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リーベショコラーデ

thoughts about music and singers

銀座ヤマハホール 2013年5月28日火曜日19:00開演

初めて聴きますが日経CNBC「Save Earth」キャンペーンイメージキャラクタという触れ込みに興味が湧いて、彼女と二人で行ってきました。

CMに出ているそうですがテレビを見ないので見た事も聴いた事もありませんでした。

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先日「プロとアマチュア」の話を書きましたが、これから書くような事は誰も進んで書かないでしょうから私が書こうと思いました。

この人はソリストとしてプロで生きていけるとはとても思えませんでした。
速いパッセージは弾けるけれど運指が飛躍するようなフレーズの時は必ず音の冒頭が外れます。
音も濁っている。全曲で音を外しました。耳が音楽家の耳ではないような、自分の音を聞いていないような演奏者です。

写真で見ると20代そこそこですが、2001年(12年前)にザルツブルグ音楽祭コンチェルトソリストコンクール優勝と履歴に書いてあるのでジュニア時代の話でしょう。演奏していない間、司会の人が話しているとき髪をいじったりしていて現場に参加していません。人の話を聞いていない。マナーが無い。舞台人としてもまったく失格です。

なのに演奏が終わるとブラボーを叫ぶ男性も居て、これが日経CNBC(それが何なのか知りませんが日経グループだそうです)が採用するほどの音楽家なのかと、要するに今は「ビジュアルの時代」ですが、それは悪い事ではありませんがこの人はビジュアルだけで、テレビ映りがいいからと、音楽について何の趣味も無い日経CNBCの社員が選んだだけの人というのが感想です。

演奏者が期待はずれのことはちっとも問題ではないのです。
こういう人を名のある日本企業が選択する、という事の方に失望したコンサートでした。私たちの他にもアンコールを聴かずに会場を後にする人たちがいましたが、それはただ他の用事に急いでいただけかも知れません。

伴奏の光田健一という人は初めて聴きましたが、この方は素晴らしい演奏をしていました。彼女を紹介するときに思わず「のぞみちゃんは・・・」などと言っているので、アーティストとして対等に見ていない、子供扱いなんだなという印象を強くしました。育てようという気持ちが周囲にあるならもっと真剣にやったらどうなのか(日経CNBCさん)。でも本人が気にしていない、世界を目指すようなことは考えていないのであれば、少しのファンにブラボーを貰って幸せでそれでいいような気もします。才能に限界のある人にはそういう人生もあるでしょう。入場料がただでもこの演奏に残り少ない時間を使う気にはもうなれません。

※別に世界を目指さない人を批難する気持ちは全然ありません。


これがオペラだVIII 第一回 ガラ・コンサート 目黒パーシモンホールに続いて電車に乗って日暮里サニーホールへ「ヌーベルバーグ2013 PART1」を聴きに行きました。

ピアノ協奏曲(もちろんオーケストラ付き)が三本もあって+秋山ゆかりさんのソプラノ協奏曲もついてて4000円とはお得。曲目もよし。特にグリーグのピアノ協奏曲は生で聴くのは初めてでした。(冒頭部分だけ昔コマーシャルに使われていたので多くの人が出だしだけ知っている曲です)

プログラム:
竹内 佑子  ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」
秋山 ゆかり グリエール/コロラトゥーラ・ソプラノのための協奏曲 作品82
須永 萌子  グリーグ/ピアノ協奏曲 イ短調 作品16
林田 まどか ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18

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三人のピアニストはどなたも名前を知らない人ですが、どうも職業としてのピアニストというより「ピアノの先生」のような印象を持ちました。セミプロとでも言うのでしょうか。

プロとアマチュアの違いというものをよく考える事があります。
プロの定義にはいろいろありますが私はその一つに「自分の仕事の値段を言える事」と考えています。
「私がこれをするのはいくらいくらの料金を戴きますとはっきり金額を言える事」がプロ。

※他にも私の考える定義はいろいろありますが本日は割愛。

で、コンサートを聴いているときにもアマチュアとプロの違いをまざまざと感じる事がよくあります。なにが、どこが違うのだろう?と。

プロとアマチュアというのは、なだらかな上り坂を登っていって、ある標高を越えた時からプロになる、というものではない、と私は思います。プロとアマチュアの境には、越えられないに人はどう努力したって越える事ができないという壁があるように思います。プロとアマチュアの境目は断絶しているのです。

