華厳とギリシャ哲学(華厳経4)
本日もひきつづき「華厳経」について。
『現代語訳大乗仏典5巻』(中村元著、東京書籍)の解説を読むと、
その中心思想である
「すべては融合していて、ひとつのなかに一切がある」という思想
http://ameblo.jp/nibbaana/entry-10799829383.html
に似た思想は、西洋にも散見されるそうです。
例えば===============================================
・プロティノス(205~270年)新プラトン派の哲学者
「そのおのおのは、みずからの内にすべてを含み、
同時に相互の中にすべてを視る。
したがって、いたるところにすべてがあり、すべてがすべてであり、
それぞれがすべてであり、無限の栄光である」
(ラッセル著『古代西洋哲学史』)
・プロクロス(412~485年)同じく新プラトン派の哲学者
「すべてのものはすべてのもののうちに存在するのであるが、
しかしそれの特性にしたがっておのおののうちに存在する」(同)
・エックハルト(1260~1328年頃)
・ライプニッツ(1646~1716年)
複合物を構成する最小単位「単子(モナド)」は、
それぞれの単子は全宇宙を映し出している。
『中国自然神学論』という著書もある。
華厳とライプニッツについては、いろいろ書いてる人がいて、
この類似は有名なんですねえ。
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プロティノスさん。
ふーん、人って似たようなことを考えるものだなあ、と思ったら、
中村元先生は、プローティノスやプロクロスについて
「華厳思想がアレクサンドリアに伝わって、西洋の前述のような思想家を
出現させたと考えている」というのです。
その根拠として中村先生が挙げるのは、西暦1~3世記の東西交流によって
「カトリックの儀式のかなり多くのものは、
仏教の儀式から来ているという事実です」と。
えっ、そうだったの?
これって知らないのは私だけ?
仏教の影響を受けたカトリック儀式の例として挙げられているのは、
・鐘(西洋の古い時代やユダヤの伝統に、鐘はない)
・合掌(砂漠発祥のユダヤ教では天に向かって手をさし上げていたのが、
仏教の影響でキリスト教は手をあわせるように)
・数珠(インドでは数珠をジャパマーラーという。西洋人がジャパを「ジャパー」と
聞き取った。ジャパーは薔薇のこと→ロザリオ(薔薇の輪)となった)
など
※(ドイツの宗教学者、エルンスト・ベンツ教授の著書
『初期キリスト教神学に対するインドの影響』に詳しく書かれているそうです。
この手のことは考古学的な発見で定説が更新されますが、
現時点でも定説なのでしょうか)
宗教としては仏教のほうがキリスト教より500年も先輩なのだから、
影響を受けても不思議はないですけどね。
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世界は蓮華のように美しい、か?(「華厳経」3)
『現代語訳大乗仏典5巻』(中村元著、東京書籍)で「華厳経」の
ごく一部を読みましたが、書かないと頭に入らないのでちょっとメモしました。
各品が独立した経典として少しずつ書かれて
「華厳経」として全体が集大成されたのは4世紀頃と思われる。
(南インド、中央アジア、中国などいろんな地名が登場する)
もっとも古い十地品(じゅうじほん、1~2世紀)と
これも古い入法界品はサンスクリット原典が残っているが
ほかは残っていない。
↓
何をといてるかわからないほど広範囲で難解な「華厳経」が、
中国の「華厳宗」で整理・要約された。
その中心思想である「事事無碍(じじむげ)」とは――。
世界のすべてのものは連関し、融けあっている。
たとえば、いま私が食べたラーメンのチャーシューは、
どこかの国の豚、豚が食べたトウモロコシ、その畑の土壌をつくった
バクテリア、水、太陽、豚を輸送につかった石油のもとは太古の生物、
それらすべての過程に関わった人間・・・
それらが融合して初めて目の前に1枚のチャーシューが現出するのであって、
まこと事事無碍よなあ、というわけです。
これは現代人でも腑に落ちる世界観ですよね。事実ですし。
「縁起」を時間空間的に拡張したともいえますが、
そこから華厳経が導きだした結論は、お釈迦さまと逆のものでした。
1枚のチャーシューに過去未来のあらゆるものが関わっている、
どんな塵もとてつもない大きなものを包容する、
その世界のありよう自体を「仏」と呼ぶならば
「一切の塵に仏国土あり」ということに行き着くと。
日常のあらゆるものに「仏が遍満」するとなると、
世界はありのままでなんと素晴らしいのだろう、と華厳経は説きます。
ここに至って、「一切は苦である」とした「従前の伝統的仏教に、
公然と挑戦」(by中村元先生)することになるわけです。
華厳経40巻本に「蓮華蔵世界」という言葉が出てきます。
この世界は美しく巨大な蓮華の花に含蔵されているということです。
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この思想はヒンドゥーイズムから来ている。
ヒンドゥーイズムのもとになったのはバラモン教であるが、
バラモン教では宇宙の最初に偉大な水がただよっていたと説く。
このように世界のはじめに水があるという思想は、わが国でも
「古事記」の神話などに出てくるものであるが、
その水の中にヴィシュヌ神が現れ、そのへそに千の花びらがある金色の
蓮華が生じた、その中に梵天王が出現して世の中のあらゆる生類を
産むにいたったというのである。
このことは、仏典では『雑譬喩経』(ぞうひゆきょう)のなかに
外道の思想として説かれている。
蓮華が母胎となってあらゆるものが生じたという思想で、
「蓮華蔵」の「蔵」はガルバの訳で母胎の意味である。
(中略)
だから蓮華蔵世界の思想は、生存の究極の根底は蓮華の花のように、
じつに美しいものであるという思想、すなわち現実肯定の思想なのである
(中村元氏の解説)
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美しい蓮に包まれていると思えば確かに心は安定しますが、
一方で、「世界はそのままで素晴らしい、めでたしめでたし」というわけで
現状肯定に無限後退していくという危険を指摘する人もいます。
国家事業として東大寺の大仏殿をつくる過程で、
徴用された農民人足がいっぱい死んじゃったと聞きますが、
彼らが「こんな世界は素晴らしい」と思ったかどうかは微妙なところです。
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『インド宇宙論大全』の壮大な世界
またまた魅力的な本に出合ってしまいました。
新刊『インド宇宙論大全』(春秋社)。
バラモン教、ヒンドゥー教、タントラ教、仏教(小乗・大乗・密教)、ジャイナ教、
それぞれが、宇宙をどのような形状と構成だと考えていたか、
楽しい図版とともに解説している決定版です。
宇宙観は必ずや教えに影響しますから、知らないわけにはいかないなと、
深みにはまっていく恐怖を感じつつ購入いたしました。
85年の著書『インド宇宙誌』に、ジャイナ教を付け加えた改訂版で、
著者はこの筋の第一人者・定方晟先生ですから安心ですね。
パラパラと見ていたら、ジャイナ教では宇宙を「巨大な人間の形」
(ローカ・プルシャ)だと考えていたんですって。
その世界人間はサイコロの集積でできていて、
身長は14ラッジュ(=約700光年。ラッジュはジャイナ教特有の長さの単位)。
なぜこんなふうに考えたのか、皆目見当がつきませんが、面白いものです。
いい仏教書は、品切れになると新刊より高騰して泣きを見ることが多いので
早めに買っておいた次第です・・・。
読むのはだいぶ先になりそうですが、そのときはまたブログにメモします。
著者:定方 晟 さだかた あきら
1936年、東京生まれ。1959年、東京大学教養学部卒、同大学大学院で印度哲学を専攻。1963~64年、パリ大学に留学、印度哲学を研究。現在、東海大学名誉教授。






