モーツァルト・オペラ・アリアの饗宴
横浜みなとみらい 大ホールに行ってきました☆
指揮は沼尻竜典さん
管弦楽は トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ
トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズというのは
沼尻竜典さんの呼びかけで1995年に結成
「ラ・フオル・ジュルネオ・ジャポン」にもメインオーケストラのひとつとして
出場しているそうです
まず良かったのは第一部モーツァルト・オペラ・アリア・ガラの
トリを唄った田島千愛さん

うまいな~


"「どんな拷問が私を待ち受けようとも」は『後宮からの誘惑』の主役コンスタンツェが唄うもので、長い前奏を持ち、演出を伴う上演の場合は、舞台上でここをどう見せるかが演出家の手腕の見せ所であり、プリマ・ドンナ役に当時課せられていた全ての技術が動員される難曲です。"
以上はプログラムノートからの引用
これが本当にうまく唄えていた

パンフレットに思わず忘れないように○をつけてしまいました☆


休憩20分のあとコンサート形式のカヴァレリア・ルスティカーナ
サントゥッツアの澤村翔子さん、なんかダントツに輝いている

サントゥッツアがこんなに美人で良いのか

おまけに歌が上手過ぎる☆
パンフレットに思わず忘れないように○をつけてしまいました☆

このプログラムノートに青島広志さんが大変面白い事を書いています。
全文引用
【第2部 カヴァレリア・ルスティカーナ】
今でこそ、オペラ歌手は眉目秀麗でスタイルもモデル並みになりましたが、
それでもなお、どうして?!と呟きたくなるような人が出演していることがありますね。
(私は、今回の歌い手さんは、一人を除いては存じ上げないので気にしない!)
もちろん声の良さが他の要素をカバーしているからなのでしょうが、その理由の一つに、
このオペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ』の存在があるのです。
19世紀後半には現実主義(ヴェリズモ)と呼ばれる表現方法が、文学・美術に流行しました。
その影響を音楽も受けたわけです。それまでの芸術は絵空事で上品、鑑賞者に夢を売るのが第一の務めだったのですが、ここで一転して社会の悲惨さ、人間の醜さを誇張して示すようになったのです。
これは、それまで芸術とは縁の無かった層の人をターゲットにし始めたことによるのでしょう。
赤貧洗うが如しの生活をしていた人が、やっとおぺらの券を手に入れて劇場にやって来たとする、そこの出る役が王様や貴婦人、女神だったりしたら自分の境遇と比べて落ち込んでしまうに違いないのです。そうしたお客さまを繋ぎとめるためには、更に悲惨な状況を見せることなのです。
『カヴァレリア・ルスティカーナ』(1890)の女主人公(ヒロイン)・サントゥッツァは、美しくないために長いこと彼ができず、やっとのことで獲得したトゥリッドゥも、おそらく醜女の深情けがあまりに昂じたために、すぐに失ってしまいます。諦めて他を探せばいいのに、あまりに執着するものですから、トゥリッドゥは美しいローラを愛してしまいます。たまたまローラが蹄鉄屋で勇み肌のアルフィオの妻だったものですから、不倫ということになり、トゥリッドゥとアルフィオは決闘し、結局サントゥッツアは永遠にトゥリッドゥを失ってしまうのです。
筆者も幼い頃、「結婚するなら顔の良くない女の人とするんだよ、心が美しいから。」と祖母に諭されたことがありますが、それが嘘だということ位、55歳になった今では解っています。顔の悪い人は世間から爪はじきにされるので、得てして心まで悪くなってしまうものなのです! サントゥッツァは人妻の夫アルフィオに会ったり、元恋人の母親ルチアに頼んだりと様々な策を練りますが、全て徒労に終わります。口から出まかせの嘘をつくのですから当然でしょう。彼女の与えられたアリア「ママも知るとおり」の歌い納めの恐ろしさは筆舌に尽くし難いほどで、海女さんが空気中に出て息をするほどの現実感があります。
このオペラで誰が聞いても美しいのが合唱曲「オレンジの花は香り」と間奏曲ということも、このオペラの特殊なところです。
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しかーし、

今回の演奏会に出て来たサントゥッツァ(澤村翔子さん)は、
美しくて眉目秀麗でスタイルもモデル並み身長は165cmはありそう...
ではありませんか

サントゥッツアのイメージが、イメージが、、、醜女とはどうしても覚えられない

今後『カヴァレリア・ルスティカーナ』を見る時、今回の強烈に美しく可憐なサントゥッツァを忘れることは到底できそうにありません☆
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