そこには《才能》というものが必要なのかもしれない。
表現の豊かな人は、そういう人間としての「引き出し」を必ず持っているように思います。そういう人は、付き合って話してみてもその人間性に魅力がある。引き出しを持っている人は魅力も多い。そういう人の演奏は、同行した女性の表現を借りますと『聴衆を巻き込む力がある』という事のようです。

たしかに、感動している時は演奏者に《巻き込まれて》います。
演奏者の次の音を待ちかねるように全身が耳になり、演奏者の繰り出す音や声を聴くほどに、次々に引きずり込まれ、打ちのめされ、時には涙も出てきます。もう、尋常な感覚ではいられなくなる。

そういう演奏者は滅多にいません。

本日のコンサートは、大変な練習をされて『やり遂げた』というご本人の感動が分かりましたが、それは「本人が自分のしたことに感動している」というものであって、感動している姿には感動しましたが演奏自体に感動できるものとは違う。難曲をこなした、それは素晴らしい事ですし努力に拍手を送りたいですが、これは「発表会」では無い筈。「演奏会」というものは別物だと思う。

グリーグのピアノ協奏曲を演奏した須永萌子さんは、別格に素晴らしかった。
聴衆を《巻き込んで》いました。この方はプロなんでしょうか。
(同行した女性も帰り道で同じ感想を言いましたので、あなたもそう思いましたかと言いました)


この主催団体の名前(東京国際芸術協会)を初めて知りましたが、
オーケストラの伴奏付きのソリストを公開募集しているようです。
そんなこと私もしてみたい!
もし関心がありましたらホームページをご覧下さい。
出演される時は一報ください。聴きに伺います。


目黒パーシモン小ホールに彼女と行ってきました。
ここは定員200名のホールです
《ホールの案内はこちら》

いきなり余談ですが、友人(在外のバイオリニスト)が日本でリサイタルしたいのでホールのリサーチをしてらっしゃるんですが、公共ホールというのはこのホール含めて六ヶ月前から《抽選!!》なんだそうです。
日本て、そんなに発表したい人がたくさんいるのか~とびっくりしました。
ということは、すべてのコンサートはそんなに前から計画しないと予定通り公開できない、ということなんだなと、皆さん偉いです。半年先の予定なんて私なんか生きてるのかどうかも分かんないですから。


さて、このコンサートの趣旨はたいへん良いです。曲目を見ても聴きやすいアリアばかり。ガラ・コンサートと銘打つにふさわしいです。
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200人という小ホールなのでお客さんは沢山は来ないんだろうとタカをくくって会場前のレストランで二人でカレーライスを食べて開演間際に入場したら最前列の二席しか余って無く、髙橋絵里さんを二メートルの至近距離で拝見する栄誉に預かりました。ニコニコ

文字通り、一席も空いていない満席です。おめでとうございます。
司会の松本宰二さんも「初めて経験しました」とわざわざお愛想を言っていました。

出演者を一瞥してお分かりかと思いますが、これはほとんど「二期会マイスタージンガー」の面子+数名です。で、メゾソプラノが欠けています。松本宰二さんは二度、「諸般の事情で今日はメゾソプラノがおりませんが。。。」と言っていましたが、おめでたい事でも公然とお祝いできない事情がこの業界にはあるのかと、彼女が出演できなかった事を残念そうに言う松本宰二さんの口調が私には寂しいものに聞こえました。

聴衆は比較的、若い人がいました。いつもの二期会コンサートのような白いお花畑ではなかった。これはご同慶の至りです。(二期会のファンではないけど)

なかでも同じアリアを三人のソプラノが競演するのは初めて見ましたが(聴きました、かな?)、とても面白い趣向でした。松本宰二さんのアイデアかな?
(ソプラノは髙橋絵里さん、松井美路子さん、三宅理恵さん)
こういうのはYouTubeに載せればいいのにと思うが、したくないそうで残念です。

ただ、少し物足りなかったのは本来の持ち歌ではない歌を他の歌手さんが歌った事です。(小さな事ですが、一緒に行った女性が初めて聴くのに『あの歌はあの人には合ってないと思う』と言ったので私もやはりそう感じるものかなと思いました)

松井美路子さんは初めて聴きましたが、よいお声です。連れの女性は一番気に入ったようです。

若い観客もかなり来ていたので、これがオペラ観客動員につながれば良いな、と思って次のコンサートに向かいました(この日は連チャンしました(笑))

