釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -157ページ目

原始経典に見る密教の起源(長阿含「大会経」その2)

先日、現代語訳「長阿含」の第19経「大会経」を読んで、
お釈迦さまが呪文らしきものを唱えているので驚いた、
ということを書きました。

http://ameblo.jp/nibbaana/entry-10625569804.html


この「大会経」のことを調べたら、
どうも後々の密教に繋がる重要なお経のひとつらしいのです。

私自身は、基本的に合理的な原始仏教が、
どうやって呪術的な密教に繋がったのか?ということがひとつの疑問でした。


仏教の最終形態と言われる密教ですが、
原始仏教の経典「阿含経」に、やっぱり萌芽があったらしく、
その一つが「大会経」と見られているそうなのです。


以下、興味のない方にとっては全然つまんないメモです。
(『現代語訳 阿含経典 長阿含』4巻、中村元監修『新・仏教辞典』etc.より)


法蔵部=初期仏教が分裂した20部派のうちの一つ。
    漢訳「阿含経」は、いくつかの部派が持っている経典の
    ツギハギで、「長阿含」は法蔵部所属のもの。
    法蔵部は仏滅後300年後に化地部から分裂した。
    教義はのちの大乗仏教に繋がる要素を持っていた。


呪蔵= 分裂した各部派はそれぞれの経典を持っていた。
    一般には三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)のセットだが、
    法蔵部はこの3つ以外に、呪蔵・菩薩蔵もあって「五蔵」だった。

    (呪蔵ってなに!?
名前からしておどろおどろしいが、残ってないみたい)

    大会経で音写の文を「呪」と呼ぶことは、呪蔵と関係がある、
    と見られている。


密教の起源=この漢訳「大会経」に対応するパーリ語仏典Mahasamaya-suttanta   

    と、密接な関係にあるAtanatiya-suttanta(アーターナーティア経:漢訳なし)
    は、後の密教経典の起源となったものとされる。
    特に後者から「孔雀明王経」や「毘沙門天経」などの密教経典が
    成立したことが論証されている。


パリッタ経典=
    アーターナーティア経は、鬼神をはらったり病気治癒の祈祷に用いられる。
    原始経典には、このような護身などの詩を備えた経典群があって、
    スリランカなどの仏教徒は、今でもこれらを「パリッタ(防護呪)」と称して
    唱える儀礼を行っている。



原始経典や南伝仏教=合理的で、祈りや呪文に対してはアンチ

だというイメージを持っていたのですが(そう書いてある経典もある)、
話はそう単純ではないようです。


たまたま古本サイトで『密教成立論 阿含経典と密教』(金岡秀友著、筑摩書房、1981年)という本を発見したのですが、これを読むとその辺のことが書いてありそう。
そのうち読んでみよう・・・。
でも、私の仏教学習は、生きているあいだに密教までたどりつくのだろうか。


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いかにも密教!孔雀明王(京都・仁和寺)

ニーチェ御大、仏陀を天才と呼ぶ 『悦ばしき知識』

ニーチェの本が、またも売れているようですね。
ベストセラー『超訳ニーチェの言葉』は、内容もさることながら、
版元の販売戦略がとてもドラスティックなので、他社で出しても
売れなかった気がしますが・・。


わたしは、ニーチェの著作は2冊ぐらい挫折して諦めた組ですが、
仕事上の必要があって『悦ばしき知識』を買いました。
これ、おすすめです。
短い断章を集めたもので、他のよりはわかりやすい。
有名な「神は死んだ」も、これに出てきますし。


ニーチェは、仏教にシンパシーを持っていましたよね。
オルデンベルグ著の釈尊伝『仏陀』を読んでいたそうで、
ニーチェの「永劫回帰」は、仏教の輪廻観も影響している、とよく言われます。


手元の『悦ばしき知識』の中で、お釈迦さまが出てくる節をメモしました。
メモるだけで、解釈はせず。ニーチェ諦め組がおこがましいですから。


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宗教の起源について。

――宗教の開祖らの本来の発明に帰せられることは、

第一に、意志訓練の効果をもたらすと同時に倦怠を除き去るような、
一定の生活法や日常習慣の方法を拵えて(こしらえて)やることである。


次には、こうした生活に一つの解釈を与え、
それによって生活が至上の価値にくまなく照り輝いて見えるようにさせ、
かくして今や生活をば、
そのために人々が闘いもし場合によっては生命を投げ出しもするような、
一個の貴重物にしてしまうことである。


