釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -156ページ目

ホーキング新刊「宇宙誕生に神は必要ない」


昨日の新聞に、こんな記事が出ていました。


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「宇宙誕生に神は不要」 ホーキング博士ら、新刊で主張


【ワシントン=勝田敏彦】英国の著名な理論物理学者スティーブン・ホーキング博士

らによる宇宙論の新刊「ザ・グランド・デザイン」が7日、発売された。
この本でホーキング博士は「宇宙誕生に神は必要ない」と主張。
創造主の存在を前提とするキリスト教の指導者らから批判も出ている。


 物理法則には、「出来すぎ」と思える偶然の一致のようなものがいくつも

見つかっており、ニュートンら著名な科学者には「宇宙は『神』によって

絶妙にデザインされた」と考える人もいた。


これに対してホーキング博士らは、宇宙は「無」から自発的に生まれると

考えてきた。
新刊では、量子力学に重力理論を組み合わせた研究成果から、
「出来すぎ」に見えるものは「創造主なしで説明は可能」で、
宇宙誕生の大爆発ビッグバンも「神に点火してもらう必要はない」とした。


 しかし英メディアによると、宗教指導者からは異論も相次いでいる。

英国教会を指導するカンタベリー大主教のローワン・ウィリアムズ氏は、
宇宙の中を説明するために人は神を信じるわけではなく、
物理学は物事が存在する理由を説明できない
という趣旨の反論をしている。


 やはり同教会の指導者であるスウィンドン主教のリー・レイフィールド氏は
「ホーキング氏は、ビッグバンについての彼の理解を理由に、
『神の存在を信じることが不可能だ』と言っているわけではない」と述べている。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

(9月8日 朝日新聞)
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このような科学的な発見がなされるたびに、
反論しないといけないキリスト教会は、
気苦労が多いことですよなあ。


その点、お釈迦さまの仏教は心安らかです。
「創造神なんていない、すべては因果法則で決まる」
と主張したお釈迦さまは、何か発見されるたびに
ほーら、やっぱりね」と言えばいいだけですから。


「仏教とキリスト教より、仏教と科学のほうが近い」
という佐々木閑先生の口癖も、然りというべきですね。


密教で「宇宙そのもの」とされる大日如来は、
ホーキングさんに対して何か反論の必要はあるのかしら?
私の不勉強ゆえわからないのですが。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  大日如来さん。

でも、カンタベリー大主教の
「物理学は物事が存在する理由を説明できない」という
言葉は、その通りだと思う。
というか、物事が存在するのに理由なんか必要だろうか?


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まずは柔和な言葉だけを話そう、と誓う 「阿摩昼経」その1

「長阿含」第13・第30経の「阿摩昼経」を読みました
(『現代語訳 阿含経典 長阿含』4巻)。
訳は、御大・末木文美士先生です。
さすがに名訳、と思うのは、ひいき目か?


このお経は、長めだし、読みどころがいろいろありました。


「五戒」がありますわな。
一般には、
不殺生(ふせっしょう) - 生き物を殺してはいけない。
不偸盗(ふちゅうとう) - 他人のものを盗んではいけない。
不邪淫(ふじゃいん) - 自分の配偶者以外と交わってはいけない。
不妄語(ふもうご) - うそをついてはいけない。
不飲酒(ふおんじゅ) - 酒を飲んではいけない。


といった説明がされますが、どうも表現が無味乾燥。


人生でやってはいけない「戒」について、
もっと具体的に、豊かに説かれているところが「阿摩昼経」に出てきました。
日々の生活のなかで、
「あっ、いかんいかん」と自分をチェックできるぐらいに
具体的に書かれております。これは頭に叩きこんでおきたいもの。


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生類を害することなく、武器を捨て、恥じる心を持ち、一切のものを慈しむ、
それが不殺(ふせつ)の戒である。


盗もうとする心を捨て、与えられないものは取らず、
その心は清浄で、ひそかに盗もうとする心がない、
それが不盗である。


淫欲を捨て、梵行を浄らかに修め、念入りに一所懸命励み、
欲望に染まることなく、清らかに生活する、
それが不淫である。


虚言を捨て、誠実で欺瞞がなく、他人をだますことがない、
それが不妄語である。


二枚舌を捨て、もしこちらの言葉を聞いてもこちらに告げ口せず、
離反している者があればうまく和解させ親しみあうようにさせ、
語る言葉は和やかで時宜にかなっている、
それが不両舌である。


言葉は柔和で麁悪な言葉を捨てる。(すなわち)言葉が粗雑で、
好んで他人を悩ませ、怒りを生じさせる、そのような言葉を捨て、
言葉は柔和で怨みを生ぜず、利益多く、
人々は敬愛してその言葉を聞くことを願う、
それが不悪口(ふあっく)である。


かざった言葉を離れ、言うことは時宜に適い、誠実で理法に従い、
戒律に従って諍いをなくし、機会があるときに語り、
言葉をむやみに語らない、
それがかざった言葉を捨てるということである。


飲酒をやめ、放逸のあり方を離れ、香料や装身具を身に着けず、
歌舞やあそび女を観に行かず、高い座席に座らず、不適当な時間に食事せず、
金・銀等の七種の宝石を手にして用いたりせず、妻を娶らず、
召使や象・馬・車・牛・鶏・犬・豚・羊・住宅・園林を蓄えず、
偽りのはかりによって他人を欺かず、また、借金せず、人をあざむかず。
いつわりをなさない。


このような悪を離れ、諍いごとや様々の不全をなくす。

行為する際は時宜にかない、不適当な時に行為せず、
腹具合に合わせて食事をし、しまいこむことがなく、
身体に合わせて衣服を着て満足する。


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「殺さない」といった行動だけではなくて、問題は「心」なんですね~。

それと、言葉についての戒がなんと多いこと。

まずは「どんなムカつく人にも、柔和な言葉を話す」

ところから始めたいと思います。


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戊辰戦争のころから・・『近代日本の戦争と宗教』

なんだか仕事が慌しくて、仏典も読めないしブログも書く暇がありません・・。
こういう事態になるから、お釈迦さまは出家者に「労働禁止」したんだよ。

今週読み始めた本は、

近代日本の戦争と宗教』です(2010年6月、講談社選書メチエ、小川原正道著)。


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(出版社からの紹介文)

戊辰戦争によって新たな政権が誕生してから、

日清戦争・日露戦争の勝利によって対外的な
地位を向上させるまで、明治国家のあゆみには、戦争がともなっていた。
そうした戦いのなか、神社界、仏教界、キリスト教界は、

いかなる反応をみせたのか。
従軍布教や軍資金の提供といった積極的な協力姿勢から、
反戦論・非戦論をはじめとする、消極的姿勢―、その実態を描く。
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筆者は宗教業界でなくて、若き政治学者です。

「宗教と戦争」というと、太平洋戦争について語られることが多いけれども、
当然ながら、その前から準備は始まっていたわけですよね。


幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争で、
勝ち馬にのるべく、新政府軍にこぞって恭順を示す宗教界の姿から
この本は始まります。

どっちに乗るかで、自分たちの存亡が左右されるわけですから。


字ヅラからして地味な本ですが、意欲的なお仕事だと思います。
まだちょっとしか読んでないけど。
ああ、仕事しないで本を読んでいたいよう。



釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

近代日本の戦争と宗教 (講談社選書メチエ)


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