performance was that of veteran artist, but I noticed when I got home that she is a colleague of my Russian friends at Facebook, then she is as young as 35 or so. I was surprised by the fact there are so many young talents in Russia.

There are a lot of her video on YouTube.

She appears from 1 minute 14 seconds.

She is very similar to Netrebko when she was younger. Ekaterina is a beautiful woman. Row of teeth is also naturally good which I always concern for singers. Why there are so many beautiful people in Russia? Although she sang wonderfully those well known songs that are rich in variety, I liked her encore singing of Russian folk songs (Die Nachtigall / Alabieff) best. I believe those melancholy of Russian songs can only be represented by Russians. I love them.

However, as Ekaterina seems to be a rookie, I was very much impressed that there is such young and talented singer with good-looking has come to this world. I told her my impressions of the stage through FB for the first time and she replied me saying she is glad that I liked the concert.


I am happy to have lived until this time of era that we can communicate instantly with people far away. I hope more friendly communication will be spread out and this world will be fulfilled with love.

Thank you for reading.
ナクソス島のアリアドネ@サンパール荒川 大ホール 2014.11.22で初めて拝見して、「あまりに素晴らしくて歌手の名前をメモして帰った」川島幸子さんのリサイタルに行く、と宣言していたので感想を書く責任があるかなと思って、書きます。



川島幸子さんは14年のドイツ生活にピリオドを打って2012年3月に本帰国。日本では2014年11月、R.シュトラウス『ナクソス島のアリアドネ』のツェルビネッタ役でデビューしたのをたまたま観たわけです。

曲目に「オペラ『ラクメ』より"鐘の歌"」があったので期待しました。というのもこの曲はここのところ田中彩子さん、鈴木玲奈さんと立て続けに聞いているものすごい技量の必要な歌なので、同様にものすごい技量の必要な「ナクソス島のアリアドネよりツェルビネッタのアリア"偉大な王女様"」を歌った川島幸子さんがどんな歌唱をするのか、とっても聴きたかったからです。


当日、「鐘の歌」は曲目変更で削られ、代わりにシュトラウスのリート4曲が歌われました。この方はドイツ生活が長かったこともあるからでしょうけれどドイツリートが得意のようです。ドイツリートには私は一家言あるのですが、というよりドイツは私の人生に消すことのできない感化を与えた場所であってドイツのあらゆることに一家言ありますが、基本、好きじゃないです、ドイツリート。というか、良さが分かるのは心底からのドイツ人だけだという強い信念があります。私は違いますので。私のことをゲルマンだと思っている人も少なからずいますが、違います。


歌は上手です。後半のコロラトゥーラも上手いし高音も綺麗。ソプラノとしての技量は非凡と思います。しかし、この日は調子が悪かったのか、又は2014年11月から声が変わったのか、声が出ていませんでした。「鐘の歌」を外した理由も声の調子の所為だと思います。

そういうリサイタルをわざわざレビュー書く必要があるのか、という気がしますが、リサイタルの事ではなくてリサイタルをきっかけに感じた事を書こうと思います。

ひとつは「歌手は声が年齢とともに出なくなるのか」です。
「声質が変わる」のは歌手さん本人から聞いた事がありますが「声が出なくなる」ことが30歳代ですでに起こる事なのか、というのが新しい疑問です。そういう例をここのところ立て続けに3人聴きました。もしかしたら3人ともたまたま当日調子が悪かっただけかも知れませんが、先日書いたばかりですが「公演当日にコンディションを崩す」なんてことはプロなら有り得ないことです。

もうひとつ思った事は、パンフレットに書いてあったレビューの文章についてです。
これです。
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デビューCD『リヒャルト・シュトラウス&ドヴォルジャーク 歌曲集』を ドイツ・ハノーファーで録音、2012年カメラータ・トウキョウから発売され、 《 リリコ・レジェーロ・コロラトゥーラの広い声域を自由に駆使し、特にR.シュトラウスの作品に適応力が抜群である。透明な、ムラのない声色の自在な響きが快い。各曲に示された、曲と詩への把握力は的確で、ことに『ブレンターノの詩による6つの歌』をここまで歌えるソプラノはなかなか見当たるまい。 超高音も危なげのまったくない完璧な呼吸法で支え切っている。》(畑中良輔氏 / レコード芸術2012年3月号) と絶賛される。
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レコード芸術というものを私は読みませんが、なんと中身の無い、文学的表現のレビューなんでしょう。実に何を言っているのか具体的な事がさっぱり示されないまま完璧な自己満足で終始書き切っています。(←真似です)