■ 二期会マイスタージンガーの面子がほぼ揃っているのにコーラスが無かったのは惜しかったですが、趣旨からしてそれは仕方ありません。コーラスとしては彼らは日本の頂点にあると私は思います。

実は昨日2013.5.6月曜日 同じ玉川高島屋ショッピングセンターの催しで
南館6階 ホワイトモールという場所で行われたサロンステージにも行きました。

ホワイトモール、という場所を初めて見ましたが、本館一階のグランパティオと比べて非常に狭いスペースで、行ってみるとそこでは「面白写真展」をやっていました。

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家族連れが子供を面白写真の前に立たせて写真取ったりキャアキャアワイワイやっています。非常に狭いスペースです。

当然、コンサートするときはそこから人を出して、スペースの中央に音楽家を座らせて演奏させるものと思い込みました。演奏者はチェリストの水谷川優子という人です。

そうしたら、時間になったらチェリストが出てきて、モールの右側の通路上で演奏し始めたのです。

驚きました。

ホワイトモールには家族連れの子供たちがまだ写真を撮ったりして騒いでいます。音楽なんかかき消されて聴こえません。とてもチェロを演奏する環境などでは無いのです。


まったく演奏家が気の毒でした。玉川高島屋の社員は音楽家の気持ちなんかまったく分かっていない。上から言われたからそのとおり実行しているだけで、社員は音楽の事など何も考えていないのです。こんな会場で音楽ができると思ってるのでしょうか?


この場所で演奏させるという企画からして、玉川高島屋SCの浅薄さがあらわれている。
音楽をないがしろにするのもたいがいにしなさい。演奏家にもっと敬意を払え、と言いたくなりました。

音が騒音でかき消されてちっとも聴こえないのが気の毒で、一曲目が終わったときにすぐに会場を出ました。GFも「かわいそうね」とつぶやきました。日本の企業の芸術に対する姿勢がこんなにいい加減なもので良いのか、と腹の立った経験でした。

2013.5.6月曜日 玉川高島屋ショッピングセンター 本館一階 グランパティオ 無料
に行ってきました(本日)

二期会デジタリリカ【Digitalyrica】というのは初めて聞く名前ですが、強力メンバーです
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全詠玉(ちょんよんおぎ)・高田正人・井上雅人・彌勒忠史 エレクトーン清水のりこ

歌手さんは四人ともよく知っています
四人とも何度か聴いた事があって、初めて聴いたときから「この歌手は素晴らしい」と思った人ばかりです。その四人が揃うなんて、やはり有望な面子なんだと思います。ただし高田正人さんと彌勒忠史さんは有望と言うより既に声楽界のポジションを確立している人ですが、活動が若々しいという意味でやはり素晴らしいです。

歌は期待通り、また、全さんと井上さんは期待以上の歌唱だった。

全(ちょん)さんは二期会オペラ研修所第55期修了生 成績優秀者によるコンサート(2012.9.4)でも抜群に素晴らしい歌唱でしたけれど、この人は聴衆を引き込む歌い手さんです。音楽のコントロールが素晴らしい。音楽のコントロールとは何か、というと、譜面通り上手に歌うのではなく、「その曲を自分のモノとしている」「自分だけの世界を創っている」という事です。パフォーマンスしているのです。「ここをこう歌うからよく聴いてください」と、聴き手を引っ張りよせる魅力を持っているのです。譜面を再現しているのではなくて自分の歌を歌っているのです。

わたしはそういう歌手が好きです。それに加えて、全さんは歌っていないときの表情がまた素晴らしい。何も声を出していないのに、表情の変化に聴衆は目が釘付けです。全詠玉、ソプラノ、この方はこれからどんどん延びるに違いないと思います。


次に井上さん。聴くたびに良くなる方です。声が良い。声量が凄い。連れのGFも「素敵な声」と言いました。真摯な人間性がにじみ出る歌唱です。人間、真面目な人が結局伸びるものだと思う。この人の、歌への姿勢、真摯な歌う姿、歌唱を聴いて、何も残らない人はいないと思います。感動するような歌唱をする人というのは滅多にいません。すべてのバリトン歌手を聴いた訳ではないけれど、日本人のバリトンでは井上さんは図抜けて有望だと思う歌唱でした。

