素敵です...
素敵です
...
...
今年の六月、カルメンを綾瀬まで観に行って
大隅智佳子さんを初めて聴きました☆
感動したという話は書きました。
あんなに心に響くミカエラ。
映像がありました(というか静止画ですが)
素晴らしいです

延びのある声 声量 叙情性 表現力 みんな素晴らしい
何度聴いても涙が出ます
もう一リットルは出ました

YouTubeでいろんなミカエラが見れますが、
抜群と思います
大隅智佳子さんはNHK文化センターでオペラの講座をされています
毎年やっているようです
案内ページはこちら
お話も上手です
さすがに東京芸大を首席で卒業されただけの頭脳をお持ち。
ご本人のプロフィールはこちら
すっかりファンになりました

...
国内外の声楽家や音楽家の演奏を聴いて
最近思うこと☆
※ 最近はブログなどでご本人の感想を読めたり
直接会話できたりする時代になったのは
まことに有り難いことです。
日本人て、教育がそうなっているからでしょうけれど
「求道派」
が多いと思う。
音楽も、道であって
そこの行き着く先に《究極の自分の演奏》がある
と考えているような発言を日本人はよくします。
演奏会の後には必ず「反省点」がブログに綴られる
いつまでたっても、自分は「完全」ではない
いつも95点
そして100点を目指すのが自分の生き方
そういう考えを外国の人から聞いた事がありません
欧米の人は、基本、自意識が高い
自分は自分
反省はするだろうけれど自分が道の途中にいるとは考えていない
今の自分が自分
どういうことかと言うと、
日本人はなにか「理想の自分(理想の自分の演奏)」というものがどこかにあって、
それを追い求めて行くのが自分の音楽人生だと
考えているように 思われるのです
それは
道を極める という 極めて日本的な考え方が反映している
チガウと思う。
私たちは95点の演奏を聴きに行くのではありません
その時 その場所で 最高の自分
を見せてくれるのを観に行く訳です
キズがあったっていい
ミスがあったって それが《その瞬間の最高の自分》ならばそれも素敵。
そういう考え方が 日本人演奏家には無いように思われるのです。
「自分はまだまだ」「今日のは納得しているがもっと上を目指す」.... e.t.c.
それは、時間が経てばより良いものができるという錯覚がある。
それは、間違った考え方です。
マルタ・アルゲリッチ(p)が「舟歌」を録音したのは1960年のデビュー、
19歳のときです。
聴いてみて下さい。
ハマります。ませんか?
そして、二度と録音しませんでした。
何故か。
もうあれで完成だからです。
練習を重ねて「もっと良く弾ける」などというものではない。
☆「別の弾き方をする」というのはあります
☆グレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」録音はそれですね
年齢を重ねれば巨匠とか名人とかになっていく、というのは
日本的な幻想です。
【いま、この瞬間のあなたが、最高なのです】
考えてみて下さい、明日は死ぬのだと。
今日が最後の演奏の機会だと。
それを「95点」の演奏で済ませられますか。
「まだまだ次がある」「理想までの道のりは長い」
などと言ってられますか。
わたしたちは 95点の演奏を聴きに行くのではありません。
《その時その場所で最高の自分》を見せてくれる人を
観に行くのです。
...
初音ミクというのを数年前に聞いた事があった
いかにも合成音というのが可愛らしいと思ったが
それ以上感じるものがありませんでした
そうしたら
いまはこんなのができるようになった
もう、人間である。
というよりも
人間にできそうもない歌唱さえ できてしまうのである。
そこで思う事。
日本人の音楽家は「楽譜の忠実な再現」至上主義であると
つねづね思います。
間違っています。
それはね、西洋から入って来た音楽だから
楽譜以外に根拠とするものを文化的に持っていないから
楽譜がすべて と考えてしまうのである
間違っている
楽譜は音楽ではない
当たり前だろう
雅楽には楽譜さえないんだそうですよ
※雅楽に楽譜が無いのは何故か、は割愛
西洋ではクラシック音楽というのは自家の産物であるから
楽譜はただの記号であって
それをどう音楽にするかは自分の領分であるという自信があるです
日本人には無い
ぜったい
無い
だから「すべては楽譜に書いてある」などと
バカな事を本気で言う人が日本にいますね
■ 楽譜にことこまかく書いたマーラーのような人もいますが
そんなもん無視して良いのであるが
無視の仕方が日本人にはできないものがあるです
(文化の背景と言う支えがないからである)
この話題とVocaloidとどう関係があるかというと
楽譜に忠実な再現が究極の目的なら
Vocaloidにやらせればもうそれ以外はいらなくなるじゃないか
ということです
超絶技巧のコロラトゥーラなんか一日の作業で実現さ。
声楽家いりません。
人間がとうていできない歌唱ができてしまうのである。
いままで作曲できなかった音楽も Vocaloidが歌うなら書けてしまうのである。
凄い時代になったもんだ。
音楽家の使命は
「楽譜の忠実な再現か?」
「作曲家がなにを考えていたかを探る事か?」
「書かれた時代背景を研究してその楽曲の目指していた事を知る事か?」
そんなことすべて楽譜に書いてあるなら
クラシックの声楽家は
今日限り廃業・不要。
思えば、声楽家を形容した修辞とは陳腐なものばかりである。
・知性の裏打ちがある
・何語でもディクションが優れている
・スコアに書かれている事の意味を嗅ぎ取る動物的勘のよさ
・解釈がおそろしく精密
そんなもの、人間じゃない方が楽譜に忠実にできるではないか 今なら。
(Vocaloidは何語でも喋るそうです)
声楽家の使命はなにか
楽譜の読み込みとかじゃないんだよ
renditionこそ、声楽家のmissionなんだよ
と Vocaloidの素晴らしい歌声を聴いて
あらためて考えました。
死にかけてるクラシック音楽ですが
芸術は永遠の命を持っているです
...
いかにも合成音というのが可愛らしいと思ったが