全体的な印象をまず述べてから「特に○○」と絞り込んで、さも「私は違いをしっかり聞き分けている」という自己主張するのはパターンのようです。そして、どの言葉と取り替えてもまったく印象の変わらない形容詞を羅列。(自在な響き、的確な把握力、危なげのまったくない、作品への適応力が抜群)
さらには「根拠を伴わない気分的な感想」で閉める。(ここまで歌えるソプラノはなかなか見当たるまい)<<<無知なだけでしょう。

こういうのが「権威のあるレビュー」として引用されるのはもう時代遅れと思う。出版社や新聞の書くレビューがなぜ権威があるのでしょう?市井の人間の書いたレビューがいくらでも読めるこの時代に「評論家」を職業としている人のものだけがその中身がつまらないものかどうかの吟味をされずに特別な扱いをされるなんて、おかしい。レビューというのは「色々なもの」があるからこそ面白いのであって、特定のソースや人物のものしか引用に使われないというのは時代錯誤です。つまらないレビューをプロフィールに引用しなければならないのが気の毒に思えます。

いずれ、無名の人のレビューが「中身」で評価されて「プロのプロフィール」に引用される時代が来るでしょう。それまで私は生きていないと思いますが。



最後までお読み戴き有り難うございました。
二日とも仕事を休んで12:00~18:00、約80人の歌を聴いてきました。



ひとり五曲用意してその中から自分で一曲選んで歌います。審査員はNEUE STIMMENのオーディション・ディレクターを1999年から務めているというBrian Dickieさんただ一人!

一日に40人も出てきます。これは聞きごたえがあります。
東京音楽コンクール(東京文化会館)など、コンクールの予選の12名の歌手を500円で見られるものもありますが、この横須賀のは80人、しかも無料。堪能できます。歌手には応募年齢制限もあるので(女性28歳男性30歳)若くて上を目指している勢いのある人ばかり出てきます。それも学生ではなく、二期会研修所を出たばかりの世代と同じくらいの歌手たちで、素人が出てくることはありません。なんて素晴らしいんでしょう。

これだけ沢山の歌唱を聴かせてもらえると、歌がかぶる事もあるし、「歌手による歌唱の違い」というものを聴き比べる最高の環境では無いでしょうか。観客は平日ということもあって100人程度しかいませんが、声楽好きな人には聖地に思いました。来年も生きてれば行きたいです。


私は審査員ではないので講評はしませんが、「コンクール」というものについて思うところを書かせてもらおうと思います。

よく、「運も実力のうち」と言いますが、私はそれが「実力のうち」かどうかを証明する事はできませんが「勝負事には運という要素がある」事は経験上、あるいは研究の結果、よく知っています。戦史を研究すると「勝負は時の運」ということがよく分かります。実力で勝っていても、その時の運によって勝敗が決定する。或いは実力でまったく劣っているのに実力以上を発揮して勝利することもある。

それは実力のうちと呼べるかどうかは私は分かりませんが、確実なのは「勝負は一回しかない」ということです。負けたら次はない。「やり直すことはできない」ということです。
すると、その「自分にとって一回しかないもの」がどういう結果になるかは、自分以外に責任を取る人はいない、ということになります。審査員がどうのとか、体調がよくなかったとか、電車が事故起こして遅刻したとか、そういう事はすべて何もかも「言い訳にはできない」のです。不可抗力さえも「時の運」なんです。勝負の機会は一回しかない。勝負に生きている人はみんなそれを悟っているものです。本番の当日に風邪をひくなんてことは、プロには有り得ない。それだけでもう敗者なのです。

そういう事を昔の人は「運も実力のうち」と表現したのだろうと思う。
どうにもならないことも自分に理由がある。そういう世界観を持つようになれという教えなのだと思います。それは人間を謙虚にする。謙虚な人間は結局伸びます。


ということで、審査員がひとりしかいないことにびっくりしました。
審査員は一人なんです。それが声種の違う人たちを審査する。テノールもソプラノも同じ人が審査する。それも「実力のうち」でしょう。そういう環境でどういう歌い方をするか?その審査員の好みを調べて受けがよさそうな選曲にするか?そのように考える人もいるかもしれません。敵を知り己を知れば百戦危うからずと孫子の兵法にもあるようです。(百戦勝つとは言っていないですが)でも多分、そういう歌は勝てないでしょう。理由は書きません。戦う前にそういう事をあれこれと考えることがもっと大事です。