高田さんはベテランですから、得意のレパートリを余裕で歌ってました。ので割愛。
彌勒さんは本日はナビゲータ役だったはずなのに最後のステージのアンコールでなんと乾杯の歌を四人で歌いました。サプライズ。これが一番受けてましたかね。


さて、歌唱の満足度に比べてとっても気になった事があります。

デパートなどで無料で行われる声楽コンサートというのはあちこちであるらしいですが、実は初めて観ました。ひどいです。雑音が。

なにしろ周りはショッピングに来ている人たちですから子供は騒いでるしガヤガヤ場内はウルサいし、その為にPAが使われているのですが「生の声」の素晴らしさが殺されている。ひどいものです。ついたてをするとかできないものかと思う。これは「声楽に縁のない人でもフラリと訪れてその素晴らしい歌唱を聴いてもらって魅力を知ってもらう」という主旨で行われているから衝立ても何も無い、と言う事なのだろうと思いますが、その主旨は成功しているかどうかは非常に疑わしいと感じました。

何故かと言うと、コンサートが一日に三回、二時間おきに行われましたが、座席には荷物などが置かれていて同じ人が二時間後にまた同じ席に全員が座っているのです。つまり固定ファンが無料コンサートを知ってわざわざこれを聴く為に電車に乗ってやってきた、ということです。全員がそうです。フラリと立ち寄って座って聴いてみた、という人は一人もいない筈です。(席が空いてないんだもの)しかも、関心の無かった人がフラリと立ち寄って聴いても、いくら歌唱が良くてもこの雑音の中ではその素晴らしさを満喫できるかと考えるとそれは無理でしょう、分からないだろう。これはとても残念な事です。

★そもそも席を二時間前から荷物を置いて取っておく、という行為がズルイと思う。座って待つ人に限定したらどうなのか?メラメラ


もうひとつとても気になったのは、会場で座って聴いているのは年寄りばかりということです。推定平均年齢は60歳。二期会の新人コンサートでもびっくりしましたが、白髪の人が多いのです。これは、以下のどれが理由なのか?

(1)若いときから声楽が好きな人たちが年を取り、若い人に声楽が好きな人が生まれない為
(2)年を取らないと声楽を理解できない為
(3)声楽のコンサートが面白くないので若い人が興味を持たない為
(4)声楽のコンサートの切符が高くて若い人は聴く機会が少ない為

お気づきかと思いますが、若い人にも無料で聴く機会を与えるという主旨がこのデパートあるいは二期会にあったとしても、本日の成果を見れば一目瞭然、それは失敗しているのです。

やはり、本物の良さを伝えるには無料でこんな雑然としたところでPAを使ってやるという方法では不可能だと言わざるを得ない。この無料コンサートが二期会としてのプロモーションのつもりなら、こういうやり方は間違っていると思います。

若い観客層を掘り起こす方法、それを実行しないと声楽家の将来は先細り必至です。観客を見ればそれは必然でしょう。危機感が無いのか?二期会。

一番拍手が大きかったのが年配の婦人たちが高田さんにしたものだった事が、この催しを象徴していました。


★若い男性がこんなに美人の全詠玉さんを見に来ない、若い女性がこんなに素晴らしい井上雅人に拍手をしに来ない、そういうのはおかしい、と思わない主催者に未来を託さなければならないのは気の毒だ、と思いつつ買い物をして帰路につきました。




塩谷裕子(しおやゆうこ)さんのソプラノを聴いてこの歌について
一緒に聴いたGFと長い話をしたので書きます


この日本語のタイトルはVissi d'arte, vissi d'amore,を訳したものの筈ですが
歌に生き、恋に生き
ではないと思う。
そういうタイトルだとラヴソングだと勘違いしませんか(しました)
聴いてみると歌詞が分からなくても悲痛な歌だと分かります
マリア・カラスが歌うのを初めて聴いて以来、何度聴いても心を揺さぶられます



Vissi d'arte, vissi d'amore は、arteが英語のArt、amoreが愛ですから
私は芸術に命を捧げ、主への愛に生きてきました
がより原意に近いのです。(それなのに~と歌詞は続きます)