(中略 ここでイエスについての言及があり)


同様に仏陀も、こうした種類の人間たちを、
つまり怠惰のゆえに善良で温順な(とりわけ叛意のない)、
同じく怠惰のゆえに禁欲的でほとんど無欲の状態で生きている人間たちを、
しかもそれが彼の種族のあらゆる身分と社会階層にわたって
散らばっている様を、見出した。


こうした種類の人間たちが、その否応ない「惰性の力」によって、
どんなに不可避的に、浮き世の憂苦(すなわち労働や営為一般)の
輪廻を防止すると約束するような信仰へと、
転がり込まざるをえないかを、仏陀は理解した、
――この「理解」に、仏陀の天才があった。


自分たちが同類であることを未だ認識していなかった人間たちに
共通な一定の平均的心性について、間違いない心理学的な知識を
もっているのが、宗教の開祖の特徴である。
宗教の開祖とは、こういう人間たちを糾合する者なのだ。


(『悦ばしき知識』ちくま学芸文庫 信太正三訳 P389~390)

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それから、こんな記述も。


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薫香。――仏陀は言う、「汝の施与者におもねるな!」
この金言をキリスト教の教会の中でも倣い誦するがよかろう。
たちどころにそれはあらゆるキリスト教的なものの空気を浄化する。

(同上。P233)
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南伝仏教の出家僧の律では、今でも、托鉢で食物を施してくれた人と
目を合わせてはならず、お礼を言うなどもってのほか、らしいです。
感謝も執着のひとつだから。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~
ニーチェ全集〈8〉悦ばしき知識 (ちくま学芸文庫)


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仏教学者陣による仏像の入門書『仏像散策』

先日、神保町を歩いていて、
東洋美術・仏教美術の古書店「風月洞堂」にふらっと入りました。
http://huugetudo.cool.ne.jp/
専門的な美術書がたくさんあるなか、とりあえず軟弱に安価な入門書を買いました。
『仏像散策』(98年、東京書籍)という本。
中村元氏の編著で、複数の仏教学者が書いていて、なかなか面白かった。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~


最近、仏像ブームだとかで仏像入門書がいろいろ出ていますが、
美術研究者や仏像ファンが書いたものが流行っていますでしょう。
不満だったのは、その仏像なり絵画の出典となるお経が何か?
が書かれてないことでした。
仏教美術って基本的に、お経の実写版という面があるから、
ネタ元が書かれてないと何か気持ち悪いんですよね。

『仏像散策』は立ち読みしたら、ちゃんとそれが書いてあったので買ったのです。


日本にはいろいろな仏像があるけれど、


・原始経典にのっとった実在のもの・・・釈迦如来像、十代弟子など
・インドの神話・ヴェーダの神が仏教に取り入れられたもの
             ・・・帝釈天(インドラ)、梵天(ブラフマン)など天部が多い
・初期大乗仏典にのっとったもの
             ・・・浄土教の阿弥陀如来とか、法華経の各種観音菩薩とか
・後期大乗=密教仏典にのっとったもの
             ・・・大日如来や不動明王や曼荼羅


これらが、ごっちゃに並んでいるわけですよね。
私も仏教の本を読み始めるまでは、何が何だかわかりませんでした。

そういう観点で頭を整理するには、『仏像散策』は良書でした。
もう絶版ですが、アマゾン中古で200円台で買えます。



釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  この本に登場した鎌倉・東慶寺の水月観音が見たい・・。

                         予約しないと拝観できないそうです。


そうそう、仏像の白眉ともいえる観世音菩薩は、

法華経の第25・観世音菩薩普門品にズラズラと登場するのですが、

この普門品はもとは「観音経」という独立したお経だったんですってね。

法華経を書いた人たちが、「これはいいお経だ」ってんで、
法華経に吸収合併したのだと、『仏像散策』に書いてありました。
編集者としてグッドアイデアでしたね。


梵名は「アヴァローキテーシュヴァラ」ですが、
玄奘は般若経で「観自在」と訳し、鳩摩羅什は法華経で「観世音」と訳しました。
結局「観音」が愛されたので、これに限れば鳩摩羅什のほうが名訳だったわけですねえ。といったことも書いてありました。



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