おはようございます

ずいぶんお待たせしました
月末月初は本業が忙しく、新しい役を頂いた忙しさもあり、(今書いても楽しくないだろうな)という感じだったので、更新がのびのびになってました

すみません、いい訳です。


さて、気を取り直して…
前回
の続きです。

飽きっぽい僕が「ただ歩くことはどうしてこんなに続くのか」の、もう一つの理由


歩く時間が僕にとってどんな役割になっているのか、という話を今回はしたいと思います



ただ歩くことが続く理由は前回いくつかお話しましたが、あともう一つあります

それは

何も目的を決めていない時間が自分を整える時間になっていたから、ということです

何もしない時間
本来の自分、肩書きや役割も何もない「ただの自分」

毎日「普段の自分」で過ごしているつもりでも、気がつくと自分の役割を演じているんだと思います

そこから解放というのも違うし、自分に戻るというのも何か表現が違うと思うのですが、自分をわざわざ意識しないけど自分の居心地の良さをただ感じるみたいな

なんだか言葉で表現するのが難しくて伝わらないですねコレ💦

でも、そんなことを感じ始めたコロナに、仕事の研修で同じような話があり、何もない時間が自分を整えてくれ、その結果、自分の力がしっかりと発揮できるという情報が入ってきました

おおー✨
自分の方向性は間違っていないのだと再確認!

そこから意識して何もしない時間を大切にしようと心がけていますが、これが中々難しい

純粋にやらなければならないこと、やりたいことが溢れているのでついつい何かやっちゃう、何か考えちゃう

子どものことが絡むと自分のタイミングでは、何もしない時間を取れなかったりします

まあ焦ってやるものでもないので、平日の仕事の休みの日なんかにそういう時間を取ったりしています

公園でただのんびりとか

面白い話ですけど、本当になーんにもしない、なーんにも考えない時間を持つと、何かしたくなる、アイデアが湧いてきたりするんですよねー

本当不思議

まとまりがつかなくなりましたが、何も考えずにただ歩く🚶‍♂️ことが自分を整える時間になっていたり、役割や立場ではなく自分が自分でいる時間があることで、人や仕事の繋がりもより楽しめたりする、いい循環が見つかったというお話です✨

なーんか、感覚的すぎて上手く伝わらないですが、こんな感じで勘弁してください

さー、今からのんびりするぞー


それではまた✋