歌を聴いていると流石にソプラノのアリアはたくさんあって見せ場もたくさんあります。一方メゾソプラノの歌の選択肢は非常に限られている。しかもソプラノほど感動的に歌うアリアはありません。カルメンのSeguidillaとかHabaneraを聴いて涙が出ることはありませんがミカエラのアリアなら何度でも泣けます。メゾソプラノは最初からハンデがあるのではないかななどとも思いますがヴェッセリーナ・カサロヴァ(メゾソプラノ)は1989年に優勝しているそうですから勝てる人は勝てるのです。自分の声種も実力のうち。


一度にこれだけの歌を聴かせてもらうと、「誰が勝つか」という差がどこにあるか気がつきます。

思い返してみれば今まで強く印象に残った歌手というのはみんなそこが同じだった。

二期会アフタヌーンコンサートでの湯浅桃子さん、井上雅人さん
二期会研修所55期生による新進声楽家の夕べでの全詠玉さん
武蔵野文化事業団が主催するリサイタルに出てきたハンナ・ヘアフルトナーさん、エカテリーナ・サダヴニコヴァさん、アウロラ・ティロッタさん、マリーナ・コンパラートさん、ローザ・フェオーラさん、その他その他。
カルメンのミカエラを歌った大隅智佳子さん。
二期会研修所57期生による新進声楽家の夕べでの城 佑里さん。
ナクソス島のアリアドネでツェルビネッタのアリアを歌った川島幸子さん。
第68回全日本学生音楽コンクールで横浜市民賞をとった日隅葉子さん。

そこが同じだったの「そこ」とはどこかというと、
「自分の世界に入っている」
ということなんです。

独自の世界を作ってしまっている。
それは他の歌手のように「聞かせる」という積極的な姿ではなくて、聴き手の方が「引き寄せられて」「歌手の方に入っていく」という、歌手にとっては「受け身」の姿なのです。

聞かせられると(子供のピアノの発表会を思い出していただけると分かりやすいです。或いは新入社員のプレゼンテーションとか)聴き手からは距離を感じるものです。舞台が遠く感じる。一方、上手い人の歌だと、こちらからそこに「入っていく」感じがするものです。招かれていつのまにか歌手と同じ世界の中にいる。自分が舞台の上にいるような気になります。というより、舞台と客席との隔たりが無くなって混然一体となるのです。
(そのことを私はよく「巻き込まれる状態」と言ってきました)

上手い人は私たちを呼ぶのです。その世界に。


コンクールで勝つには何が違うか。
声質、技術、知性、人間性、見栄え、立ち居振る舞い、選曲、体調、気分、要素はいろいろあるけれど、つまるところは「聴き手を巻き込めるか」でしょう。技術的に完全でなくても音楽として魅力のある演奏というのはあります。(日本の音大生はミスタッチ=下手と思うのが多いと音大の先生が嘆いているのを聞いたことがあります)技術が良くても引き込まれない演奏というのもたくさんある。音楽の先生が「模範演奏」などをしてしまうと、もう音楽で無くなります。

そういう「差」が、この80人の歌を聴いてよく分かりました。聴く方も勉強になりました。

その「差」を持っていた歌手を書きます。ドイツ本選に何人が選ばれるのか知りませんが、以下の三人は候補でしょう。
キム・ジュヘさん 韓国 ソプラノ
深瀬 廉くん 日本 リリックバリトン
そして 鈴木玲奈さん 日本 ソプラノ

鈴木玲奈さんは二期連続チャレンジで登場したのでびっくりしましたが、そのチャレンジ精神、ガッツは素晴らしいです。前より良くなっている自信がなければ出てこれないでしょう。彼女は先日NEUE STIMMEN オペラ・ガラ・コンサートのステージに立った人ですから経験も違うし、ここに出てくるのは反則じゃないのかとも思いましたが、前より順位が下がったらもっと大きな恥になるわけですからその精神は立派です。歌も抜群に良かったです。満員の観客がいない場所でもあれだけ引き込む歌を歌える力量は素晴らしい。

↓これが用意した持ち歌で、その中からガラ・コンサートと同じ歌劇「ラクメ」のアリア「鐘の歌」を歌ったわけですが、この持ち歌リストを見てまたまた衝撃を受けました。難曲揃いのうえに「ナクソス島のアリアドネ」のツェルビネッタのアリアが入っているのです。今回の予選でこの歌を歌った人はひとりもいません。難しいからでしょう。それもレパートリに入っている。この人の実力は計り知れません。他の歌も是非、聴いてみたいものです。(歌劇「ラクメ」のアリア「鐘の歌」しか聴いたことが無いのです)