このアリアは、
「反逆罪で捕えられた恋人の助命を請う歌姫トスカに、ローマの警視総監スカルピアは、彼女の身体を代償に要求する。切羽詰まったトスカが、絶望の想いを神に訴えて歌うのがこのアリアである」
・・・高橋光太郎ピアノリサイタル ゲスト塩谷裕子 Vol.10 プログラムノートから引用

「勝気なトスカの極限の精神状態からしぼり出される慟哭と祈りの旋律は、聴き手のみならず、多くの歌手の心をつかんで離さない。」・・・同 引用

途中何度もperché, perché, Signore,と繰り返されるのが聞こえると思いますが、これは
「何故、どうして私がこんな仕打ちに遭うのですか、何故ですか主よ」なのです

そういう歌なので、尋常な精神状態ですぐに歌えるような歌ではありません。しかも、トスカはこの歌を歌った後にスカルピアを刺し殺すのです。。。



さて長く話した話題は何かというと、この「身体を要求される」のがなぜイヤなのか?なのです。

なぜイヤなんだろう、とよく考えた事がありません。
ただ「屈辱だから」とか「好きじゃない人とセックスしたくないから」なんだろうと漠然と思ったまま深く考えた事が無い。女性にその理由を訊いた事もありません。
だから訊いてみた。


長くなったのでまた続きは後日。


高橋光太郎さんのピアノリサイタルに行ってきました(2013年4月7日 日曜日)
ゲストはソプラノ 塩谷裕子さん

このコンサートは素晴らしかった。
久しぶりに「大人の休日の過ごし方」を味わいました。

こういう音楽をやってくれるまだ未知の人がたくさんいるんだろうなぁ。
このお二人をご存じない方で大人の方(18歳未満には違いがまだワカランと思う)には
是非お勧め致します。同じプログラムが4月30日盛岡市民文化ホール18:00からあります。

プログラム(☆印はソプラノ歌唱)

シューベルト 即興曲 変ト長調 D899 作品90-3
シューベルト 即興曲 変ホ長調 D899 作品90-2
☆ドナウディ ああ、愛する人の
☆ヴェルディ オペラ「運命の力」より『神よ、平和を与えたまえ』
ショパン   ピアノソナタ第2番 変ロ短調「葬送」作品35

休憩

ブラームス  間奏曲 イ長調 作品118-2
ブラームス  奇想曲 ロ短調 作品76-2
リスト    ハンガリア狂詩曲 第2番 嬰ハ短調
☆プッチーニ オペラ「トスカ」より『歌に生き、恋に生き』
☆プッチーニ オペラ「蝶々夫人」より『ある晴れた日に』
ショパン   ノクターン 変ニ長調 作品27-2
ショパン   ワルツ 変イ長調 作品34-1『華麗なるワルツ』
ショパン   ポロネーズ 変イ長調「英雄」作品53

アンコール

☆シューベルト アヴェ・マリア
ショパン ワルツ 作品64-2
ショパン エチュード ハ短調「革命」作品10-12
ショパン エチュード ホ長調「別れの曲」

これだけの曲を小ホールで間近で2000円で見れてしまうなんて・・・幸せ過ぎドキドキ
演奏も素晴らしかったです ・・・どこが、を書かないといけませんね


まずソプラノの塩谷裕子さん、初めて見ましたが
こんなに気品のある歌手は日本人では初めて見ました。

気品。

それは人格から滲み出るものであって
練習や修練や努力で身に付くものではないと思う。
それは生まれつきの手の形と同じようなものだと私は思います。
(私は残念ながら手の大きな女性からは気品を感じることができませんゴメンナサイ)

舞台に出てきたときから既に気品が漂っている。

声がまた気品がある。「よく通る声」をしていらっしゃる。

よく通る声、という形容をこのブログでは初めて使いましたがそれは「声量がある」というのとは全然違うものです。声量とはボリュームのことです。大きさと長さで計る事ができます。「よく通る」というのは何で計れるのか私は分かりませんが、ウグイスの鳴き声のことだと思って戴ければ分かりやすいと思います。鶯の声というのは遠くにいてもよく聞こえるでしょう?すごくよく聞こえます。あれは声量があるとは言わないでしょう。「よく通る声」なのです。この方はそういう声をしていらっしゃる。

年齢的には40歳ぐらいかと思いますが二期会の人ではない感じがします。この気品。別の世界のものを持っている。
経歴を読むと日本歯科大学卒と書いてあるからほとんど間違いなくこの人は歯医者さんでしょう本業は、というか職業は。普通の人では無い感じがとってもします。
ここかな?