それ以上感じるものがありませんでした
そうしたら
いまはこんなのができるようになった

もう、人間である。
というよりも
人間にできそうもない歌唱さえ できてしまうのである。
そこで思う事。
日本人の音楽家は「楽譜の忠実な再現」至上主義であると
つねづね思います。
間違っています。
それはね、西洋から入って来た音楽だから
楽譜以外に根拠とするものを文化的に持っていないから
楽譜がすべて と考えてしまうのである
間違っている
楽譜は音楽ではない
当たり前だろう
雅楽には楽譜さえないんだそうですよ
※雅楽に楽譜が無いのは何故か、は割愛
西洋ではクラシック音楽というのは自家の産物であるから
楽譜はただの記号であって
それをどう音楽にするかは自分の領分であるという自信があるです
日本人には無い
ぜったい
無い
だから「すべては楽譜に書いてある」などと
バカな事を本気で言う人が日本にいますね
■ 楽譜にことこまかく書いたマーラーのような人もいますが
そんなもん無視して良いのであるが
無視の仕方が日本人にはできないものがあるです
(文化の背景と言う支えがないからである)
この話題とVocaloidとどう関係があるかというと
楽譜に忠実な再現が究極の目的なら
Vocaloidにやらせればもうそれ以外はいらなくなるじゃないか
ということです
超絶技巧のコロラトゥーラなんか一日の作業で実現さ。
声楽家いりません。
人間がとうていできない歌唱ができてしまうのである。
いままで作曲できなかった音楽も Vocaloidが歌うなら書けてしまうのである。
凄い時代になったもんだ。
音楽家の使命は
「楽譜の忠実な再現か?」
「作曲家がなにを考えていたかを探る事か?」
「書かれた時代背景を研究してその楽曲の目指していた事を知る事か?」
そんなことすべて楽譜に書いてあるなら
クラシックの声楽家は
今日限り廃業・不要。
思えば、声楽家を形容した修辞とは陳腐なものばかりである。
・知性の裏打ちがある
・何語でもディクションが優れている
・スコアに書かれている事の意味を嗅ぎ取る動物的勘のよさ
・解釈がおそろしく精密
そんなもの、人間じゃない方が楽譜に忠実にできるではないか 今なら。
(Vocaloidは何語でも喋るそうです)
声楽家の使命はなにか
楽譜の読み込みとかじゃないんだよ
renditionこそ、声楽家のmissionなんだよ
と Vocaloidの素晴らしい歌声を聴いて
あらためて考えました。
死にかけてるクラシック音楽ですが
芸術は永遠の命を持っているです
...
ハンナ・ヘアフルトナー ソプラノ・リサイタルに行ってきました☆
場所は武蔵野市民文化会館(三鷹)
三鷹って、生まれて初めて行きました
子どもの頃、ちんちん電車の終点が
その話しはどうでも良いですが
結論から言うと
久しぶりにコンサートで涙出ました。
一人で2時間
アンコール含めて21曲
拍手が鳴り止まなかった・・・・・
感動しました~
(涙)
あれは、お客さんも良いんですね~
チケットが安かったから(2000円)来てみた、という人たちでは無い
帰り道、三鷹駅まで1キロもある道を多勢の人がゾロゾロ歩いていた
みなさん、電車に乗って来てるということです
あんなに強くて長い拍手の中で舞台の上で立っている姿
素晴らしかった
涙でました
実は「献呈」という歌(シューマン)をどうしても聴いてみたくて行ったのですが
(澤村翔子さんがソトコトという雑誌で歌っていた記事を読んだので)
知っている曲はわずか三曲
そういうプログラムを組む本人も凄いですが
それを受け容れたこの「武蔵野文化事業団」というのも凄いと思います。
そして、ほとんど意味が分からない歌(歌詞が出ません)を
あんなに感動して聴いた聴衆・・・・
日本でこんなに感動した外国人のコンサートは
無いとは言わないが
久しぶりでした。
コンサートというのは、
演奏者と
聴衆と
企画した人
それが一体となって創るものなんだな と
あらためて思い知った一晩でした。
武蔵野文化事業団
ファンになりました
ウチの近所の団体も頑張ってくれないかな・・・・
アンコール
バーバー:ヌヴオレッタ
フォーレ:わたしたちの愛
武蔵野文化事業団のリンクはこちら
....
場所は武蔵野市民文化会館(三鷹)
三鷹って、生まれて初めて行きました