抜群に上手だったので三重丸をつけた


誰がドイツまで行くのか楽しみです。
みなさん頑張って下さい。

最後までお読み戴き有り難うございました。

※追記
「つまるところは「聴き手を巻き込めるか」」では漠然としすぎているかと思いますので
そうするにはどうしたら良いか
を書きます。
私は音楽の教育が専門ではないので「聴き手」としての考えであることを予めご了承ください。
「聴き手を巻き込む」には「自分の世界に没頭する」ことです。「上とつながる」とも私は言います。
故高橋光太郎ピアニストの言葉を引用すれば「作曲家が着想を得た源泉とつながる」です。
その姿は、観客の方を最早向いていません。審査員の方も向いていない。そういうものです。

それから、今回のコンクールの歌唱を聴いて特に思うことは
多くの人が「聴かせどころ以外の部分」を大切にしていないことです。
高音を出す前、声量全開にする部分の前、サビの前、
そういうところを歌うときの注意力が不足している。
そういう「目立たない部分」の歌唱が大事だと思います。
そこは普通に通過すれば良いのでは無い。
そこの弱音をもっと大切に、そこの音の意味は何なのかをもっと考えて
「いつの間にかそこを歌い終わっている」のではなく「そこのところにももっと自分の解釈をつける」
そういう作業が「差」として出てくるのです。誰が歌っても同じ歌唱を聴きたいのではありません。いつも言うことですが、あなたにしかできない歌唱、それをしてほしい。そう思ったらどんな小さな小節にも必ず自分の考えを盛り込まないでいられるはずがありません。

それをしている人が、残っていくのだと思います。


追記(2015.6.14)
5.20に本選進出者が決定していたそうです。
オメデトー。


待ちに待ったリサイタルです。私的には日本でもっとも素晴らしいソプラノの一人。
推定35歳だと思いますがリサイタルを開くと聞いたのは初めて。

大隅さんを初めて見たのは綾瀬市の市民オペラでした。(2012年6月)二期会の歌手がたくさん出ていましたが、ミカエラのアリアを聴いて歌手の名前を覚えて帰ったのが最初です。ブラボーが飛んでました。以来、機会があれば必ず出かけましたがリサイタルをするという情報は聞いた事が無かったのです。しかし考えてみると「リサイタルをひらける声楽家」というのは非常に限られています。そういう事をこの3年間で知りました。リサイタルをひらいてお客さんが来てくれる自信のある声楽家はほとんどいないでしょう。ファンの集いならまだできるかもしれませんが、それさえもできない人がほとんど。それが現実。その理由は私には分かっていますがその話をするのは今日は割愛させて戴きます。

ということで「待ちに待った」わけです。田中彩子さんはメジャーレーベルがバックについたからあの若さで(推定31歳)今年日本全国ツアーまでしてしまいましたが、個人で企画して実施まで持っていくのは並大抵のことではありません。ガッツに(死語?)敬服します。


ということで待ちに待ったリサイタルでしたが、このレビューを書こうかどうか迷いましたが、期待したものは満たされませんでした。
まず、最初の発声からいままでの大隅智佳子の絹のような声とは違いました。先日澤村翔子の声を一年ぶりに聞いて全盛期を過ぎたかのような声に残念な思いをしましたが年齢の所為なのか、まさか30代半ばで声変わりというものがあるのかどうか分かりませんが、違いました。練習のしすぎなのか、とも思いましたが、声が「疲れている」のです。またソプラノの命は「高音の弱音のコントロール」にあると思いますが、この日の選曲の所為なのかもしれませんがほとんど全曲(三曲は弱音の歌唱がありましたが)が「声量全開」の歌唱なのです。まるで全日本学生コンクール決勝演奏会のようです。大隅さんの歌唱には聞くたびに涙したものですが(YouTubeで観ても毎回涙が出ます)、この日は一度もそういうことがありませんでした。

何故なのか。選曲の所為では無いと思います。何故なら、たとえ一度も聞いたことの無い曲でも感動させられることがあるのは当たり前だからです。しかも、大隅さんの歌唱はまったく瑕疵の無い素晴らしいものでした。けれども、感動できませんでした。

私だけかと戸惑っていましたが同行したにゃーも同じようでした。上手いけれど巻き込まれない、という演奏は以前にも経験したことがあります。もっともそう感じたのは「音楽教室の先生たちによる演奏会」でのショパンでした。

上手いんだけれど、巻き込まれない。大隅さんの歌唱なら会場からすすり泣きが聞こえてもおかしくないのに、それはありませんでした。


帰り道、にゃーは問わず語りにこう言いました。
「芸術家じゃなくて先生になっちゃったのね」
直ぐには意味が飲み込めませんでしたが、そういうことなのかなと今は思います。