歯医者で歌手さんなんて、かっこ良いです。素晴らしい事です。異なる分野の知見があってこそ表現や理解に幅が生まれるというお手本のような歌唱を聴かせて戴きました。また必ず伺いたいです。


さて、ピアノ。

実は高橋光太郎さんも初めて聴きました。
良いです。東京学芸大学ピアノ専攻ということは先生なのかな。暖かい、優しい人柄が溢れています。
タッチが柔らかくてこちらも上品です。打鍵というよりなぞっているだけで音が出るという感じ。優美という形容があっていると思う。
ショパンの曲は比較的やさしいので同級生やら親戚の女の子やら矢鱈に聴く機会がありますが、私はショパンは男性が弾く音楽だと常々思います。優美さがあるけれども、これは男の音楽なのです。それを理解している人はアマチュアにはとても少ない=女の子がたくさん弾いているけれどそれはあなたの音楽ではない、と思う。私の好きな女性のピアニストはショパンなんか弾きませんもの。(ピリスの弾くベートーベン『月光』が妙に気持ち悪いと感じる人は私と感性が同じ筈です)グールドだって、ショパンだけは例外的に弾いているのも「これは男の音楽だ」と思ったからに違いないと私は信じています。リストなんか弾かずに死んだんです。

ということで、久々に聴く「男性の弾くショパン」を何曲も聴かせていただいてとっても満足しました。
念のために書きますが決して高橋光太郎さん自体が「男性的」なんじゃないですよ。
この方は優美なやさしい人柄の方だと舞台姿が言っています。

次回は7月21日日曜日に塩谷裕子・高橋光太郎 Duoリサイタルを同じ横浜みなとみらいホールで予定されています。是非お出かけください。

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なお、今回のブログラムで塩谷裕子さんはトスカの「歌に生き、恋に生き」を歌いましたが
この歌についてGFと二人で長く語ったんですがその話はまた後日します。



あと、アンコールをたくさんやってくれて、有り難うございました。
どちらかというと拍手に乞われてではなく、ショパンを弾いて興が乗って弾きたくて弾いちゃった感がありましたが(^^; 「革命」を演奏したのは少し気持ち的にキツかったです。せいぜい「子犬のワルツ」かせめて「幻想即興曲」・・・なんかあの流れでは弾きませんよねやはり。(笑)









大網かおりさん(ソプラノ)が出ると聞いて暴風雨予報の中、神奈川県立音楽堂まで
GFと出かけてきました。

詳細はこちら

※結局暴風雨は空振り

大網かおり、船越優と聞いてどこかで聞いたような・・・
と思ったら玉露さんのブログでした。
(今見てみたら大網さんご本人がコメントされてました!びっくり!!


円 混声合唱団というのは全く知りませんでしたが
かなりのお年寄りのアマチュア合唱団でした
男性の平均年齢は65歳くらいか・・・?

そのゲストに若い歌手さんが呼ばれて客演という趣旨はなかなか良かったです
若い人に伝統をつないで行かなくちゃね。自分たちの楽しみというだけでなく。

大網かおりさん、船越優さんのほかに男性の客演は二人出てきましたが
男の声楽家というのも歌で食べていくのは大変じゃないかな~と申しましたら
GFは
「数が少ないからポジションを取れば重宝されて案外食べていけるのではないかしら」
「バレエの世界も男性は少ないけど同じですし」
「この合唱団も男性の数が少ないですよね」などと言うので
なるほどそうなのかも知れませんと納得しました。


大網かおりさんは拝見するのは三度目。フラスキータで注目して
二期会オペラ研修所第55期修了生による二期会新進声楽家の夕べ で見て
この子は伸びるビックリマークと確信しています。「絶対音感を持った歌うお人形さん」と巷では呼ばれているようですがピッタリの可愛らしい人です。本日は最前列で拝見しました。

大網さんは四人の客演のトリで登場。歌唱前の数秒、集中していく様子がよく分かりました。
歌唱はやっぱり素晴らしかった。リゴレットから「慕わしい人の名は」
この歌は生で初めて聴きましたが、難しい歌をよくも選んだ意気が良いです。難曲です。

この方、ずいぶん柔らかい声質なのを気がつきました。今まで聴いたのは歌い上げる曲だったからか
今日のは声を色も量も自在に変えて柔らかくコントロールしているのが感じられました。
この人は伸びます。意思も強そうだし、運を持っている人だと思います。

頑張れ!