子どもの頃、ちんちん電車の終点が
その話しはどうでも良いですが

結論から言うと
久しぶりにコンサートで涙出ました。
一人で2時間
アンコール含めて21曲
拍手が鳴り止まなかった・・・・・
感動しました~
(涙)あれは、お客さんも良いんですね~
チケットが安かったから(2000円)来てみた、という人たちでは無い
帰り道、三鷹駅まで1キロもある道を多勢の人がゾロゾロ歩いていた
みなさん、電車に乗って来てるということです
あんなに強くて長い拍手の中で舞台の上で立っている姿
素晴らしかった
涙でました
実は「献呈」という歌(シューマン)をどうしても聴いてみたくて行ったのですが
(澤村翔子さんがソトコトという雑誌で歌っていた記事を読んだので)
知っている曲はわずか三曲
そういうプログラムを組む本人も凄いですが
それを受け容れたこの「武蔵野文化事業団」というのも凄いと思います。
そして、ほとんど意味が分からない歌(歌詞が出ません)を
あんなに感動して聴いた聴衆・・・・
日本でこんなに感動した外国人のコンサートは
無いとは言わないが
久しぶりでした。
コンサートというのは、
演奏者と
聴衆と
企画した人
それが一体となって創るものなんだな と
あらためて思い知った一晩でした。
武蔵野文化事業団
ファンになりました
ウチの近所の団体も頑張ってくれないかな・・・・
アンコール
バーバー:ヌヴオレッタ
フォーレ:わたしたちの愛
武蔵野文化事業団のリンクはこちら
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鷲尾麻衣さん、英国から一時帰国中
久しぶりに観に行きました☆
テーマは【公演雑感】ではなく【歌手】にしました
公演の内容は大好評 ホントに一席も空いてない満席でした
500円という入場料の所為もあるでしょうけど 凄いことです。
※ワンコインでも客が入らないコンサートがほとんどですからね クラシックは。
内容の感想は割愛。(このコンサートを誉めない人はいないでしょう)
この人は日本のオペラ界を背負って立つ一人には間違いありません
テーマを【歌手】にして書きたかった事は、
鷲尾麻衣さんのMC能力です
■ MCとは
Master of Ceremony 司会進行役のことです
これが凄かった
曲の解説や自分の想いなどを
よどみなく スラスラと喋る喋る。
一回も え~ とか あのう、 とか 言いませんでした
かなり難しい話しをしているのに
原稿を読んでいるのでもないのに
じょうず!
歌手は唄えればいいってもんじゃないという素晴らしい見本だと感心しました。
※歌同様、十分な下準備をしてきた、ということですから。
人間として素晴らしいことです
自分がオペラ歌手になるきっかけについても話していました
【そういう話しをしてくれる所も、親しみがまして素晴らしい事です】
それは
「ライフ・イズ・ビューティフル」という映画で
オッフェンバックの「舟歌」を高校生の時に聴いたとき
だそうです。(日本公開は1999年)
私も当時観た。あのとき麻衣さんは高校生だったのか。
時の流れって速いものだと思いました。
実際は オッフェンバックはユダヤ人だからドイツの軍人が強制収容所で
舟歌のレコードを聴く というのは 有り得ない事なんだけれど
あの二重唱は素晴らしく良かったのはよく覚えている。
Performed by Montserrat Caballé (as M. Caballé), soprano, Shirley Verrett (as S. Verret),
mezzo-soprano.
麻衣さん 頑張れ。
...
久しぶりに観に行きました☆
テーマは【公演雑感】ではなく【歌手】にしました
公演の内容は大好評 ホントに一席も空いてない満席でした
500円という入場料の所為もあるでしょうけど 凄いことです。
※ワンコインでも客が入らないコンサートがほとんどですからね クラシックは。
内容の感想は割愛。(このコンサートを誉めない人はいないでしょう)
この人は日本のオペラ界を背負って立つ一人には間違いありません