個人のリサイタルはたとえ瑕疵があってももっと若い時からやるべきものだと感想を持ちました。小さい会場でも良いんです。いきなり200人のファンは来ないでしょう。それにチャレンジしている音楽家は尊敬します。みなさん、芸術家を目指すならどんどん発表の場をもって批判にさらされる勇気とガッツを持ってください。「仕事がきたときだけのんびり歌っていければ良い」と考える人はすでに道を極めることを放棄しているのと同じです。


私にはこのリサイタルが期待したものと違った真の理由はまだ分かりません。声楽家にとって35歳には何かあるのか。それともこれがもともと大隅さんの狙い通りのものなのか。

次は6月28日に大隅さんを観ます。(神奈川県民ホール)そこでまた大隅さんの進む道が理解出来るかも知れません。

最後までお読み戴き有り難うございました。


※今回、会場で紳士淑女から声をかけて戴きました。どうして私の顔がわかるのか不思議ですが(^^;、先日湯浅桃子さんのファンの集いでも初対面の人に私が誰であるかを見破られたし司会の人にもバレてたし、品行には注意しなければと思い至りました。少なくとも後ろ指は刺されていない事を希望します。

NEUE STIMMEN オペラ・ガラ・コンサートに昨日行ってきました。今回はにゃーは仕事が入ってるのでニャーニャー文句を言ってましたが私ひとりで。

理由があって、本日は平日にもかかわらず急いでレビュー書きます。(理由は後述)


NEUE STIMMENというのは見るからにドイツ語ですが「新しい声」です。新人歌手のための国際コンクールだそうです。もちろんドイツで開催されるんですが世界各国で予選オーディションが行われて日本ではこの「よこすか芸術劇場」で開催してるんだそうです。偉いです横須賀。こんな田舎町なのに。

※NEUE STIMMEN
ドイツのベルテルスマン財団が1987年から隔年で主催する国際オペラコンクール。前回(2013年)には横須賀を含む世界22都市でオーディションを開催し、70カ国から1400人以上の歌手が参加。
ドイツでの本選には約50名が出場。エージェントや劇場から契約を結ぶチャンスが与えられる。よこすか芸術劇場からは過去9回で29名の歌手をドイツの本選に送り出した。

NEUE STIMMENのウエブサイトはこちら(英語)


ということで先に理由を書きますが、今年(2015年)のよこすかのオーディションは来週2015年5月7日~8日、両日とも12:00-14:00 休憩 15:30-18:00に行われるんですが、無料で見られるんです。歌うのは日本66名、韓国11名、台湾4名、中国1名。合計82名。よこすかは遠いですが、今回のガラ・コンサートのメンバーの歌を聴いたらこれは宝の山です。二期会の歌手にもこれに出た人は少なからずいるでしょう。声楽ファンの方は是非どうぞ。(これを告知するために急いで書きました)



で、今回のガラ・コンサートですが素晴らしかったです。全員(五人)素晴らしい。
幸田浩子さんは生で拝見するのは初めてですがNEUE STIMMEN の1997年のドイツでの決勝まで出たんだそうです。他の四人も優勝した人も含めて全員がドイツまで行ったということでした。この催しはもっとメジャーになってよいものと思います。

特筆は女性二人(男性も良かったですが割愛)
レビュー(演奏順)

脇園 彩さん(メゾソプラノ)
東京藝術大学・大学院卒、文化庁新進芸術家海外研修員としてイタリア留学、現在ミラノ・スカラ座研修所に所属、2014年11月「シンデレラ」タイトルロールでスカラ座デビューを果たした。
という物凄い経歴ですからエリートですね。舞台姿も表現力も日本人離れした華やかさと自信が溢れていてもう仕草からしてまるきり西洋人です。日本には一週間だけ戻ってきたそうですが、こういう人は日本みたいな小さな場所には活躍の場は無いと思います。このままイタリアでスターになっていって戴きたい。久しぶりに日本人離れした日本人の芸術家を見ました。

NEUE STIMMENセミファイナルでの映像






鈴木玲奈さん(ソプラノ)
東京音楽大学・大学院をどちらも首席で修了。可愛らしい外見ですが歌唱力は凄い人でした。(歌の上手な人にナントカはいないという俗説がありますが、以下割愛=二期会マイスタージンガーの舞台で松本宰二さんがそう言ってました)

先日、田中彩子さんがリサイタルで歌った歌劇「ラクメ」のアリア「鐘の歌」を歌いましたが、素晴らしいテクニックで声音もカラフルに変化させて実力があることを証明しました。このルックスでこの実力なら売り方を工夫すれば田中さんのように紀尾井ホールを満席にできるでしょう。