※この歌唱も大網かおりさんだそうです。

鷲尾麻衣さんが出るのでGFと二人で観に行ってきました。

東京芸術劇場って、建物に入ってから客席に着くまでが大変です。
延々とエスカレーターで登って、チケットを出してからまたエスカレーターで登って最後は階段を上がらないと席につけません。火事で退避するときは大変な作りになっている。あまり通いたくない劇場です。

客席がまた面白いデザインで、となりのブロックの客の顔がまったく見えない。
お忍びでデートなどには良いかも知れません。


カルメンというオペラは、ストーリーは万人向けとはとても言えない殺人事件の物語ですが、出てくる音楽は「この曲は聴いた事がある」という曲がどんな人でも10曲は出てくる名曲のオンパレードで、全部を見ると三時間かかりますが初心者でも飽きない名作です。という事でオペラを観た事が無いというガールフレンドを誘って行きました。

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感想ですが、プログラム・ノートの内容がまず素晴らしい。

カルメンの時代背景というのがよく書かれていて、カルメンがヴェリズモ・オペラの走りかと思っていたのが誤解だと分かりました。カヴァレリア・ルスティカーナだって文学者に言わせればまったくヴェリズモではない、と大隅智佳子さんが言っていたのを思い出しました。つまりどっちもヴェリズモなんかではない、という事です。このプログラム・ノートは一読をオススメします。ここで全文を読めます。

しかし、

「なぜ舞台をフィリピンにしたのか」という解説は納得の行く内容ですが、
実際舞台を見てみると「これがフィリピンを舞台にしている」という印象がなく、
今まで観た「日本人による歌劇カルメン」と何も違いが分かりませんでした。
プログラム・ノート負けしています。

舞台中央に字幕の塔を立てたのは非常に見やすくて良かった。
しかし字幕が違和感あり。

「見張りの兵隊 まじでウザイぜ」は雰囲気ぶちこわしてます。


ドン・ホセの役柄って、今までの印象だとカルメンとは釣り合わない器の小さい人物で、カルメンが逃げる為に利用しただけ、のように思っていましたが、今回のドン・ホセ【ロザリオ・ラ・スピナ】はパヴァロッティ並みの巨漢で、連れの女性は「カルメンは強い人を求めているんだ」という解釈を第二幕の後で言っていましたがそれを納得させる体躯をしていてホセ像を改めました。実際、カルメンはその後闘牛士のエスカミーリョに乗り換えますから、「強い男を求めているんだ」という連れの女性の解釈はまさに正鵠を穿っているなぁと感心しました。


しかし、


お目当ての鷲尾麻衣さん(フラスキータ役)は演出の所為でまったく目立つ場面が無く、それはメルセデス役の鳥木弥生さんも同じで、あまり重要な役回りを与えられていなくてがっかりしました。
それを思うと市民オペラ2012年6月10日(日)カルメン@綾瀬市文化会館大ホールのメルセデスとフラスキータは個性を十分出していて遥かに良かったんだなぁ、と思いました。




また、ミカエラのアリアもこの作品の聴き所ですが、小川里美さんの歌って、今月オペラ「KAMIKAZE-神風-」でも聴きましたが絶叫的なんですね。テクニックはあるのでしょうけれど心に響いて来ない。そこへいくとやはりカルメン@綾瀬市文化会館大ホールのミカエラ(大隅智佳子さん)は日本人では別格に素晴らしい歌唱だったんだなぁ、と思いました。




カルメンが最後に殺される時に両腕を開いてナイフで刺されるのを受ける、という演出は良かった。そういう演出は初めて観ましたが、カルメンの強い意思を現していて涙を誘いました。

となりの彼女とも話しましたが、「女性は一度切れた男とは、絶対によりは戻らない」それを誰かがホセに早く教えてやれば良かったのに・・・・というのがこのオペラの教訓です。

チケット代はこちらがS席13,000円、市民オペラ@綾瀬市文化会館がS席5,000円でしたが、作品の出来は市民オペラの方が素晴らしかった。改めてあの日の事を思い出しました。