テーマを【歌手】にして書きたかった事は、
鷲尾麻衣さんのMC能力です
■ MCとは
Master of Ceremony 司会進行役のことです
これが凄かった

曲の解説や自分の想いなどを
よどみなく スラスラと喋る喋る。
一回も え~ とか あのう、 とか 言いませんでした

かなり難しい話しをしているのに
原稿を読んでいるのでもないのに
じょうず!

歌手は唄えればいいってもんじゃないという素晴らしい見本だと感心しました。
※歌同様、十分な下準備をしてきた、ということですから。
人間として素晴らしいことです

自分がオペラ歌手になるきっかけについても話していました
【そういう話しをしてくれる所も、親しみがまして素晴らしい事です】
それは
「ライフ・イズ・ビューティフル」という映画で
オッフェンバックの「舟歌」を高校生の時に聴いたとき
だそうです。(日本公開は1999年)
私も当時観た。あのとき麻衣さんは高校生だったのか。
時の流れって速いものだと思いました。
実際は オッフェンバックはユダヤ人だからドイツの軍人が強制収容所で
舟歌のレコードを聴く というのは 有り得ない事なんだけれど
あの二重唱は素晴らしく良かったのはよく覚えている。
Performed by Montserrat Caballé (as M. Caballé), soprano, Shirley Verrett (as S. Verret),
mezzo-soprano.
麻衣さん 頑張れ。

...
二期会マイスタージンガー行ってきました☆
観るのは三度目

もう、素晴らしいね
日本の合唱の頂点です
ステージ構成も素晴らしいし
歌唱技術も最高だし
松本宰二さんのお話も面白いし
(歌手さんはあまりトークが得意でない人もいましたがファンなら何を聞いても嬉しい
)
もっと沢山の人に広めてあげたい・・・
でも、それは 株式会社二期会21 の仕事なんだよね
あそこはマーケティングなんかまったくできない会社だと思う
歌手たちが気の毒です
映画に予告があるように
音楽に無料で流れるテレビやラジオ番組があるように
スーパーに試食コーナーがあるように
彼らのパフォーマンスを無料で見られるようにすれば
お客さんはたくさん来るのに
おまけに会場は撮影・録音禁止だとアナウンスするばかり
この時代にまったく何も分かっていないアナクロ思考なんだよね
まぁ、でも、歌手本人がそういうことをしたく無いようだから
自業自得ではあるけど
(自分の選んだことが自分に返って来る=悪い意味じゃないんだよ)
ポテンシャルあるのに残念で仕方が無い
写真をアップデートしたほうが良いんじゃないの。。みなさん
そういうところがセンス無いんだよな。。。
集合写真なんかまったくの普段着だし、そんなお金も無いのか 無いならタダで撮ってあげるのに
歌はもう何も言う事ありません
髙橋絵理さんがこのまえ「パリアッチ」の主役(ネッダ)で大躍進して
自信が溢れる歌唱が続いて こんかい特に良かったです
頑張れ
あと、ピアノの山田武彦さん、初めて聴きましたが
穏やかな人柄の出ている流麗で美しい音色の音楽に感激しました
履歴を見ても凄い方なんだなぁ
下丸子クラシック・カフェという企画演奏会のマスターをしているそうです。
9月29日は石田泰尚さん(神奈川フィルのコンサートマスター)が出ていたそう
知りませんでした~
知ってれば行ったのになぁ ソロでなんかなかなか聴けませんよこの方。
みなさんもどうぞ。
...