声がカラフルといえば、衣装もすごいのを着てきました。写真がないのが残念ですがジュネビビアンの花柄のドレスを光沢でピカピカにした(ジュネビビアンではありませんが)ような可愛らしくて「この人以外に似合う人はいない」というドレスです。過去に「自分のドレスのブランドを人に知られると着る人が増えて困るから教えたくない」と私に言った日本人のメゾソプラノがいましたが、ドレスというのは着る人を選ぶものであって「本人の個性と相俟ってこそのドレス姿」なんだということを改めて鈴木さんの姿を見て思いました。綺麗です。歯並びが良いことも私的には高得点です。日本人の若手の歌手で現在もっともルックスが良いのはこの人です。発見しました。

ただ、この人は「可愛らしい」というか「KAWAII」と英語で言った方がより正しい表現ですが、欧米にはいないタイプです。日本人にしかこういうタイプのルックスの人はいません。欧米で生き残るには「私はひとりでなんでもできます」でなければならない。脇園 彩さんはまさにそういうタイプです。それが良い悪いではなくて鈴木玲奈さんの個性はそこにある、という意味です。蝶々夫人は実はこういう歌手が歌うべき役柄ではないのか。なぜなら蝶々さんは15歳の日本人なんですからそれは欧米人の歌手には本当は演じることなんてできないんです。あとはラウレッタかミミも実はこんなキャラクタだったかも知れない、などと想像が膨らみました。いつか舞台で拝見したいものです。品のある歌手さんで、既に独特のポジションを持っています。二期会などに所属せず、みずから独自の道を拓いていって戴きたいものです。




いずれの歌手さんもYouTubeで見られますので検索してください。

それでは来週2015年5月7日~8日、両日とも12:00-14:00 休憩 15:30-18:00 よこすか藝術劇場へどうぞいらしてください。スケジュールはこちら。

最後までお読み戴き有り難うございました。
オペラ「運命の力」/ジュゼッペ・ヴェルディ
La Forza del Destino/Giuseppe Verdi

指揮 ホセ・ルイス・ゴメス
演出 エミリオ・サージ
美術・衣裳 ローレンス・コルベッラ
照明 磯野 睦

キャスト

レオノーラ:イアーノ・タマー
ドン・アルヴァーロ:ゾラン・トドロヴィッチ
ドン・カルロ:マルコ・ディ・フェリーチェ
プレツィオジッラ:ケテワン・ケモクリーゼ
グァルディアーノ神父:松位 浩
フラ・メリトーネ:マルコ・カマストラ
カラトラーヴァ侯爵:久保田真澄
マストロ・トラブーコ:松浦 健

合 唱 新国立劇場合唱団
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団



「運命の力」を観てきました。救いのない悲劇です。日本語の題名が内容を上手に反映していないと思うのですが直訳なので間違ってはいないようですが違和感があります。

平日の18:30に始まって夜10時までかかるので翌日働くのは辛い。。。
客の入りは90%くらい。そのうち80%が50歳以上の男女でしょう。やっぱり若い人は来ないのかな。

内容は結論がまったく共感できない終わり方で、日本人には理解できない世界だと思います。
どうしてもゴッドが出てくるんですね。運命を司ってるのはゴッドであり、ゴッドのすることはすべて正しい。だから死ぬのが救済だと。。。。

まったく、全然、共感できません。そんなに死ぬのが素晴らしいなら洞窟なんかに篭ってないでさっさと、、、と思う。だからストーリー的にはまったく白けてしまうオペラでした。そもそも、何故ふたりが逃亡中にはぐれたのか、全然説明がありませんが、そういうものをいちいち気にするものじゃないなどと言うオペラ評論家も(日本人)いるようですから、いよいよ白けます。ということで歌が良ければ良しとするしかないんですが、主役級の歌手の歌もよくありませんでした。一幕では部屋の中のセットが声を覆ってしまって響きを悪くしていたのも残念です。

プレツィオジッラ(ジプシー女)を演じたケテワン・ケモクリーゼは華があってまるで劇中劇の主役のようでしたが、カルメンのタイトルロールをやったばかりの人だそうで、見栄えがしました。声も分かりやすい歌声なので一般受けはすると思います。しかしこの人が目立ってしまう演出はまずいと思う。そもそもあの酒場のシーンは無駄に長いです。多分、多くの人に仕事を与えるために(当時の事情で)、沢山の人がだらだらと舞台にいる台本になったのではないかと勝手に想像しました。
歌手としては、華は無いんだけれどレオノーラ役のイアーノ・タマーの方が高音から更に上がる時の声音と音量のコントロールが上手でした。日本人にはああいう歌唱ができる人はいないとにゃーの意見。日本人だと高音が叫び声になってしまう人が多いとは私も思います。