2013年2月3日(日)14:00-17:00 東京文化会館

SS席25,000円を(なんという値段!)3,000円で入手したので行ってきました。

「第二次世界大戦で亡くなった全世界の人々に捧げる」
「原案・原作 堀 紘一」

という点に不安を感じつつも、

神崎光司少尉 : ジョン・健・ヌッツォ
土田知子 : 小川里美
木村愛子 : 小林沙羅
という、名前は何度もあちこちで見かけるけれど聴いた事の無い三人を観てみたくてでかけました。


ストーリーは神風特攻隊員の出撃までのお話し。
堀 紘一に特攻隊の話しが書けるはずが無い、と思いましたが予想通りの内容でした。

どうも日本人てお涙頂戴指向なんだなぁ・・・これは紅白歌合戦と同じ演出で、特攻自体の背景や思想やなにが一番いけなかったのかという日本の歴史に対する分析が全部すっとばされて「一市民は無力で可哀想だった。お涙頂戴」というストーリーにはまったく共感できませんでした。「第二次世界大戦で亡くなった全世界の人々に捧げる」などと謳っているが世界になどまったく通用しない独りよがりの自己満足の世界でしかないと思います。

オペラの感想なんて要するに「好き嫌い」の表現であって「善し悪し」など誰にも語れるものではないというのが私の考えですが、このオペラは好き嫌い以前に「お金払って観るものではない」というのが感想です。嫌いじゃないです。嫌いになる気もしない、ということです。

そもそもオペラって、ストーリーなんかどうでもよくて歌さえよければOKというものが多いですが(ドン・ジョバンニとかフィガロの結婚とか不倫ものは大嫌い)私は『特攻』のことは若い時、特攻隊員と同い年の頃にずいぶん研究した事があるのでこんな子供騙しの御涙頂戴ストーリーにはまったく許せない気持ちがしてなりません。ここは戦史の話しを書く場所ではないので掘り下げませんが、テーマにするのなら普遍性のあるものを追求するのが制作者の社会に対する責任ではないのか、お金かけてこんな内容なのか、と腹が立ちました。英霊がこれを観たら喜ぶでしょうか?自分たちの苦悩はこんなものではなかった、と思うに違いありません。



オペラの内容の批判は読んでも気持ちの良いものではないのでこれくらいにしておきますが、批判ではなく、とっても気がついた事を少し。少しだけ。

日本語のオペラって初めて聴きましたが、違和感がありすぎます。ヨーロッパの言語って、発音の基本は強弱ですが、日本語は抑揚ですよね。だからメロディーが単語の抑揚と合っていないと何を言っているのかが分かりません。その所為だと思いますが、日本語のオペラなのに日本語字幕がついていたのはなんだかなぁと思います。

途中、「同期の桜」が何度も挿入されますが、あれは聞き慣れているせいか、違和感無く聴けるのであの歌ばかりが印象に残ります。他のアリアはほとんど「何を唄っているのか分からない」のです。

困りました。字幕を追いかけていると歌に集中できないし、歌の意味が分からないと感動もできません。歌手は上手いのに。

あと、演出上で目を見張った(説得力があった)のは、特攻隊の恋人と過ごすのはこれが最後というときに、彼女のほうが「抱いてくれ」と言うのです。舞台には布団が敷いてあります。ベッドシーンならぬ布団シーンを展開か、というのは澤村翔子がアルフィオの上に股がった「カヴァレリア・ルスティカーナ」以来の仰天演出でしたが、人間、死ぬ前になにを一番したいかと言ったらセックスだろう。そこは奇麗ごとでなく演出に持っていったのは偉い、と思いました。ただし、演出で関心したのはそこだけです。結局ベッドシーンは無く、彼女は布団の中で一人で寝てしまい、男が独唱して終わりでした。


目当てにした三人の歌手は上手いけれど、カリスマ性が足りませんでした。
ジョン・健・ヌッツォ と小川里美は美男美女だけれど、演出が宝塚かミュージカルかという物の所為でオペラ歌手ではなくて学級委員長のようです。優秀だけれど魅力が感じられない、ということです。(私的には、です。嫌いという意味ではありません。好きになれない、というだけです)
小林沙羅は、上手い、可愛らしい。おじさん層のアイドルなのだろうという気がしました。別の売り方をした方が(売り方が現在あるのかどうか知りませんが)もっと世に出る人だと思います。映画女優にでもなったほうが向いているのではないでしょうか。


感動の一切得られない観劇でした。



$リーベショコラーデ