もう、素晴らしいね

日本の合唱の頂点です
ステージ構成も素晴らしいし
歌唱技術も最高だし
松本宰二さんのお話も面白いし
(歌手さんはあまりトークが得意でない人もいましたがファンなら何を聞いても嬉しい
)もっと沢山の人に広めてあげたい・・・

でも、それは 株式会社二期会21 の仕事なんだよね
あそこはマーケティングなんかまったくできない会社だと思う
歌手たちが気の毒です

映画に予告があるように
音楽に無料で流れるテレビやラジオ番組があるように
スーパーに試食コーナーがあるように
彼らのパフォーマンスを無料で見られるようにすれば
お客さんはたくさん来るのに
おまけに会場は撮影・録音禁止だとアナウンスするばかり
この時代にまったく何も分かっていないアナクロ思考なんだよね

まぁ、でも、歌手本人がそういうことをしたく無いようだから
自業自得ではあるけど
(自分の選んだことが自分に返って来る=悪い意味じゃないんだよ)
ポテンシャルあるのに残念で仕方が無い

写真をアップデートしたほうが良いんじゃないの。。みなさん

そういうところがセンス無いんだよな。。。

集合写真なんかまったくの普段着だし、そんなお金も無いのか 無いならタダで撮ってあげるのに

歌はもう何も言う事ありません

髙橋絵理さんがこのまえ「パリアッチ」の主役(ネッダ)で大躍進して
自信が溢れる歌唱が続いて こんかい特に良かったです
頑張れ

あと、ピアノの山田武彦さん、初めて聴きましたが
穏やかな人柄の出ている流麗で美しい音色の音楽に感激しました

履歴を見ても凄い方なんだなぁ

下丸子クラシック・カフェという企画演奏会のマスターをしているそうです。
9月29日は石田泰尚さん(神奈川フィルのコンサートマスター)が出ていたそう

知りませんでした~
知ってれば行ったのになぁ ソロでなんかなかなか聴けませんよこの方。
みなさんもどうぞ。
下丸子クラシック・カフェ

大田区民プラザ大ホールというのがまた分かりにくい名前で
今日の 大田区民ホール・アプリコ大ホールとまったく別なんです
本当にネーミングのセンスがない
一回でだれでも分かるような名前にしてもらいたいものです
大田区民プラザ大ホールの下丸子クラシック・カフェはこちら
しかしこのHPがまた作りがヒドくて
トップにもどるボタンがありません
大田区民プラザのトップはこちら
トップに行っても下丸子クラシック・カフェの公演が予定に出ていない
もう、ムチャクチャです
電話するのが一番速いかな
大田区民プラザのチケット予約用電話番号
03-3750-1611


大田区民プラザ大ホールというのがまた分かりにくい名前で
今日の 大田区民ホール・アプリコ大ホールとまったく別なんです

本当にネーミングのセンスがない
一回でだれでも分かるような名前にしてもらいたいものです

大田区民プラザ大ホールの下丸子クラシック・カフェはこちら
しかしこのHPがまた作りがヒドくて
トップにもどるボタンがありません
大田区民プラザのトップはこちら
トップに行っても下丸子クラシック・カフェの公演が予定に出ていない