ということで拍手は多かったけれどカーテンコールも無く、静かにみなさん帰路についていました。どなたもあまり感動できる公演ではなかったんだと感じます。日本人の歌手が何人も出ていましたが、大健闘でした。




これで書き終わると虚しいので思った事を少し。

この話は「復讐劇」と「純愛悲劇」で構成されていますが、そしてそれらはオペラの題材にはよく使われるものですが、例えばオテロもそうだしカルメンもそうだしカヴァレリア・ルスティカーナもそうだしロミオとジュリエットもそうですが、、、
今回のこのオペラを観ても、時代設定を20世紀に移していても中身はもう現代には合わない、同じような事は起こり得ない話しだなぁと思うわけです。

すべてのこういう劇は、男と女が一対でしか出でこないでしょう。お互いに「運命の人」なわけです。
そもそも「運命の人」とは何か、という話を色々な人と話したことがありますが、
運命の人とは
  結ばれることになっている人のことかも知れない
  結ばれない恋人のことかも知れない
  恋人ではないかも知れない
  一度も会うことが無くてもそうかも知れない


定義はありませんがトライしてみますと

「自分の人生に決定的な影響を与える異性の相手」です。

(同性を「運命の人」というドラマチックな表現では私は呼ばないので。。。)

そうすると、それは『ひとり』とは限らないわけです。
自分にとって「運命の人」というのはひとりじゃない。

ところが、オペラの時代の人たち(シェイクスピアならもっと昔ですが)というのは今のように情報化が進んでいませんから、運命の人というのは「ひとりしかいない」と思い込んでしまっている。そういう作品に触れてそのように感化される現代の人もいるでしょうが、実は違う。私は高校生の時に「結婚相手はどこにいるのか」ということを知りたくて結婚している人を対象に調査研究したことがあるのですが、その結果は「自宅から30Km以内の場所に相手は住んでいた」というものでした。40年前のことです。オペラの時代だったら交通機関も発達していないからもっと近場だったでしょう。(王侯貴族同士の結婚は除外)
その後、国際結婚の夫婦たちにインタビューしたことがあって、約250組の国際結婚の人たちが「どこで出会ったか」を調べたんですが(そういう仕事をしていたわけではありません(^^;)、そうしたら約25%、四組に一組の夫婦が「ネットで知り合った」と言いました。びっくりしました。ネットというのはそこまで人々の人生に浸透しているのか、と。2000年のことです。もう、居住地の距離の制限なんか無いんですね。ネットで知り合って、相手の国まで会いに行って、結婚まで行った、と。

さて、オペラに話を戻しますと、要するに「出会う人の数が圧倒的に少ない」から「運命の人は一人しかいないそしてそれはこの人だ」と思い込んでしまうんです。と思います。だとつくづく感じました。

一生にひとりしかいない人だから執着してしまう。「ホセに『女性は一度切れた男とは、絶対によりは戻らないと誰かが早く教えてやれば良かったのに」というのが歌劇カルメンの教えるところですが、そんなことは当時の人間には分からない。カルメンみたいな女は世の中にたくさんいるなどとは思えないんです。実はたくさんいるでしょう。います。他を探せばいいだけなのに。まるで「ひとりに人生を捧げることが美しいことかのような歪んだ価値観」が支配しているのです。こうなるとそれは宗教と同じです。

だから、現代に生きている我々(私だけかも知れませんが(笑))には、そういう物語は共感を呼ばないのです。と思いながら博多天神新宿三丁目店の豚骨ラーメンを食べて帰りました。


最後までお読み戴き有り難うございました。


■ 追記
ネットで知り合ってと言えば、某日本人オペラ歌手が留学先で見て素晴らしかったと言ったので名前を知ったロシア人のオペラ歌手がいるのですが、彼女と私はネットで話すようになって、知り合った頃はデビューしたばかりで無名だったのに、今では一流の仲間入りする有名人になってしまいました。

世界的なオペラ歌手でもこんなに気さくに付き合ってくれるのも人柄です。
こういう人には感心します。
だから世界に出ていけるんだと思う。



↓彼女がそうなんです~ 日本にも来ましたね
堀万里絵さんと鷲尾麻衣さんが共演(初めてでは?)というので楽しみにしていました。

 


コジ・ファン・トッテは最近では(と言っても2013.8.19)のミラマーレ・オペラのを観て以来久しぶりです。というか、この話も私的には好きじゃなくて(恋人を騙す話です)、オペラ・ブッファ(喜劇)と言うけどちっとも笑う場面が無い歌劇なんです。歌手が良ければ行くという「歌を聴きに行くだけの歌劇」