もう、ムチャクチャです
電話するのが一番速いかな
大田区民プラザのチケット予約用電話番号
03-3750-1611

そういう電話番号はパンフレットの一番表紙に書いておくべきものです

...
楽日に行ってきました☆
某日本人オペラ歌手の推薦があったので
頑張ってA席2階 21,000円
公演日の前半はお客が入らなかったと聞いていましたが
楽日は日曜の昼ということもあったのかほぼ満員
英語のオペラって初めて聴きましたが
どーーーしても ミュージカルに聞こえてしまうのは私だけか
内容は、これはキリスト教の知識がないと かなり分からない作品です
魚を獲る というのがそもそも暗喩だし 名前がピーター
エレンの行為はマリアの慈愛であって 男女の愛ではなく
そこが悲しい
かなりの人がカーテンコールの最中にゾロゾロと退出して行きました
暗い演目です
なぜ今この時期にこの演し物か・・・
明るい演目を観たくなる公演でした
はっきり言って、プロムスでは受けても 日本人には意味が通じない
と思う
歌手は強力でとても良かった
特に加納悦子さんは日本人にはやりにくい嫌われ者役を
堂々と演じていらした
ピーター役のテノール スチュアート・スケルトン番宣ビデオ
このオペラが日本の観客に重要な点は、、の最後がカットされて何を言ったのか分からないのは意味深です。
クラシック音楽というのは
西洋の芸術で
その精神がグローバルに通じるものがあるときは
我々東洋の人間にも感銘を受ける事ができますが
宗教が背景に色濃くある時
本当の意味は通じていないと思う
バッハの宗教音楽にしても同じで。
日本的な音楽で西洋のクラシック音楽のように
自分の心を揺さぶるものは無いのだろうか?
そういうものを新国立劇場で発掘してほしい
そういう気持ちになりました
...
某日本人オペラ歌手の推薦があったので
頑張ってA席2階 21,000円
公演日の前半はお客が入らなかったと聞いていましたが
楽日は日曜の昼ということもあったのかほぼ満員

英語のオペラって初めて聴きましたが
どーーーしても ミュージカルに聞こえてしまうのは私だけか

内容は、これはキリスト教の知識がないと かなり分からない作品です
魚を獲る というのがそもそも暗喩だし 名前がピーター
エレンの行為はマリアの慈愛であって 男女の愛ではなく
そこが悲しい
かなりの人がカーテンコールの最中にゾロゾロと退出して行きました

暗い演目です
なぜ今この時期にこの演し物か・・・
明るい演目を観たくなる公演でした
はっきり言って、プロムスでは受けても 日本人には意味が通じない
と思う
歌手は強力でとても良かった
特に加納悦子さんは日本人にはやりにくい嫌われ者役を
堂々と演じていらした
このオペラが日本の観客に重要な点は、、の最後がカットされて何を言ったのか分からないのは意味深です。
クラシック音楽というのは
西洋の芸術で
その精神がグローバルに通じるものがあるときは
我々東洋の人間にも感銘を受ける事ができますが
宗教が背景に色濃くある時
本当の意味は通じていないと思う
バッハの宗教音楽にしても同じで。
日本的な音楽で西洋のクラシック音楽のように
自分の心を揺さぶるものは無いのだろうか?
そういうものを新国立劇場で発掘してほしい
そういう気持ちになりました