今回発見がありました。「歌手によってこれだけ印象が変わるものなのだ」を実感しました。


まず、フィオルディリージの針生美智子さん。
東京オペレッタ劇場の公演でジェロルスタンの女大公2013.6.8高輪区民センターで一度だけ見ましたが、こんなに美声で歌が上手な人とは知りませんでした!凄いです。東京オペレッタ劇場のときはシーツを被ったような変な衣装でつまらないギャグを言わされたりしていて歌手としての魅力を全然感じなかったのに、この公演ではモーツァルトが得意と思わせるようなそれは素晴らしい歌唱が次から次から出てきて感動しました。こんなに上手な人だったんだ、と思わず呟きました。
しかも「長女」のキャラクタがよく出ていた。真面目っぽくて、なんだか訳のわからないままに他の男にいいようにされてしまう、という「普通さ」がよく演じられていた。演技も歌も上手な人だったんですね。使い方でこんなに印象が違うものかと思いました。使い方の他に冒頭に書いた「歌手によってこれだけ印象が変わる」のもこの人のことで、ミラマーレ・オペラのときはフィオルディリージは湯浅桃子さんがやったんですが、こちらも負けず劣らず美声で上手な人ですが、フィオルディリージの印象が全然違います。今回の針生美智子さんは、今書きましたが「フツーの女性が訳がわからないまま男に取り込まれていく」というフィオルディリージでしたが、湯浅桃子さんの場合は「こんなに純情そうなおよそ浮気なんかと縁が絶対無いような人が他の男とセックスしてしまうんだろうか」と、歌唱を聴いているだけでドキドキしてしまったものです。フィオルディリージは名前が同じでも別人ですね。ここまで印象が変わるものなんだ、を実感しました。どちらも素晴らしい演技でした。


ドラベラ。堀万里絵さん。
妹の方が背が高くて活動的というのはウチの娘たちとまったく同じなので人物設定がリアルに感じられました。だいたい演出自体が「現代」になっていて、女性の服装もカラフルなワンピースだし、だからといってこういうのを「読み替え」とは言わないだろう、と思いました。「演出にオリジナルに忠実か読み替えかの区別は無い」というのが私の考えですが、こんなに現代の人間たちと距離がない演出も分かりやすくてとても良いです。で、堀万里絵さん。一番多く何度も見ている歌手のひとりですが、本領はオペラだなと思いました。コンサートで見ているとひとりだけ目立ってしまって「堀万里絵とその仲間たち」的に見えてしまうんですが、オペラだと演技がつくから正に「劇場で映える人」なんだと気がつきます。同行のにゃーも「ここがこの人のいるべき場所なのね」と言ってました。そもそも私がこの人のファンになったのは美人だからではなくてコンサートの時にハバネラを歌いながら私のところまで来て私の肩に手を置いて歌ったからなんです。(笑)こういう大胆な演技を歌いながらできる日本人は珍しい。そういう演技力もあるし、存在感もあるし、和風の顔立ちで背が高いとなると、あちらの方でブレイクする要素を持っている数少ない日本人です。世界に出て行っても良い人だと思います。


デスピーナ。鷲尾麻衣さん。
ひさーし振り。病気もされてご無沙汰でしたが元気な歌声を久しぶりに聴きました。この方を初めて見たのは同じこのホールで「こうもり」のアデーレを演じた時ですが、あれほどオペレッタで笑ったことはありません。綺麗な人なのに「この人は芸術のためには自分を捨てる覚悟がある人だ」と分かって一編でファンになりました。それを今回再現してました。(笑)
歌も上手。声量もあるし、コミカルな演技もできるし、病気を克服したちからでもっと伸びて欲しいです。
このデスピーナも、歌手による違い、というより今回は「演出による違い」ですが、実感しました。ミラマーレ・オペラのときはデスピーナは山口佳子さんがやったんですが、あの人も弾けてましたが、あの時は網タイツでしたから。。。松山郁雄さんにさせられたんでしょう。あのセンスは過激でした。しかし、デスピーナというのは「奥深い人間性」を表現できなければならない難しい役ですが、どちらのデスピーナもそれは成功していました。配役の勝利でしょう。二人とも東京藝術大学卒だそうで、「藝術のために自分を捨てる」事を教える良い学校なんだろうと思いました。(違うかもしれません)


男性歌手については割愛。上手でした。

本日もあるそうですが、チケットは難しいでしょう。


最後までお読み戴き有り難うございました。

■ 追記
全幕がYouTubeに公開されました。いいなぁこういうの。ファンが増えるでしょう。