...
こういう記事を読みました
タイトル「ついに:クラシック・ブリット賞、クラシック音楽を冒涜」
At last: the Classic Brit Awards exposed as a sickening crime against classical music
クラシック・ブリット賞というのはこちら
毎年、クラシック音楽の優れたアーティストに贈られる賞。
ブリット・アワードのクラシック音楽バージョン。
注:クラシック音楽は英語では classic music ではなく classical music と言います。
クラシック音楽ファンて、世界中で激減しているようです。
コアなファンだけになってきている。
10年以上前(2000年頃)、ドイツに行った時CDショップに入ったらクラシック音楽のコーナーがどこに行っても非常に小さいのに驚いた事があります。ドイツなのに。どうしてかね、と現地在住のともだちに聞いたら「そこでいつでも本物が聴けるから」と、ドイツならどこの都市にもあるオペラ座を指差していましたが、クラシック音楽のCDコーナーにはお客がほとんどおらず、店員さんに自分が探しているCDを質問したらとっても親切にあれこれ教えてくれたのをよく覚えています。
【お客と話すのが嬉しそうでした】
で、この記事です。
中味は読んで戴くとして、
要旨は「これがクラシック音楽なのか?」
人気があってCDが売れる人をむりくりクラシックのジャンルに入れて
なぜこういう人たちに名誉を与えないのか
Not Claudio Abbado, Martha Argerich, Stephen Hough, Gustavo Dudamel, Sir Simon Rattle or any one of a thousand internationally acclaimed core-classical musicians who have trained, sweated, worked, honed, polished, refined and slaved hours a day for decades to raise their talent to the level necessary to play at Salzburg, Verbier, the Proms, Carnegie Hall. No. A photoshopped, shiny-toothed, suntanned, faux-classical Frankenstein.
と、非常に厳しいことを書いている。
そこに名の挙がった「ニセのクラシック音楽家」が
キャサリン・ジェンキンス
アンドレ・リウ
アンドリュー・ロイド・ウェッバー
アンドレア・ボチェリ
・・・
みんな人気者だが、音楽はニセモノという論旨は
先月キャサリン・ジェンキンスを東京で見て思ったことと符合します。
クラシック音楽は絶滅しかけている。
才能ある若いアーティストはどうしたらもっと観客を呼べるだろうか。
大衆に迎合したら売れたけど音楽性は引っ込んでしまったという事なのであろう。
それは難しい問題だと思う。
クラシック音楽の行く末、先細り。
マーケティングできる人がこの分野の仕事をしないからではなかろうか。
マーケティングという考え自体がクラシック演奏家からは拒否されそうだが。
...
タイトル「ついに:クラシック・ブリット賞、クラシック音楽を冒涜」
At last: the Classic Brit Awards exposed as a sickening crime against classical music
クラシック・ブリット賞というのはこちら
毎年、クラシック音楽の優れたアーティストに贈られる賞。
ブリット・アワードのクラシック音楽バージョン。
注:クラシック音楽は英語では classic music ではなく classical music と言います。
クラシック音楽ファンて、世界中で激減しているようです。
コアなファンだけになってきている。
10年以上前(2000年頃)、ドイツに行った時CDショップに入ったらクラシック音楽のコーナーがどこに行っても非常に小さいのに驚いた事があります。ドイツなのに。どうしてかね、と現地在住のともだちに聞いたら「そこでいつでも本物が聴けるから」と、ドイツならどこの都市にもあるオペラ座を指差していましたが、クラシック音楽のCDコーナーにはお客がほとんどおらず、店員さんに自分が探しているCDを質問したらとっても親切にあれこれ教えてくれたのをよく覚えています。
【お客と話すのが嬉しそうでした】
で、この記事です。
中味は読んで戴くとして、
要旨は「これがクラシック音楽なのか?」
人気があってCDが売れる人をむりくりクラシックのジャンルに入れて
なぜこういう人たちに名誉を与えないのか
Not Claudio Abbado, Martha Argerich, Stephen Hough, Gustavo Dudamel, Sir Simon Rattle or any one of a thousand internationally acclaimed core-classical musicians who have trained, sweated, worked, honed, polished, refined and slaved hours a day for decades to raise their talent to the level necessary to play at Salzburg, Verbier, the Proms, Carnegie Hall. No. A photoshopped, shiny-toothed, suntanned, faux-classical Frankenstein.
と、非常に厳しいことを書いている。
そこに名の挙がった「ニセのクラシック音楽家」が
キャサリン・ジェンキンス
アンドレ・リウ
アンドリュー・ロイド・ウェッバー
アンドレア・ボチェリ
・・・
みんな人気者だが、音楽はニセモノという論旨は
先月キャサリン・ジェンキンスを東京で見て思ったことと符合します。
クラシック音楽は絶滅しかけている。
才能ある若いアーティストはどうしたらもっと観客を呼べるだろうか。
大衆に迎合したら売れたけど音楽性は引っ込んでしまったという事なのであろう。
それは難しい問題だと思う。
クラシック音楽の行く末、先細り。
マーケティングできる人がこの分野の仕事をしないからではなかろうか。
マーケティングという考え自体がクラシック演奏家からは拒否されそうだが。
...












